25) いたずらねずみと無力感
トゥリは、アステルにほとんど会っていない。およそ、ふた月ほど。
(流石のアステルも、私に愛想を尽かしたか?)
そう思っていると、城に勤める者たちの噂話を聞いた。
「シンシア妃の体調がすぐれないようだ」
「そうか、やはりネズミではそうは持たないな」
「準備をしておかなければなるまい」
(準備? 何の準備だ)
普通に考えれば喪に服する準備ということになるのだろうが、彼らの話ぶりは何か、違った趣きがあった。まるで、シンシア妃の死を期待するかのような趣きが。
(昔の私でもあるまいし)
昔、トゥリは、アステルを怒らせるには『シンシア妃を殺すのが手っ取り早い』と考えたこともあった。けれどアステルやシンシア妃と関わって行くうちに、そうは思わなくなったのだ。
(アステルを直接、怒らせることに成功したときのほうが、ずっと達成感があるからな)
そんなさなか、トゥリは城内でアステルを見かける。慌てて追いかけて捕まえたアステルは、がりがりに痩せている。ほぼ、骨と皮だけだ。
「アステル様?」
「ああ、トゥリフェローティタ。久しぶりだね」
いつもどおり、トゥリを見ると優しく微笑むも、その微笑みはどこか弱々しい。
「どうしたんですか? そんなに痩せて」
「うん? ぼく、痩せてる? そんなことないよ」
まるで現実を捉えていないかのような返答だ。話が噛み合わない。
「心配かけてごめんね、大丈夫だから」
トゥリは、サンドイッチをつくってアステルのところへ持っていく。
(また、不味いと言われそうだな)
けれどアステルは、困った顔をした。
「トゥリ、今ぼく、食べられないんだ」
「何故?」
(頑張って作ったのに)
眉をひそめたトゥリの腕を、横から誰かがつかむ。
「トゥリフェローティタ、ちょっとおいでよ」
ミーロは、トゥリを引っ張ってミーロの部屋まで連れていく。
テーブルの上のサンドイッチを指さす。
「これって、毒は?」
「入れていない」
信頼できないのか、ミーロは魔術でもチェックする。その後、大丈夫と信じると、トゥリの作ったサンドイッチを勝手に食べ始める。
「このあいだのお菓子よりも美味しいよ、トゥリフェローティタ」
トゥリは、激怒する。
「ミーロのために作ったのでは、ない!!!
アステルのために作ったんだ!!!」
「まあまあ……そんなに怒らないで。
父様、なんにも食べないよ。果物のかけらをルアンおじさまに口に押し込まれても、吐き出しているくらいなんだ」
「え……?」
「よくあることだよ」
「よくある?」
(あんな、骨と皮だけの状態が、よくある?)
「母様の食が細ると、父様も食べなくなるんだ。
『シンシアが食べていないのに、食べられない』って言うんだ。
母様がどんな生き物でも、老いて衰弱していく場合は、いつもそう」
「でもそんな、あんな……死ぬだろう?」
「死ぬし、死なないんだよ」
「……」
「父様の体は限界を迎えると、もとにもどる。
父様にとっての『致死的である』というのは、『回復する』ということなんだ。
元気になって、また、食べなくなって、元気になって――の繰り返しだよ。
でも、元気になったのは『食べたから』じゃないんだ。ある意味では、『死んだから』なんだ」
トゥリは部屋でひとり、考える。
トゥリはずっと、アステルの死体に憧れてきた。
(でも……私が欲しいのは、美しいままに殺された『綺麗な状態の死体』なんだ。
そんな痛々しい理由で、骨と皮だけになったアステルの死体ではないんだ)
トゥリは、だから、トゥリのためにもアステルは食べるべきだと考えた。けれど、あれだけ距離の近いルアンでも成功していないのに、ただの一介の魔物であるトゥリが――どうやって食べさせることができるだろうか?
(まあ、そうか、でも……シンシア様はネズミだから、寿命が短い。
きっと、近々お亡くなりになる。
そうしたらアステルは、また食べるだろう。
私の、アステルの綺麗な死体への憧れも、また戻ってくるんだ)
(そうか……あの、噂話をしていた魔物たちも、きっとあんなアステルを見たくないから。
シンシア様の死と転生を願って、あんなふうに)
トゥリはそう自分を納得させると、すこしホッとして。ため息をついて、あたたかな毛布に包まれて眠った。
トゥリフェローティタは、悪夢を見る。
悪夢の内容は、覚えていなかった。
ガバッと起き上がり。
以前、悪夢を見たときにアステルの部屋を訪ねたら、あたたかなお茶を淹れてもらったことを思い出す。きっと、今、アステルの部屋に入ることは叶わないであろう……とわかりながらも、眠れず。
トゥリは、深夜の城を、うろうろする。
カラカラカラカラ。
回し車の音に、トゥリは驚く。
シンシア妃の部屋の扉は少し開き、明かりが廊下に漏れ出ている。
アステルがいるのかと思い、部屋に入るも――いない。ただ、回し車の音が。カラカラカラカラ。
ガラスの箱のなかでは、シンシア妃が、元気よく回し車を回している。
(体調を崩しているんじゃ――)
トゥリフェローティタが近づくと、シンシア妃は回し車をとめる。ささっと身を隠す。
トゥリは、きょろきょろと探す。
「あれ……? シンシア様……?」
シンシア妃はなんと、いつだかのように、床の上を冒険している。
「えっ あれ!? ミーロのやつ、また……」
シンシアは宝物部屋に潜り込むと、ガラスの箱が置かれたテーブルの上に、紫色の魔石を持ってくる。
シンシアは紫の魔石に触れる。すると、魔石から青い芽が出て細いツルが伸び、白く美しい花が咲いた。
「これは、アステル様からのプレゼントですか?」
シンシアは愛らしい仕草をする。
(本当に可愛いな……)
シンシアは次に、赤い魔石を持ってくる。
テーブルの上に、口にくわえた魔石を置くと、小さな前足でタッチする。
ぼおおおおっと炎が出て、シンシアは慌てる。テーブルの上を、逃げ惑う。
「あははっ 死にますよ、シンシア様……」
冗談にならないはずの言葉が冗談に聞こえるほど、シンシアは元気だ。
(よかった。これでなにも問題はない、アステルも元気を取り戻すはずだ)
トゥリは明るい気持ちで、シンシアが次の魔石を持ってくるのを見守る。
シンシアは、白い魔石を持ってくる。
白い魔石に触れたシンシアは、変化する。
20歳ほどの、美しい女の人になる。癖のある長い白い髪。白い肌に白いドレスを纏った、肖像画通りの女性だ。
トゥリは、惚れ惚れする。
(美しい……)
けれど、シンシアの美しさに。
トゥリの体は震えはじめる。
カタ、
カタカタ、
カタカタカタカタカタカタ……。
暗闇の底から来るような恐怖が、トゥリの心に溢れかえるのを見て。
シンシアは、青みがかった灰色の瞳を細める。
『あはは』
目の前のシンシアからではなく、トゥリの記憶の底から、シンシアの笑い声がした。
トゥリは私室のベッドの上で、目を覚ます。
体が、氷のように冷え切っている。
(夢……?)
魔王城が騒がしいことに気づく。
トゥリフェローティタは、不安になる。
着替えをし、部屋を出る。廊下を慌ただしく行き交う魔物のひとりにわけを聞く。
「シンシア妃が亡くなった」
「え……?」
トゥリは、騒がしい城を歩く。
アステルの部屋につながる廊下に向かう。
廊下の入り口で、近衛兵ふたりに足止めをくらう。
「おまえがアステル様に会えるわけがないだろう」
「アステル様はシンシア妃が亡くなると、しばらく誰にもお会いにならない。いや、なれないんだ」
「つか、危ないからこの先には行くな、な?」
トゥリは、廊下の先に行けない。
けれどトゥリは、アステルの慟哭を聞く。
この世の悲しいことを煮詰めたような叫び声で、シンシアを呼びながら、アステルが泣いている。
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、シンシア、置いていかないで、シンシア」
トゥリは、居ても立っても居られなくなる。
神聖力で近衛兵を気絶させようとする。
が、アステルの近衛は強く、拘束されてしまう。
「どうする? アステル様に判断を仰げない」
「とりあえず牢屋にぶちこんどくしかないだろ。今のアステル様に近づけたら、こいつが危ないし」
トゥリは床の上で拘束されながら、廊下の先、閉められた部屋の扉を見つめる。
(私がいなくても、あの部屋のなかには、ルアンとミーロがいる。いるはず。
だから、大丈夫なんだ。
私は、いらない)
「もう嫌だ、こんなこと、嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、シンシア、シンシア、起きて」
いつものアステルの笑顔と、シンシアの死に取り乱して泣き叫ぶ声が、合致しない。
(本当に……?)
トゥリは、無力だ。
投獄され、慣れ親しんだ牢屋にいる。
牢屋は遠いから、何も聞こえない。
魔王城の騒がしさもわからない。
けれどトゥリの耳に、廊下で聞いたアステルの声が、こびりついて離れなかった。
今まであんなに、アステルの泣き叫ぶ声が聞きたかったのに。
(聞きたかったのは、あんな痛々しい声ではない)
(私の暴行に苦しむ声が聞きたかったのであって、あんな、あんな声が聞きたかったわけではない)
牢屋番が、「おまえが来るときには、この毛布を出せってアステル様に言われてるからなあ」と、いつものふわもこ毛布を渡してくれた。
トゥリフェローティタは、アステルのくれたふわふわの毛布に包まれて眠る。
アステルは眠らないであろう夜に。
トゥリは、なぜか涙がでてきて、ぬぐってもぬぐっても涙がでてきて、牢屋番に見られないように、毛布をかぶって、まるくなる。




