兄弟
「霰!くっそなんなんだ!どうしたんだよ鬼人!」
圭は怒鳴りながら霰を担ぎ、香織の横へ下ろす。
「おい、始めんぞ」
蛟はニタアと笑い、距離を詰めてくる。圭は間一髪で鈴を庇い、蛟の攻撃を受ける。
「圭!」
鈴が叫ぶ。圭は少し流血していた。
「鈴、一夜のところ行っといてくれ!ここにいられたら庇える自信が無い」
「でも、血」
「大丈夫だから!はやく!」
鈴は言われるままに一夜のもとへ走っていく。
「一夜!鈴を頼んだ!」
「わかった、圭君!無理はしたらあかんで!」
そういって神崎は再び祝詞を唱え始める。そして言葉が浮かび上がり、鈴と神崎の周りを埋め尽くしていく。
「何これ?字が出てくる」
鈴はぱちぱちと目を開け閉じさせながら驚く。
「特殊結界や。俺が状態異常にならんかぎりは安全やで…ただ」
神崎は圭がいる方角を向く。
「ここから俺らは動かれへんくなるから、助けにもいかれへん。待っとくしかないねん」
「わかった、私、圭たちが無事なように願ってるよ」
鈴は両手を組み、目を閉じてそう言った。
「お前の目つき、天真そっくりだなあ」
蛟はケッと言いながらそう言う。
「お前、なんで人の身体使ってひでえことするんだ!」
圭が蛟を殴る。蛟は少しよろけて、圭を睨む。
「なんでって、俺の身体が今までなかったからだよ」
蛟は圭を思い切り蹴る。圭は地面に倒れる。
「俺は天真に斬られ、今もこんな人間みてえな身体しか使えねえしよ」
手をぐぐっと握りしめ、眉間に皺を寄せる。人間の姿に対してあまり好感を抱いていなかった。
「この姿になれたのも、酒呑童子様が復活したからだ」
酒呑童子は茨木童子と共に社の中で座っている。語り合う二人をみて、蛟はニタッと笑う。
「二人が揃った今、お前らに勝機はねえ」
「はっ、そんじゃお前は雑魚だな」
圭は鼻で笑い、そう嘲る。
「てめえなんつった?」
蛟は眉間をピクピクさせ、圭を睨みつける。
「あいつらがいないお前は弱いってことだろ?」
圭は威勢よくそう言って蹴りかえす。蛟は尾を出し、蹴りを和らげようとするが、間に合わず攻撃をくらう。
「オレはお前のことが許せねえ」
天真を乗っ取り、圭太を殺し、社神を謀った男。天真を自刃させるほどまでに追い詰めた男。
前世なんて自分には関係の無いことだと思っていた圭だったが、今回のことはどうにも許せなかった。
前世ではおさまらず、現世にまで渡って攻撃されることに圭は憤りを感じていた。
「お前ら二人が気に食わねえ、偉そうに説教垂れてんじゃねえよ、人間風情が」
蛟が叫んだ瞬間、冷気が漏れだす。それは哀しいほど冷たいものだった。
「圭、これ以上はお前がもたないだろう。俺に代われ」
懐かしい声が聞こえた。圭太だった。
「任せたからなっ!」
圭はそういって、圭太と代わる。
圭の髪は小豆色に変わり、橙色の目が開かれる。その姿はかつての圭太そのものだった。
「圭太……」
天真は圭太を見て、思わず名前を呼んでしまう。
「兄者」
圭太は天真をまっすぐな瞳で見つめる。
「圭太、俺……」
「兄者も社神も長生きされてるようで何よりだ」
圭太はニッと笑う。天真は深く頭を下げる。社神も隣で同じく頭を下げる。
「元凶は兄者ではなかったようだ」
蛟をまっすぐ見つめ、口を開く。
「お前はあのとき俺が討った大蛇で間違いないな」
はあ、とため息をつき、圭太は社へ突き進む。
「俺はこっちだ!クソ野郎!」
蛟が罵るのを耳に入れず、酒呑童子たちのもとへ向かう。
「なんじゃ己」
酒呑童子は圭太を見つけて口を開く。
「……混沌としているな、いつの時代も。主らに用はない、失礼した」
圭太はそういって酒呑童子のもとを離れる。
圭太はそのまま社の奥へ入り、刀を持って社を出る。
「誰が勝手に持っていっていいと……」
酒呑童子は身を乗り出し、圭太に掴みかかろうとする。刹那、とてつもない熱気が酒呑童子を包み込む。
「これは俺のんだ。それともまだやる気か?」
焼け死にそうな熱気に動きがとれない酒呑童子は黙って食い下がる。
「じゃあな」
圭太は再び蛟の元に戻ってくる。蛟はニタッと笑っていた。どうやら圭太との本気の戦いを心から楽しみにしているようだった。
「始めるか」
「威勢がいいのは今だけだ、クソ野郎」
蛟は悪態をつきながら、圭太目掛けて何やら針状のものを吹きかける。
「痺れるやつか……鬱陶しい」
圭太は一つ一つ入念にかつ素早く避ける。
「俺はお前が気にいらなかった!」
蛟は舌で短刀を取り出し、圭太の喉に突き刺す。
「ぐ……ばあ……」
喉の左端に貫通し、圭太は声がうまく出せない。
「何度殺しかけても天真を恨まず、死んだお前がな!」
圭太は短刀が刺さったまま、蛟を蹴り飛ばす。
「俺は……兄……が…だ…た」
圭太は起き上がろうとする蛟に馬乗りになる。
滴る血がボトボトと蛟の着物を汚していく。
「兄者……が……憧れ……った……」
ー
「圭太、これを見てくれ」
天真は圭太に巻物を見せる。
「兄者、これは何の話だ?」
二人は絵巻を読む。それは男二人がバケモノを倒す話だった。
「異国の民と山村の男が酒呑童子を討伐したものだ」
「この二人、兄弟みたいだ」
そうだな、と天真は相槌を打ち、絵巻をなおす。
「俺たちもこんな風に戦えられたらいいなあ」
「うん、でも平和が一番だ」
兄者は優しかった。才色兼備で、従者にも優しくて、そんな天真に圭太は憧れた。
だが。
ある日、兄者は変貌した。優しかったかの姿は消え失せ、冷酷な、無慈悲な男がそこにいた。
「圭太、書が上に出てないと聞いたぞ、どこだ」
俺は間違いなく出した。ということは兄者が謀ったのではないか?
「兄者、俺は出したよ、確認してくれ」
「気安く話しかけるな」
冷たくあしらわれ、感情のこもっていないような二つの丸が圭太を見る。
「……兄者」
「もうよい。さがれ」
天真はそう言って御簾を下げる。
圭太は変わってしまった兄を見て、ただ哀しさを覚えた。
あの時話していた話をもう忘れてしまったのだろうか。
いっそこの兄者が、やりとりが、夢だということはないのだろうか。
胡蝶の夢にあるように、夢がどちらだったのかがわからなくなるほど、圭太は考え込んでいた。
「圭太、無理はしないで」
従者にも心配させてしまう己に嫌悪を覚えた。
俺は心のどこかで、兄者を……あのときの兄者を探しているのかもしれない。
そんなとき、俺は兄者に大蛇退治を頼まれた。そのとき、これで蛇を倒せば、兄者も前のように優しくなるのではないか?そんな甘い考えを捨てきれずにいた。
「俺が大蛇を倒してくるよ」
そう、あのとき大蛇は倒した。代わりに大きな呪いを受けてしまったが。それでも、兄者に認められるならと、圭太は臥せってもなお兄の天真のことを想い続けた。
夜明けに兄者が刀で俺を突き刺した。兄者は泣いているように見えた。
そのとき俺は理解した。兄者は何かに乗っ取られていたのだと。
ー
あのときの俺は非力だった。だから、兄者も、鈴羽も助けられなかった。
「はっ、威勢がいいのもここまでってわけだ」
「……を…………る……な」
「はあ?」
蛟は笑いながら圭太を睨みつける。
「もう誰も……!傷つけるな!」
圭太の喉の傷を炎で焼き、蛟さえも燃やす。
「ぐあっ、お前どこからこんなん……!」
むせながら、蛟は問う。
「頼まれたんだ、黄泉の国の女から」
ー
「黄泉の国から出た妖がいるの、あなたなら……きっと倒せる」
小豆色の髪が揺れる。
「私の仲間も、そこにいる。私にもう会える権利はないのだけれど」
「貴女は……?」
「私はユリ。鬼の子だった……と言えば伝わるのかな」
噂で聞いたことがあった。山村には鬼の子と神の子がいると。
「私の仲間は……あなたの生まれ変わりと共にいる」
儚く笑う様子は、どこか鈴羽と似ていた。
「わかった、貴女は俺の大切な人に似ている。貴女の幸せが、彼女の幸せになるのなら……」
「なら、これを。古の炎は古の妖を焼き尽くすことができるわ」
門は閉じる。ユリは門の向こうで揺らいで見えた。
ー
「俺はこの炎でお前を焼き尽くす!」
「うわあああああ!ぐあああ!」
蛟が焼かれていく。白の炎はどこか温かさを感じるようだった。
「俺は……妖……神……違う!俺、俺は……人間……だった……?」
蛟の鱗が剥がれていく。その姿は圭そっくりだった。
「お前……俺……は……」
酒呑童子は蛟の目を塞ぐ。
「まさかここまでとはな。神子以外にも強き者がいたことを、この酒呑童子、覚えておこう」
圭太は酒呑童子を睨む。
「待てよ!蛟をどうするつもりだ!そいつは俺の敵だ!」
「記憶を取り戻されてはおれが困るからな。行くぞ、茨木童子」
記憶。酒呑童子は確かにそう言った。
「くっ……深追いはできない……か」
圭太の身体は既に限界だった。
「圭君!今大きな音したけど、無事?」
神崎と鈴が結界から出てくる。二人は目の前の圭太の姿に驚く。
「あれ!?圭太じゃん!圭は?」
「もう俺は消える……安心してくれ、傷はじき癒える」
圭太はじっと鈴の顔を見つめる。
「綺麗だな……」
「へ?」
鈴羽は、死ぬときに何を思ったのだろう。圭太にはそれがずっと気になっていた。
けれど、鈴を見て、どこか安心することができた。
「敵は手強い。一枚岩ではなかった」
「どういうこと?」
神崎は問う。圭太は眉をしかめて口を開く。
「奴らにも何か隠されていることがあるのだろう。敵には変わりないがな」
圭太は気絶した香織と霰を見て、ユリの言葉を思いだす。
「そうか、この二人が……」
不思議な縁もあるのだと、少し微笑む。
「圭太」
天真が圭太を呼ぶ。
「巻物のこと、覚えてるか?」
天真が覚えていたことに、圭太は嬉しく思う。
「覚えてるよ、叶えてくれよ、兄者」
俺じゃなくて、俺の生まれ変わりの圭になってしまったけれど。
妖に憑かれた人間と、人間の寿命は違う。それでも、きっと。
「じゃあな」
圭太の姿は泡沫のように消え、圭が目を覚ます。
「んお?終わった?」
「うん、とりあえず、天真君も含めて家に戻ろか」
神崎はそういって霰を担ぎ、家に向かう。
「ありがとう、圭太」
天真は社を後にし、そう呟いた。