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鬼のユメ  作者: 縹まとい
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第六幕:再会 後編

 凪の声は抑揚を抑えたまま、静かに流れていた。

 そのゆったりとしたその音の旋律は私の耳に届く傍から消えてなくなる。

 私たち妖異の耳には、人の唱えるしゅは、言葉としてではなく、流れる音として感じられるだけなのだ。

 そう…何故なのか、言葉として捕らえる事が出来ない。

 では、何故、呪に怯えるのか。

 音は我々を見えない鎖となって縛りつけるものだから。

 信じられないかも知れないが、音は時として人間ですら殺す事が出来る、最も恐ろしい…見えない凶器なのだ。

 だからこそ我々はその旋律を嫌う。

 しかし、今、凪が唱えているのはそれとは違うものだ。

 世界には様々な音が溢れ、それぞれの固体が好む音と、そうでない音が無数に存在し、それぞれを取り出し、組み合わせることで、多種多様な旋律が生まれてくる。

 中でも聞く者にとって心地良い音だけを組み合わせれば、その者の力になり、不快な音だけを組み合わせれば、その者を傷付ける。

 今、凪が唱えているのは、正に私にとっての前者だ。

 体が地面にゆっくりと溶け込んでいく様な、フワフワした心地よい感覚。

 目を開けてみると、夕闇に包まれていく森の最後の一瞬が霞む視界の中で揺れていた。

「…凪、ありがとう」

 思ったより私の声は力がなく、自分ですら聞き取り辛い程に掠れていた。吐く息が、まだ燃えるように熱い。

 凪が私の額に手を翳す。心配そうに覗き込む顔が、今にも泣き出しそうで可愛い。

「馬鹿、礼は終わってから言うもんだ」

 暫く凪は思案するように視線を彷徨わせると、何を思い付いたのか、突然立ち上がった。

「おい、兄貴。独鈷杵とっこしょ持ってんだろ?貸してくれ」

 横柄な物言いで幸人くんに手を突き出す。

「那岐、お前、一体何をしてるんだよ?大体、独鈷杵なんて…何に使うつもりなんだ?」

 怒りとも言える幸人くんの質問は、凪の鼻先で一笑に伏された。

「…ふん、知ってどうする?持っているのか、持ってないのか?あるなら、貸せ」

 有無を言わせない凪の言葉。

「わ、分かったよ」

 幸人くんは渋々と腰にぶら下げていた小さな袋から、凪の要求した物を取り出して直接手渡す。その後、不安そうな視線をチラリと私に落とした。

 凪は私の傍に胡坐をかいて座り、また、呪を短く唱える。

「京、俺の膝に頭を乗せられるか?」

「うん…」

 私は頭を持ち上げ、少しだけ横に体をずらす。頭の下に、凪の細い足が差し込まれる。

「苦しくないか?」

 心配そうに覗き込む凪に、私は黙って頷いて見せた。

「…そうか。さて、じゃあ、目を瞑って」

 頬に優しく小さな手が触れ、やんわりと瞼の上をなぞる。私は言われるままに凪に身を任せた。

 再び凪の声が短い旋律を唱え、細くしなやかな指が私の唇に触れた。

 苦しい息を吐き出す為に薄く開かれた口元は、凪の指の動きに敏感に反応する。

「…あっ」

「口を、もう少し、開いて…」

 私の口の中に、凪の指がするりと入り込む。

 舌の先に、甘く、甘く、甘く、甘く…広かる懐かしい味。

 これは…。

「ん、んーんっ!」

 私は驚きの余り思わず眼を見張って、凪の元から逃げようとした。

「馬鹿、逃げるなよ。なぁに…心配する程のモンじゃない。大丈夫だ」

 優しく微笑む凪の顔が、涙で歪んで見える。

 なんて事だ。

 私は、また、凪を傷付けてしまった。

 凪は私に自分の命を与えてくれている。まだ幼い体で、私に、その命の源を注ぎ込んでくれている。

「馬鹿だな…泣くなよ」

 そう言いながら、凪は嬉しそうに笑う。

 だって、どうして泣かないでいられるだろう?凪にこんな事をさせてしまったのに…どうして、泣かないでいられるだろう?こんなに、嬉しいのに…。

 凪の手指を伝わって注ぎ込まれる赤い流れは、私の体を隅々まで満たしてゆく。

「な、な、なにしてるんだよ!那岐!!お前、変だよ!病人に、何してんだよ!?」

 幸人くんの半分裏返った素っ頓狂な声が響く。

「血とか、何だよ、ソレ。意味、解んないよ!何やってんだよ!?」

 彼は凪の元に走り寄ると、その手から独鈷杵をもぎ取った。

「僕はそんな事の為に、コレを渡したんじゃないよ!止めろよ!お前、おかしいよ!!この人、早く病院に連れて行った方がいいって!」

「…外野は引っ込んでろよ」

 そう凪は氷の様に冷たく言い放つ。

「京の事は、俺が一番良く知っている。何を、どうするかは、俺が決める」

「那岐!!」

「うるさい!触るな!!」

 凪は乱暴に幸人くんの手を振り払う。

「お前に…とやかく言われる筋合いはない」

 刃物のように鋭く相手へ向けられる視線。それだけで、人を刺し殺してしまえそうだ。

「那岐…」

 幸人くんは凪の容赦ない物言いに、ショックを受けたのだろう、糸の切れた操り人形のように、力なくその場にうな垂れてしまった。

 私は凪の手をそっと握って、ゆっくりと体を起こす。凪のお陰でとても体は軽くなり、さっきまでのダルさも熱も嘘の様に引いていた。

 少年の細い腕は私の手にも容易く収まり、引き寄せれば簡単にその体を抱き締める事が出来てしまう。

「…京?」

 私は凪の手首に付けられた傷口を舐めて出血を止めた。

「駄目だよ、凪。そんな風に言っちゃ駄目」

「…………」

 凪は不満そうに口を尖らせ、私の胸に額を押し当てる。

「…俺は、悪くない」

 ボソッと呟いて、そっぽを向いてしまった。

「変わってないね、凪」

 私は笑い出したいのを堪え、再び凪を抱き締める。

「ね、凪。ありがとう。すっかり良くなったみたい」

 耳元でそっと囁く。

「当たり前だ。俺は、お前の為だけに居るんだから。京の為なら何でもする。京の願いなら、何でも叶えてやる」

 さっきまでの不機嫌は何処吹く風で、凪は満面の笑みを浮かべ、自信たっぷりにそう断言した。

「うん」

 私も満面の笑みで答える。しかし、その場に独り取り残された形になった幸人くんは泣きそうな顔で呆然と立っていた。

「…ナンダよ。変だって、アンタたち。僕だって此処に居るんだ。ちゃんと、分かるように 明してよ!那岐、その人とお前、一体何なんだよ!!」

 幸人くんの悲痛な声が闇に包まれた森の中に響いた。

「会ったばかりなのに、恋人みたいに抱き合って、ベタベタくっついてさ!変だよ、可笑しいよ、絶対!!那岐なんか、まだ子供じゃん!」

 拳を体の両脇で握り締め、小刻みに体を震わせて顔を紅潮させている。

「キモチワルイよ…。那岐は!どうして、いつも、僕の前に…!」

 闇の中に押し殺すように嗚咽が響いた。

 私はチクリと心が痛んで、思わず目を背ける。

 しかし、凪は違った。

「…だから?」

 冷たく、とても冷たく言い放つ。

「兄貴には関係な…」

「凪、駄目…!」

 思わず私は凪の口を手で塞いでいた。

「駄目だよ、そんな事言っちゃ駄目」

 なんで?と凪は私の顔を見上げる。

 そう…昔から凪は、他人にとても冷たい所があった。冷酷な物言いや態度を隠そうともしない。まるで世界には自分たち以外の者が居ないかのように振舞う事さえあった。

 妖異である私ですらそう感じるのだから、人間だったら尚更だろう。

 どうにもやり切れない空気が満ちる中、森の中を一陣の風が吹きぬけた。葉の擦れ合う音や鳥の羽音が、やたらと大きく響く。

 と、次の瞬間、幸人くんは私たちに走り寄ると凪を私の腕から引き剥がし、地面へと叩きつけて馬乗りになった。

「つっ…」

「お前さえ、お前さえ…!!」

 幸人くんは涙の跡も乾かない目を大きく見開き、無表情に凪の首元へ独鈷杵を当てた。

「もっと、早くにこうすれば良かったんだよ」

 そう呟くとともに、幸人くんは振り上げた手を凪の胸へと勢いを付けて振り下ろした。

「止めてぇ!!」

 私は自分でも気付かぬ内に凪の体へと飛びついていた。背中に鋭い痛みと、衝撃が走る。

「くぁっ…!」

「京!!」

 青ざめた顔で凪が私の名を呼んだ。

「う、う、うわあぁ!!」

 幸人くんはヨロヨロと後ろに尻餅を付くように座り込む。

「馬鹿!何してるんだよ!京!」

「凪…も、幸人くん、も…落ち着いて。私は、大丈夫、だから。だいじょ…う…ぶ…」

「京!!」

 意識がどんどん遠くなる。

 あれ…?

 ああ…何だかこんな感じ、昔にもあったなぁ。

 痛くて、誰かが私の名前を呼んでて、凄く眠い。

 とても眠くて眠くて…。

 私は凪の声を遠くに聞きながら、深い眠りに落ちていった。


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