水曜日 ②新しい友人
気持ちが浮き足立ったせいか、目を通しておこうと思ったテキストは、あれ以降全く開く事なくセミナーの初日を迎えてしまった。マジメをモットーにしてきたボクにとって有るまじき事態である。とりあえず、悪あがきだとしても講習が始まる幾許かの間に読んでおこうと思った。
「浩輔! おひさしぶりやん!」
顔をあげると見覚えのある男が立っていた。確か……
「博紀! 忘れたんかいな……冷たいやっちゃ」
そうそう、思い出した。同じ会社に入社する同期の松田くんだ。かなり親しげに話してくるが、彼と話した時間は総合しても30分を超えない。逆にどうしてそんなに親しげに話しかけてくるのか、まったくもって不思議である。
「やっぱ、隣同士やったな。そうちゃうかなって思うててん」
テーブルにはそれぞれ2脚の椅子が並べてあった。受付で指定された一番後ろのテーブルは両方空席だったので、隣は誰が来るんだろうと思っていた。彼の言うとおり“松田”と“三浦”じゃ、名簿的に並びになる確率が非常に高い。しかし、やっかいな人が隣になってしまったなぁとボクが気落ちしているうちに、パイプ椅子を引いて松田が着席した。とにかく時間が無いのでボクはテキストに目線を戻した。
「え、浩輔、何やってんの?」 ……早速、煩わしくなってきた。見ればわかるだろう。
「テキストに目を通してる」
「は?」
「予習だけど」
「はぁ? え! このセミナー、もしかしてテストがあるん? え――!! 聞いてへんで!!」
……イチ話すとヒャク喋りそうな勢いだ。とてもやりにくい。
「新卒の社会人セミナーだよ。たぶん、そんなのないよ」
「だよな! なんや、脅かさんといてぇーや」
キミが勝手に驚いたんだろ。
「……で、なんでまた予習なん?」
しばらく放っておいてはくれないんだろうか。
「ダメですか? 予習しちゃ」
「あかんやろ……。平等で行こうや」
……まったく意味がわかんないんですけど。うな垂れていると、松田がさらに意味不明な投げかけをしてくる。
「あ! おまえ、先週の懇親会でも予習してきたタイプやな?」
何を? どう予習するのさ……。 ジロリと睨みを効かしてやる。
「ウソウソ、冗談やん。浩輔はマジメやな~~」
困惑しているボクの背中をバシバシと松田が叩く。……非常にやりにくい。
「にしてもさ。広ない? この会場」
たしかに広い。今年のうちの会社の新卒入社は15名。それに対して倍以上の人数が入るセミナールームが用意されている。
「たぶん、他所の会社と合同なんじゃないかな。ほら、知らない顔がいるし」
イマドキの新卒用の社員研修は、社内でするより外部のセミナーに参加させて経費を削減させるらしい。こんな所にも不況の波が来ているという事だろう。
松田が辺りをキョロキョロする。
「ホンマや。あの女の子、初見やね」 ……返答しづらい意見である。
「受付で名簿がチラッと見えたんだ。知らない会社名があったから、たぶん間違いないと思うよ」
「ちょっと挨拶に行っとく?」
「はぁ?!! いかない。いかない」
慌てて首を横にふった。連れて行かれたら迷惑だ。
「だよな。手ぶらじゃ社会人としてアプローチしにくいわな。名刺とかあったらええねんけど……気が効かんよな、うちの会社」
入社もまだなのに、名刺を寄越せとは図々しい男だ。 しかも社会人って……ボクらはまだ孵卵器の中にあるタマゴと一緒だ。ヒナにもなれてないのに。……と、ツッコミどころが満載すぎて何も言えずにいた。とにかく、彼の横で予習など行えないという事だけは確認できたので、静かにテキストを閉じる。
「けどさ、めっちゃ美人やったよな……講師の先生。案内のプロフィール写真見た?」
……ソコは予習するんだ。
「いや、見てないけど」
「えええ!! 浩輔ちゃん、あかんがな。ソコはちゃんと見とかんと」
……ドコを見てんだよ。
「ホンモノはさらによかった。あ、受付に居たメガネの人やで」
あぁ、あの綺麗な人か。好みじゃないから、スルーしてた。
「オレ、めっちゃタイプやねん。ああいうグラマラスな体型」
そういえば、タイトな上下のスーツだったっけ。ダレが着てもグラマラス(?)なカンジに見えそうな服だけど。
「でも、かなり年上じゃない?」
「え? 浩輔ちゃん、年上だめ? オレ全然オッケー」
……なんでもOKそうだもんね。
「でも化粧も濃くなかった?」
「バーカ! あれは仕事用やん。絶対、素顔もイケてるって。しかも、いう事なしの超ぉ! 巨乳やで!」
大きな声をだして、両手で胸の形を再現し始めるもんだから、即行で松田の手を叩き落とした。
「イタいって。……何、こういう話。ダメ系?」
ダメとかそういう事じゃなくて、とにかく場所を考えて話して欲しい。
「こ、声が大きいでしょ」
「ゴメン、ゴメン、堪忍な」
……ボクだって男だから、そういう話は嫌いじゃない。だけど今、胸の話はマズイのだ。あぁ、ほら、せっかく忘れてたのに! 出てきちゃったじゃないか。 プリンビールさんの雄大な谷間の景色が……。
以前から名前がわからないのでコンビニの彼女の事をプリンビールさんと呼んでいた。もちろんプリンとビールを買うからだ。それでも、この前の事で距離がぐんと近づけた気がする。名前で呼べる日も近いんじゃないかと、これまた勝手に妄想しつつあるのだ。
い、いけない。いけない。とにかく、勝手に再生される網膜の映像を一時的にでも消去するために、目を瞑って精神統一を図る。消え去れ――。消え去れ――。
「え、浩輔くん。マジで怒ってる?」
うるさいな。無視だ。ムシ! 集中しよう。
「え、え、マジで? わぁ――、ゴメンて。ホンマゴメン」
見ると、松田が手を合わせて拝むように謝ってくる。あのさ、ちょっとでいいからさ。その口、詰むってくんないかな……。盛大なため息をついてしまった。
「三浦くん。お昼ごはんどうするの?」
メモを取っていた所で声をかけられた。先程、午前中の講習が終了して昼休憩に入ったのだ。顔をあげると、見覚えのある女性が3人並んでいる。胸の名札を確認した。
……春田さん。秋口さん。冬森さん。 ああ! そうそう、同期で数少ない女性入社の子達だ。季節3人組と覚えたはず。……おしいことに夏がいないんだよな。 ていうか、三浦って呼んだよね。みんな他人の顔と名前を覚えるのが早くない? ボクはもしかして出遅れてるのだろうか。机に伏せてある自分の名札を見ながら不安に思った。
「外に食べに行くでしょ?」
返事が遅れて彼女たちに催促された。
「え? ああ、うん。そうだけど」
「私たちと一緒に行かない?」
え? どういう事? 3人で行けばいいじゃないか。 何でボクを誘うんだ?
「ええっと、昼は松田くんと食べる約束してるんだ……」
してないけど、出しに使った。これぐらい許してくれるだろう。
「え? マツダって誰?」
えええ? ソコはわからないの? どういう事だ。
「ええっと、ほら、教壇の前で講師に質問してるヤツ」
「「「あああ!! アノ関西人」」」
三重奏になる。そのあとのクスクス笑いも見事に揃っていた。何だか感じが悪い。そのうち冬森さんが提案してきた。
「それじゃあ、彼も一緒に行こうよ」
ついでみたいに言われたので何だか腹が立つ。自分の事じゃないけど、しかも考え過ぎだと思うけど……でも、素直にうんと頷くには抵抗があった。
「彼がいいって言うなら……」
「やったー!!」 「よかった!!」 「うれしい!!」
松田の返事を聞く前に3人が喜んでいる。さらに不信感が募る。すると、肩を落とした松田がトボトボと席に戻ってきた。顔を上げた瞬間、目を剥いて驚いた表情をこちらに見せる。この状況にびっくりしたのだろう。
「あれ?!! 浩輔どうしたん? 美人に囲まれて羨ましい!」
三人が“きゃー”と喜ぶ。 バカバカしくなってきた。
「あ、あのさ……」
「みんなでお昼ごはんを食べようって話になったんだけど……松田さんもどう?」
自分で説明しようと話し出すも、出鼻をくじかれた。秋口さんが松田をダイレクトに誘う。……マズイ、そんな誘い方だと
「えええ!! マジで!! そんなん、ウェルカムやで」
やっぱり。……なんの抵抗にもならなかった。しかも4人で異常に盛り上がっている。それに反比例してボクの気持ちは異常に盛り下がっていった。……抜けらんないかな。
気持ちはついていけないが、とりあえず荷物を片して出かけられるようにした。季節3人組が先導して部屋を出る。
「ねぇ、マジで一緒に食べるの?」
前に聞こえないよう松田に耳打ちする。
「なんで? 超ラッキーやん。 浩輔の側におると役得やね。ホンマ感謝やで」
……意味のわからない礼を述べられた。仕方が無い。無駄な抵抗は止める事にした。先程の松田のようにトボトボと後を付いていく。……そういえば? 疑問に思っていた事を松田に聞いてみた。
「さっき、講師の先生に何を質問してたの?」
しかも、落ち込んで帰ってきたのはなぜなんだ?
「ん? あぁ、質問とちゃうよ。日曜日にデートに誘ってみてん」
「はぁあ?!」
あまりの答えにびっくりして大きな声が出てしまった。前の三人が振り返る。
「あ、何でもないよ。ゴメンね。」
慌てて適当に繕った。三人がまた楽しそうにお喋りを再開したのを確認して、小声で松田に詰め寄った。
「どういう事? デートって何?」
「え? ケーキバイキングに行きませんかって誘ってん。けど、アカンかった。甘い物嫌いやねんて」
はぁ?? まだ、セミナーが始まって数時間だよ! もう誘っちゃったの? 断られたら(ってまぁ、断られたんだけど)この後すごく気まずいじゃん!
「ケーキがアカンかったな。オンナはみんな甘い物が好きやと思てんけど……よし、今度は中華にするわ」
て、まだ頑張るの? 呆れて物も言えない。
「あのさ……たぶんあの先生、甘い物好きだと思うよ。講師だから体よく断られたんだよ。ていうか、受講生の誘いにホイホイ乗るような講師なんていないでしょう」
「え、マジで? う――ん。そうか、あかんか……」
普通、気付くよ。
それでもその松田の行動力の凄さに、少しだけ羨ましいな……と正直思った。自分ももう少し勇気と行動力があれば、プリンビールさんと仲良くなれたかもしれない……。いや、まだ間に合う。後3回はチャンスがある。とにかく今週の金曜日に名前を聞こう! 大丈夫! この前の彼女の笑顔が、ボクを後押ししてくれている。
「ねぇ、三浦くん! この先に美味しい生パスタのお店があるんだけど、そこでいい?」
振り返る三人。代表して春田さんが聞いてきた。……どうして名指し? 生パスタって一体何? 茹でてないの? 美味しいの? 食べ物にあまり興味がないので知識が浅い。助けを求めて松田に視線を送る。
「うぉ!! マジで!! 生パスタ大好き。もちもちして最高やん」
……最高なの? もちもちってパスタなのに? 前を見ると三人の視線が一斉にボクを刺してくる。 え? 何? ……思わずオロオロしてしまう。
「あ、え、い、いいんじゃない。そこで……」
同意した途端、やっぱり三人で喜びあい、意気揚々と歩き出した。
「懇親会の時から思ててんけど……」
今度は松田が耳打ちしてくる。
「浩輔、女の子ニガテなん?」
ドキッとした。……心臓を衝かれた感じだ。
「……あの。 そ、だね。……得意じゃない……かも」
ウソはつけない。けど、ダメダメってわけじゃない。まさにニガテぐらいだ。ただ、前を歩く3人組のように、キャピキャピした女子は特にダメかもしれない。
「彼女とかおらんの?」
ものすごく直球でプライベートな事を聞いてくる。その勢いに少しだけ怯んでしまった。
「い、いないよ」
「マジで? その顔でもったいないやん!」
は? 顔は関係ないでしょ! ちょっとだけイラっとする。たぶん松田は、ボクの女顔の事をからかいたいんだと思う。長いまつげと丸い猫目にクッキリついた二重。小学生の頃から散々、女の子と間違えられてきた顔だ。
特に嫌なのが、口角を上げるとどうしても見えてしまう八重歯だ。笑う度に吸血鬼みたいだとイジメられてきた。そのうち笑う事自体が苦痛になってしまった。
さすがに背が伸びて175センチを過ぎた頃にはあれこれ言われる事もなくなったが、それでもトラウマは消えない。未だに笑う事に抵抗を感じる。普段からマジメで無愛想だと言われるのは笑わないからだと分かっている。それでも引きつった笑顔を浮かべるよりマシじゃないかとここまで自分に言い訳をしてやってきてしまった。
……そのせいなのかな。花のような笑顔を浮かべるプリンビールさんに、途轍もなく惹かれてしまうのは。
「なんや、暗ろぉなって……イケメンにはイケメンの悩みがあるっちゅう事かいな?」
「は? イケメン?」
だれが? ……突然の質問に自分を見失ってしまう。
「贅沢な悩みや思うけど。僻んでもしゃーないしな。ま、あの3人はオレに任しときぃ」
ぜ、贅沢って何だよ!! だったら1回この顔付けてみてよ! どれだけ嫌な思いをするかわかるから!
明らかに怒ってみせているのに、笑っている松田。どこまでも他人を小バカにしている。そんなボクの気持ちも知らずに、松田は平気で話題を変えてきた。
「あ、そうそう。生パスタっちゅうのは、手打ち麺みたいなもん。乾燥させてへん“打ち立て”ってことや。……浩輔、知らんかったんやろ?」
え……? あ、そうなんだ。知らなかった。って、やっぱりわかってないのがバレてたんだ。 ちょっとだけ恥ずかしくなる。でも女子の前で言わないところをみると、松田は悪いヤツじゃないっていうか、むしろいいヤツなのかもしれない。
「女を落とすには、コレぐらい必要最低限な知識やで」
マジで? 超、大変じゃん。 自信がなくなる。っていうかはじめからないけど。
「まあ、浩輔は顔だけで充分やけどな」
だから、カオ、カオ、言うなよ!
「二人とも! 早く来ないとお店混んじゃうよ!」
かなり前に進んでいた3人組が振り返ってボク達を呼ぶ。
「すぐ行くでぇ!!」
足を速めながら、松田がボクに言う。
「浩輔は、男前やで」
初めてそんな事を言われたのでびっくりする。
「……オレの次に」
不覚にも久しぶりに、笑ってしまった。
ここまで読んでくださいましてありがとうございました。




