第十一話 政治は、測りにくい
王都行きの馬車は、朝から硬い音を立てて街道を跳ねていた。
「師匠ー、緊張してる? してるでしょ。さっきから手順書、同じページを三回読んでるよ」
向かいの席で、ミアがにやにやしている。栗色のおさげを跳ねさせた小柄な体に、そばかすの浮いた頬。十五歳のくせに、人の顔色を読む目だけは市場の古株そのものだ。
「……しているに決まってるだろう。相手は財務卿と技術院総裁と、王都のお偉方だぞ。魔物の体重なら初見で測れるが、貴族の腹の中は測ったことがない」
「大丈夫だって。師匠の説明、あたしでも分かるもん」
俺、ロイド、二十六歳。灰色がかった黒い髪は今日も寝癖のまま、体つきは十年の荷物持ちで鍛えた中肉中背。顔は十人並み――と自分では思っている――だが、右手の中指のペンだこだけは、王都のどんな文官にも負けない自信がある。
用件は、先日届いた王国からの委嘱状だ。『国家計量基準の策定を、計量ギルドに委嘱したい』。
王国全土の、秤と升と物差しを統一する大事業。その正式な受諾手続きと、事業計画の説明のために、俺は代表としてミアを連れ、王都へ呼ばれたのである。
――そして王宮の会議室で、俺は早速、思い知ることになった。
「――つまりだ、計量士殿。基準原器の保管は当然、王宮の宝物庫となる。『王家の秤』の名で公布し、管理も王家の官吏が行う。貴殿らギルドには、製作の下請けをだな」
金糸の上着を着た財務府の高官が、当然のようにそう言った。会議室の長机には、財務卿、貴族院の代表、そして末席に白髪痩身の老人――技術院総裁。あの「夜も眠れずにいる」の走り書きの主だ。
総裁だけが、面白そうに黙って俺を見ている。
「恐れながら、それでは意味がありません」
俺は、用意してきた通りに切り出した。
「基準を宝物庫に仕舞えば、基準は死にます。王都の商人が秤を疑ったとき、辺境の親方が升を確かめたいとき、宝物庫の扉は開きません。基準は、使われる場所の近くに、網の目のように置かれて初めて生きる。ギルドの支部網と、育成した計測士による巡回校正――俺たちが提案するのは、生きた基準です」
「ふん。つまり、王家の権威より、野良ギルドの網を信じろと? だいたい貴殿の錘とやらが正確である保証は、誰がするのだ。貴殿のスキルは貴殿にしか視えぬのだろう? 貴殿が死ねばどうなる。貴殿が嘘をつけばどうなる」
痛いところを、突かれた。その通りなのだ。俺のスキル【森羅計量】は、俺にしか視えない。
「正しさ」の根拠を俺個人に置く限り、この事業は俺の寿命と信用の上にしか立たない。だからこそ手順を作ってきたのだが、それを言葉にしようとして――政治の場の言葉が、出てこない。
沈黙を破ったのは、隣の小さな挙手だった。
「あの! 発言、いいですか。メルガのパン屋の娘で、計量ギルド市場部門筆頭、ミアです」
「な、なんだね君は……まあ、よい。言ってみたまえ」
「ありがとうございます。……あのですね、お偉い様。あたしの親父の秤、二年前まで狂ってたんです。親父は正直者なのに、秤が三十グラム重くて、知らずにお客を騙してた。師匠が直してくれて、うちの店は『目方の正直なパン屋』って評判になって、客が倍になりました」
ミアは、懐から古びた分銅をひとつ、机に置いた。
「これ、そのとき師匠が置いてった校正済みの錘です。あれから二年、あたし毎朝これでパンを量って、月に一度、ギルドで突き合わせてます。師匠のスキルなんて、あたしには視えません。でも、この錘と、突き合わせの手順は、あたしの手の中にある。……師匠が明日いなくなっても、あたしは明日も正しいパンを売れます。それが師匠の言う『網』です。宝物庫の錘は、あたしのパンを一グラムも正直にしてくれません」
会議室が、静まり返った。
やがて末席から、乾いた拍手がひとつ。技術院総裁が立ち上がり、老いた目を細めて言った。
「……財務卿。三十年、儂は『正確さとは何か』を考えてきたが、今の娘の答えより良いものを聞いたことがない。技術院は、ギルド網方式を支持する」
採決は、僅差でこちらに傾いた。帰りの馬車で、俺はまだ呆けていた。
「……ミア。お前、今日の演説の説得力、数値化したら俺の三倍はあったぞ」
「でしょ? 師匠、政治ってね、たぶん秤と一緒だよ。難しい理屈より、パンが一個、正直かどうか」
十五歳の筆頭に、俺はこの日、政治の測り方を教わった。




