終幕 ほっとした女神
「……終わったわね」
その声には、ほんの少しだけ安堵が混じっていた。
眼下には、もう見えない。
だが確かに、あの小さな船団は大陸を離れた。
二千の魔族を乗せて。
滅びることもなく。
争うこともなく。
ただ、生きるために。
「今回も……危なかったわ」
イグニスは苦笑する。
「ほんの少し歯車が狂えば、全部壊れていた」
光と闇。
人と魔族。
その均衡は、あまりにも脆い。
その時、背後から声がした。
「珍しく、ほっとしてる顔だニャア」
振り返ると、そこにはラルカがいた。
イグニスは肩をすくめる。
「だって今回は、本当に滅びると思ったもの」
「イリアス様も、よく許したニャア」
ラルカが空を見上げる。
その先には、もう一人の神の気配があった。
「ええ」
イグニスは微笑む。
「でも、あの子が選んだ道だもの」
「半魔の王子、かニャア」
「そう」
イグニスの視線が、遠くへと向けられる。
「光と闇のどちらにも属さない、あの子がーー」
一瞬、言葉を止める。
そして、静かに続けた。
「争わない道を選んだ」
それは、誰にも強制されなかった選択。
ただ一人の意思。
だからこそ。
「価値があるのよ」
ラルカは小さく息を吐いた。
「相変わらず甘いニャア」
「いいのよ」
イグニスはくすりと笑う。
「たまには、こういう結末も」
しばらく沈黙が流れた。
天界の光は、何も変わらず穏やかだった。
「……また繰り返すと思うかニャア?」
ラルカの問い。
イグニスは少し考えてから、首を振った。
「さあね」
そして、空を見上げる。
「でもーー」
その表情は、どこか優しかった。
「少なくとも今回は、うまくいったわ」
遠い海の向こうへ。
もう見えない、小さな船団へ。
イグニスは、ほんのわずかに目を細めた。
「よくやったわ」
それは、誰にも届かないはずの言葉。
けれど。
確かに、世界はそれを受け取っていた。
(完)




