金曜日 ⑧最後の特殊任務
恵実さんにふられてからの一週間、ボクは意外に落ち込まなかった。
バイトから帰ってすぐはさすがに何もできなかったけど、そこから先は落ち込むヒマがないほど忙しかったからだ。社内での本格的な研修も始まって、覚えることが山のように多く、頭もそちらに掛かり切りになったおかげかもしれない。
松田とも採用部署が違うせいか研修で顔を合わす事はなかった。落ち着いたら飲みに行こうとメールをもらったけど、向こうは営業部なのでもっと忙しいんじゃないかな? しばらく憂さ晴らしはお預けだと思う。
そうやって過ごした7日間だったけど、ここに来るとやっぱり切なくなってしまう。
今日はアルバイトの最終日。金曜深夜のシフトも最後を迎えてしまった。切ない気持ちはあるけど、意外なほどボクは落ち着いている。全く期待していないと言えばウソになってしまうけど、それでもボクはわかっている。恵実さんは今夜も来ない。だから、胸のドキドキも湧いてこないんだと思う。しかも、店長が発注のパターンを変えてくれたのか、プリンの在庫が5つもある。残念でもないけど、今夜の特殊任務もする必要性がなくなった。まあ、来ないから一緒なんだけど。
それよりも、今日はバケツプリンをうしろに忍ばせてある。翔太は喜んでくれるだろうか? 驚く顔が目に浮かんで、落ち込みだした気分が少し上を向いてくれた。
「三浦くん」
「はい」
かなり深刻そうな顔で店長が近づいてくる。どうしたんだろう。
「本当にごめん。最後なのに申し訳ないんだが……」
最後もやっぱり謝罪なんだ。 で、なんでしょう?
「息子の風邪が女房にうつってしまってね。二人とも寝込んでしまったんだ」
はい? なにやってんだよ大沼家。共倒れってありえないでしょう。
「ホントにね。二人ともデリケートなんだよ」
はぁ。店長も苦労が絶えないですね。まあ、つまりあれですよね。
「今日、ちょっと看病に上がってもいいかな?」
ですよね。 長いため息をついてから返事をした。
「いいですよ。今夜も相変わらずお客さんが少ないですから」
「頭の痛いことさらっと言わないでよ。じゃ、ちょっとしばらく戻らないけど、何かあったら電話して。飛んでくるから。ホントごめんね。」
謝りながら店長が去っていった。さらにもう一つため息をつく。
とりあえず仕事をしようと思ってモップを取り出した。誰もいないのだから、先に掃除を始めようと思ったのだ。床のモップがけは好きな仕事のひとつだ。無心になれるので気分転換にとてもいい。鼻歌まじりに仕事を始める。3分の1ほどかけ終ったとき、何気なく時計をみてしまった。……ああ、嫌な時間にみちゃったな。1時5分前だ。頭を振って気持ちを切り替える。無心。無心。モップ掛けに再び精をだした。
今日は最後だからと心をこめて丁寧にモップをかけた。結構時間がかかったかなと思う。時計を見るとたしかに1時20分を過ぎていた。 ん? 丁寧にやりすぎたかな? それでも綺麗になった床をみて満足気分を味わった。次の仕事に取り掛かるため、モップを手早く仕舞う。そのとき入り口のチャイムが聞こえてきた。
「いらっしゃいませ」
アイコンタクトをとるため、慌てて振り返って固まった。……恵実さん。
いつものプリンビールさんの装いで、無防備な佇まいの彼女が軽い笑顔を向けてくれた。いつもと何も変らないかのように。
……え? どういう事?
急な出来事に頭がついて行かない。そのまま、スイーツコーナーに向かう恵実さんを視線で追いかけてしまう。彼女が棚の前でプリンをみつけて笑顔になった。これも変らなかった。ところが、いつもと違う事が次におきた。いつもなら、そのままドリンクコーナーに行く足取りが、そのまま真っ直ぐにレジに向けられたのだ。
慌ててレジの前に立つ。カウンターにはいつものプリンがひとつだけ、相棒を持たずに寂しげに置かれていた。
「お、おまたせしました」
商品バーコードを読む。
「先週!」
恵実さんが急に大きな声を出したのでびっくりした。けれど恵実さん自身もびっくりしたようで慌てて手で口を押さえた。
「ご、ごめんなさい」
「い、いえ」
「先週、風邪をひいて来られなかったんです」
そうですか。……え? 風邪? ええええ?!!
「9度近く熱が出てしまったので、さすがに動けなくて」
そうだったのか。それじゃあ仕方が無い。39度もあったらコンビニなんて来ちゃダメだ。
「社会人なのに体調管理も出来ないなんて、恥ずかしいですね」
「そ、そんな事無いです。ボクの周りでも結構風邪、流行ってますから……仕方がないですよ」
そうだ。そういえば先週、周りは風邪だらけだったじゃないか。
「三浦さんは優しいんですね。ありがとう。……でもさすがに病みあがりだから、今日のビールはお休みします」
あ、なるほど。それでか……。
「もう体は大丈夫なんですか?」
「はい。熱は下がったので仕事も出てますし。独身は働かないと、食べていけないですから」
独身と言う言葉が胸にひっかかった。独りというその言葉の意味に自分が思い描いていた夢が重なる。ああそうだ。ボクは恵実さんのカレシになりたくて、告白しようとしてたんだ。そう思った途端、心臓が高鳴りだした。どどどどどうしよう!!!! いきなり過ぎて、こ、心の準備ができてない! 突然やってきた機会に気付いて、狼狽えてしまった。
ボクは昔からこういう状況が苦手だ。<思いもよらない好機>というのにめっぽう弱く、これまでに実力を発揮できた試がない。思いもよらない事は出来ればおきないで欲しいと常日頃から願っているぐらいだ。ボクはとにかく予習復習が欠かせない性格で、好きな言葉は<事前準備> 嫌いな言葉は<臨機応変> が表すほど、いわゆる柔軟性に欠けたアドリブのまったく利かない人間なのだ。
ああ。ああ。ああ。……ああ、しか台詞が出てこない。 あぁ――――。
む、胸が痛い。動悸が激しくて苦しい。
松田――――!!!! 助けて――――!!!! もう完全にパニックである。
「ひゃ、ひゃくさんじゅうなな円です」
やっと言えた台詞はプリンの値段だった。金額を伝えてる場合じゃないだろう!!!! 頭の中で誰かがツッコミを入れている。もうすでに心と頭と体がてんでバラバラに動いて、気付いたらひとりではどうにもならない状況になっていた。
「ごめんなさい。今日は細かいのがなくて……」
そう言って恵実さんが千円札をカウンターに置いた。受け取る自分はなぜか機敏だ。4年間バイトで培ってきた接客マニュアルが成せる業だろう。無意識で出来てしまう自分が怖い。
「は、863円のお釣りとレシートです」
差し出された恵実さんの手。そう言えば最後になって初めてお釣りを渡す事になる。左手を下に添えて、二つをそっと乗せた。触れた指先から恵実さんの体温が伝わってくる。初めて感じた恵実さんの温もり。ボクは思わず、包み込んだ両手で温かいその手を握り締めてしまった。驚く恵実さん。目と目が合う。今までのボクならすぐさま視線を逸らして手を離してしまっていただろう。でも今は違う。これが最後なんだ。悔いを残したくない。
ボクが気持ちを伝えようと口を開きかけた瞬間、コンマ速く恵実さんが口を開いた。
「三浦さんとココで会えるのが嬉しかったです」
誰かがボクの心臓をギュ――ウ!!と握り潰したかと思った。 息が絶え絶えになる。
ボクだって嬉しかった。毎日だって会いたかった。ああ!! 伝えます! 今すぐこの気持ちをあなたに!!
「あ! あの!!」
「でも、今日で最後なんですね……」
ええええ!! 待って、最後なの?!! か、神様。こ、これは? まさかのごめんなさいなんですか?! やっぱり年下のボクではダメなんですか?!!
「……寂しい」
さ、寂しい? え? え? それはOKなの? どっちなの?!! というか、ボクはまだ何も伝えてないんだけど。なのにどうしてこんなに振り回されているんだ? こ、告白のタイミングがわからなくなってきた。
「あ、そうだ」
え? 話題をかえちゃうの? 待って、ちょっと待って。聞いて下さい。ボクの気持ちを! 焦るボクを置き去りにしたまま、包んだ手から恵実さんがそっと右手を引き抜いた。
……あ、そんな。
「私、三浦さんが言ってた大きなプリンをホームページで見たんです」
「え? あ、そ、そうですか」
正直、バケツプリンの話より、ボクの話を聞いて欲しかった。それでも恵実さんが話す事だから返事をするしかない。
「いつか作って食べてみたいです。三浦さんが言ってたように、好きな人と一緒に……」
驚いた。恵実さんが見せてくれた笑顔は、これまでの笑顔の中でも一番悲しそうで、まるで消えかかったろうそくの火のようだった。
もう迷いはなかった。ボクはあんな笑顔を見たかったわけじゃない! そのままバックヤードに走っていって、隠しておいたバケツプリンを取り出した。
「翔太ごめん!!」
バケツに向かって謝った。ボクはうそつきなんだ。ホントにごめん。ボクは恵実さんと一緒にこのプリンを食べたいんだ。恵実さんの好きな人になりたいんだ。だから許して。カウンターに戻って恵実さんにバケツを差し出す。
「え、これ?」
びっくりして戸惑う恵実さん。
「ボクと一緒に食べてください! お願いします!!」
思い切り頭を下げた。……そして恐る恐る顔をあげてみる。目の前にはポカ――ンと口を開けた恵実さんがいた。 え?
「め、恵実さん?」
「あ、ご、ごめんなさい。突然、本物を見ちゃってびっくりしちゃった。あ、お金払わないと。い、いくらですか?」
とんちんかんな返事に困惑してしまう。
「お、お金はいいです。それより……」
「え? あ、ご、ごめんなさい。そういう事じゃないですよね」
慌てた恵実さんが真っ赤になる。そして咳払いをしてから真っ直ぐこちらをむいた。あ、いよいよこの時が来た。返事だ。緊張が最高潮になる。
「三浦さん。今日のアルバイトは何時までですか?」
は? え? 質問?
「あ、朝の8時までです……けど」
返事はないのだろうか……? もしかしてこのままはぐらかされるのか?
「その後のご予定は?」
「あ、ありませんけど……」
「それじゃあ、このプリン。これから作ります」
え? え? 宣言されても……どういう事ですか?
「私、この上のマンションに住んでるんです。」
え?! あ、そうだったんですか。そんな近場とは、灯台下暗しでした。 ……で?
「よかったら仕事あがりによって貰えませんか? 」
は?
「このプリン。………… 一緒に食べてもらえると嬉しいです」
え? ええええええ!!!! ホントですか!!!! それは、それはボクを彼氏にしてもらえるという事ですか? いやそれより、いきなり部屋に呼んで頂けるなんて?!! マジですか!!!! いいんですか!!!!
急な展開に、心の中が大暴走してしまって顔から火が噴出しそうになる。
「あ、ダメでしょうか?」
「だ、ダメじゃありません!!!! 絶対行きます! 何があっても!」
恵実さんが思わずふきだす。口元を隠して声に出して笑い出した。
「何もないですよ。そんなの」
「そ、そうですね。ハハハハ」
ふたりして、笑いあった。その笑顔がこれまでで一番素敵に感じるのは、ボクの私情が随分影響しているんだと思う。そして、その後の沈黙がボクに最後の勇気をくれた。
「恵実さん。ボクはあなたの事がす……」
言い終わる前に、恵実さんの人差し指がボクのくちびるを塞いだ。
「甘い言葉はプリンと一緒にお願いします」
年上のお姉さんに窘められる。そうですね。ここは職場でした。ああ、早く恵実さんと二人きりになりたい。年下のボクはその注意に、しょげるどころか気持ちがメロメロに溶かされてしまった。そんなボクに彼女が極上の笑みをこぼす。その胸に大きなバケツプリンがしっかりと抱えられていた。
そしてボクは確信する。ボクの特殊任務が無事終了した事を。成功報酬はもちろん彼女のとびきりの笑顔だ。
そう。何時間後の未来のボクは、その笑顔を独り占めにしているはず。
ガラス越しに手を振る恵実さんに手を振り替えして応えながら、ボクは今、世界中の幸せを噛み締めていた。
読んで下さってありがとうございます。
いよいよ次回最終回です。プリンビールさんの真実が明らかに……。
期待値ハードルは下げ目でお願いします (≧Д≦)>




