6話 豊浦家にて①
豊浦家に入ると、ご両親、そして弟君に軽く歓待されてしまい、豊浦さんの部屋に向かうまでには長い道のりを要した。
いやはや暖かく迎え入れられてしまっても困る。わたしと豊浦さんは彼らが考えているような普通の友達ではないのだから。
断片的に話を拾うと、「命がようやく友達を……」とか「家に連れてくるほどの……」みたいなことが聞こえてきた。どうやら豊浦さんは、この家でぼっち系キャラとして定着してるらしい。まあ学校でもそうなんだけど、でもぼっち系ってよりは孤高の花って感じだろう。
しかし、御家族のこれほどまでの盛り上がり様は一体なんなんだろうか。彼氏ならいくらでも連れてきていただろうに。
もしかしてわたし、女で初めて豊浦家に入ったとか? 中学時代の豊浦さんなんて男にモテまくってたってぐらいしか知らないけど、そのせいでやっぱり女子と軋轢があったのかな、なんて考えたりする。でも、それなら男の側も付き合うのを避けそうなものだけど。女に嫌われてる女と付き合うなんて印象悪いし、学校で肩身狭くなりそうだ。いや、そんなデメリットも気にならないほど確かに豊浦さんは美人だし、また差し引いても余りある素晴らしいテクニックとかがあるのだろうとは思う。
まあ豊浦さんの事情を知らない人からみればただの美人を連れ歩いているようにしか見えないしね。
そうして御家族からの絡みを振り切ったわたしはようやく豊浦さんの部屋のある2階へ上がり、案内されるがままに進んでいった。
部屋に着くと、豊浦さんは何の躊躇もなく──自分の部屋だから当然なんだけど──ドアを開けて入っていく。わたしもそれに従って、緊張感を持ちながら足を踏み入れた。
状況としては、新米冒険者がいきなり魔王城に転送されたようなものであって、わたしは怖がらずにはいられなかった。割と軽い気持ち、というか思いつきで豊浦さんに接近して気づいたらこんなところにいるのでまだあまりこの後のことが想像できていない。
わたし、騙されてないよね? これからちゃんとキスできるんだよね?
「お、お邪魔しますぅ……」
想像通りの部屋。無機質で最低限部屋としての機能を留めているような感じ。
勉強机の横に本棚が3つ並んでいる。全部にカバーがかかっているからどういうのを読んでるのか分からないけど、学校でもいつも本を読んでるだけあって愛書家っていうのはよく分かる。
この部屋、豊浦さんらしいと言えば確かにそうなんだけど、でももうちょっと遊び人らしくエネルギッシュさがあってもいい気がする。ほら、男に勧められたアーティストのポスターが貼ってあったりとかさ。このままじゃ男の面影を何も感じない。男は肉欲を発散させるための道具くらいにしか思っていないのか?
わたしが当たり障りのない感想を言うよりも先に、
「では早速」
先導していた豊浦さんはわたしが部屋に完全に入ったのを確認すると、わたしの身体を使ってドアを閉め、そのまま顔を近づけてきた。
わたしが言えたことでもないのだけど、それはそれは唐突すぎたので心の準備もできておらず、思わず右手で自分の口元を押さえてしまった。
それでも豊浦さんの勢いは衰えることなく、柔らかくて暖かいものがわたしの手の甲に押しつけられる。
「ちょ、ちょっと待って!」
頭を引いて、むすっとした顔の豊浦さんが現れた。
「……なにか?」
「な、何の疑問もないの……?」
「はて。疑問?」
「そう、疑問! ほら、どうしてわたしが豊浦さんにキスをしたいのかとか! あるでしょう!」
出来すぎている。こんなにとんとん拍子に上手く進んでしまうのは何か裏があるのだと疑ってしまう。うまい話には裏があると言うものだし、順調そうに見えて実はわたしは既に豊浦さんの術中に嵌まっていたり……。
例えばそう、終わった後に「この私がキスにしてやったんだからいくらか払え!」みたいなさ。
「え、私のことが好きなのでは?」
「違うよ! わたしに百合属性はないもん! そもそもうちら1回も喋ったことないでしょーが! なのにどうして好きになることがあんのよ?! ホントに、ホントにただ人間とキスしたいだけで、それだけで……。ね、他にも気になることあるでしょ?! なんでも答えるってば!」
「……聞いて何になるの? 藤咲さんはキスをしたい、私はそれを受け入れた。あとはキスをするだけ。それ以外には何もいらないでしょ」
「いやまあそうですけどそれはそれで……」
キスするだけだし、確かにそれ以外の情報はノイズでしかないんだけど、でもわたしのことをちゃんと伝えないのはなんだか歯痒さがある。
だって現時点での豊浦さんからわたしの見え方って「いきなりキスをせがんできて、それなのに百合ではないとかほざいて、キスだけしたいとかのたまってる頭のおかしい娘」……でしょ?
それをすんなり受け入れられる豊浦さんが──経験が為せる技なのか──やっぱりすごいんだけどさ、でも勘違いされたままってのはいただけない……。けどまあ豊浦さん興味なさそうだし言わなくてもいいか。
言っても言わなくてもキスすることには変わらないんだし。
「じゃあ始めようか」
「あ、でも待って。じゃあわたしから。わたしから1つだけ聞いてもいいですか」
「……随分焦らすんだね、君は。で、何」
むすっとした顔は呆れたような、嘲るような顔に変わった。
そして、体勢はいわゆる壁ドンという状態、豊浦さんの左手がわたしの顔の隣にあって、逆手になった右手は逃げられないようにするためか腰の辺りに置かれていて、キスまでの猶予はより小さくなっていた。
「あのあの、わたしと、というか女の子とキスすることに抵抗とかないんですか……?」
「……別に? むしろ興味あるけど」
ほう、なるほど。どれだけ男とのキスの経験があろうと、かの豊浦さんも同性とのキスの経験があるわけではなく、だからこそ道楽的にどんなものか気になる、と。まあそんなところなのかな。
「……キスしてもお金取らない?」
「聞くのは1つだけって言ったのに」
「え?! 取るの?! 取られるの?!」
「なんてね。取らないよ、取らない」
「よかったぁ。もう豊浦さんことだから冗談に聞こえないんだよぉ……」
「じゃあ……もういいよね?」
その言葉に返答する暇もなく、わたしの唇は豊浦さんの唇で塞がれた。
香水のようなあからさまな匂いとはまた違う、パウダリーな匂いが鼻腔を突く。
電流が走ったみたいに耳たぶの後ろらへんがぴりぴりして、頭がくらくらしてくる。
あぁ、これだ。やっと求めていたものがわたしの元に来たんだ。こうやって唇を重ねていると、どんどん実感が湧いてくる……。
こんな状態で豊浦さんを直視する勇気はないからわたしは目を瞑っている。
眼前には、いつも通り無感動的に目を開いたまま、わたしの反応を見て楽しんでいる豊浦さんがいるに違いない。にやけた顔が歪んで崩れて、絶対キモい顔になってるだろうからあんまり見ないでほしい……。
ふと、これでわたしも豊浦伝説の当事者の1人になってしまったのだろうかと考えてみたりする。
というか、豊浦さんの女版ファーストキス、わたしが奪っちゃった?
「……んはぁっ」
唇を合わせ続けてそろそろ隙間から息が漏れてきた頃、豊浦さんは一旦顔を上げた。
豊浦さんはわたしと違って息を切らしておらず、依然落ち着き払っている。
そして、小さく開いた唇の奥で桃色の舌が見え隠れさせていて、その様子はまるで燃え盛る前に燻っている炎を思わせた。
固定されていたものがなくなったわたしは身体が緩んで、背中を預けていたドアに沿って下に滑り落ちる。
「どうだった?」
感想を聞いてくる豊浦さんをわたしは尻餅をついたまま見上げる。
「や、やばかった。それはもうやばかった……。ちょっと今感動しすぎちゃって大層な感想は言えないんだけども……とにかくやばかった……。やばかったぁ……」
「それはよかった」
そう言ったのち、豊浦さんは身体を屈ませ、わたしと視線を合わせると、小鳥が餌を啄むように、何度も何度もわたしの唇を食み始めた。
「んっ、はぁ」
そうして繰り返されるリズムにも慣れてきたところ、豊浦さんは不意に唇を重ねたまま動きを止め、舌先をわたしの閉じた唇に触れさせた。
口の中に挿し込むという合図なのか、なぞるようにちろちろと左右に動く。
くすぐったいと思いつつも、頰に入った力を少し緩めると、ついに豊浦さんの舌が入ってきて、わたしの舌は絡めとられるように外に引っ張り出された。
そこからわたしの舌は豊浦さんに吸い上げられたり、ぐるぐるとかき回されたり、フェザータッチのごとく優しく舐められたりと、それはもういいようにされてしまった。
静かな空間に唾液と唾液が擦れる音だけが響き渡る。
こうしてキスをしているのは入り口も入り口、この部屋で最も廊下、リビングに近い場所。
そのため、聞いたら一瞬でえっちなことをしていると分かるようなこんな音、御家族に届いてやしないかとわたしは若干そわそわしていた。けど、それ以上に今は目先の快楽に囚われていて、舌が絡み合う度、そんなことは頭からぼやけていき、ついにはどうでもよくなり、キスに感覚が集中するようになっていた。
やがて、名残惜しいと思いながらも、豊浦さんは舌をほどいていき、わたしはそれに呼応するようにようやく目を開け、どっちのものか分からない唾液がつーっと橋を架けながら、豊浦さんは顔を引いた。




