第十三話 グラム商会のご挨拶
量産が軌道に乗った頃、その男は、油のような笑みと共にやってきた。
「お初にお目にかかる。グラム商会・頭取、バルサックと申します」
六十がらみの、丸々と太った小男だった。仕立ての良い外套の下で腹が揺れ、短い指の全部に宝石の指輪が食い込んでいる。従者が四人、応接室の椅子が軋んだ。
グラム商会。王国最大の度量衡商だ。市場で使われる秤と升と物差しの、七割はこの商会が卸している。
ミアが露骨に眉を寄せたのは、彼女の市場監査で、この商会の卸した秤の「狂い」を何十件も見てきたからだろう。
癖で、俺のスキルが勝手に数値を並べる。体重百十二キロ。外套の仕立て代、銀貨六十枚――職人の月収の六倍。指輪十本の総額、金貨八枚相当。そして脈拍と発汗、ともに平常。
つまりこの男、これだけの札束を身にまとって、緊張のひとつもしていない。場数が、違う。
「いやあ、計量士殿のご高名は王都まで轟いておりますよ。国家基準の委嘱、おめでとうございます。つきましては本日、願ってもないご提案を持って参りました」
バルサックは、指輪の光る手で、分厚い契約書を滑らせてきた。
「貴殿の標準錘――あれを当商会で、独占販売させていただきたい。販路は王国全土、当商会の看板で売れば三倍の値がつきます。卸値は一組、銀貨十枚でいかがかな? 千二百組で銀貨一万二千枚。……金貨にして二百四十枚。宿屋の主人が二十年寝ずに働いて、ようやく拝む額ですぞ。ギルドの若い衆に、腹一杯食わせておやりなさい」
金貨二百四十枚。確かに、うちの台所事情からすれば天から降る大金だ。従者の一人が、追い打ちのように書類をもう一枚重ねる。
「加えて、当商会の販売網で扱う以上、末端の『調整』は当商会にお任せいただく。校正の巡回だの突き合わせだの、面倒な手順は省いて、と。錘に貴ギルドの刻印さえあれば、市場は信じますからな」
――ああ、なるほど。狙いはそれか。
欲しいのは錘じゃない。刻印だ。「計量ギルド公認」の名前だけを買い、中身の手順を抜く。
刻印付きの錘を商会が「調整」すれば、市場の七割の秤は、正確さの看板を掲げたまま、今まで通り商会の胸三寸で狂う。
二年前まで、ミアの親父の秤が狂っていたのと同じ仕組みが――今度は俺の名前で、王国全土に敷かれる。
「お断りします」
俺は、契約書に触れもせずに答えた。バルサックの笑みが、一瞬だけ止まる。
「……即答ですかな。金額のご不満なら」
「金額の問題じゃありません。あなたの提案は、錘から手順を抜く提案だ。手順を抜いた錘は、ただの金属の塊です。俺が売っているのは金属じゃない。『いつでも誰でも確かめられる』という状態そのものです。それは独占した瞬間に、死ぬ」
「……ふうむ」
バルサックは契約書を仕舞い、油の笑みを、す、と冷たいものに替えた。立ち上がった腹の陰から、値踏みの目が俺とミアを舐める。
「計量士殿。商いを二百年やっとる家の年寄りとして、ひとつだけ忠告を。市場というのはな、正しい秤で回っとるのではない。『信用されとる秤』で回っとるのです。……信用は、作るのに二年。壊すのは」
彼は指輪の指を、ぱちりと鳴らした。
「三日ですぞ。ご壮健で」
応接室の扉が閉まると、ミアが低く言った。
「師匠。あれ、宣戦布告だよね」
「ああ。しかも、たちの悪い方の。……全支部と全職人に通達だ。今日から、うちの刻印の管理を三重にする。それと市場部門は総出で、王国中の市場を見回れ。あの男は必ず、『三日で壊す』方法を仕掛けてくる」
その足で、俺は隣のギルド庁舎に、グレンダを訪ねた。隻眼の老ギルドマスターは、報告を聞き終えると、残った左目を針のように細めた。
「バルサックか。……あの狸は、儂が駆け出しの頃から狸だったよ。いいかい、坊や。あの手の商人と正面から殴り合っちゃいけない。金の量が違う。裁判をやれば向こうは法服の先生を十人雇う。値下げ合戦をやれば、向こうは十年赤字でも保つ」
「……じゃあ、どう戦えばいいんです」
「商人の土俵の、外で戦うのさ。あいつの財産は金じゃない、『七割の商人が黙って使ってる』という惰性だ。惰性ってのはね、疑いを知らないから続く。――だから、王国中の買い手に『疑い方』を教えてやるんだよ。疑い方を知った客は、二度と惰性じゃ買わない。あんたの得意分野だろう、それは」
疑い方を、教える。確かめる手順を、配る。
……なるほど、それなら俺たちの土俵だ。
「感謝します、グレンダさん。相場より安い助言だ」
「馬鹿を言う。今のは金貨十枚分の知恵だよ。ツケにしといてやる」




