心に刻んだ夢を
霰は寝室で、眠る前に考え事をしていた。
俺は約束を守れなかった。
香織を危険に晒さないという約束も、少女と交わした、門を開けない約束も。
こんなに悔しいと思ったのは、初めてだった。
目の前にいたのに。俺の力不足がこの結果を招いた。また親父に叱られるだろう。
……親父か。昔は若いのに俺と陸を育ててくれていた。身体が弱い母さんの分まで、本当に好きな父親だった。
母さんが死んでからは、上の犬に成り下がってしまった。
いつも過去を振り返るのはやめているのに、今日は止まらなかった。
そうか。親父にとっての母さんは、俺にとっての香織だった。
愛する者を失くした人間の末路。そう考えるのは難しくなかった。
もし……香織がそうなったら。
霰はそう考えただけでも気が滅入りそうだった。
そういえばしばらく家に帰ってない。陸や親父は元気だろうか。実は親父があのとき、家から出て見送ってくれたことは、少し嬉しかった。
子へのそれなりの愛情をまだ持っていた、あの冷酷な親父が。そのことに霰は少し喜んでいた。
別に、今のこの状況が嫌なわけではない。友達と話すのは楽しい。
それに、前世の一件のことも。昔から縁があった。色々と捻れた話もあったが、得たものもあった。
ただ、この状況をどこか一人で客観視している自分がいた。
それは恐ろしいとか、冷たいとか、そう言った感情がないからではない。
状況を上手くのみ込めていないからではないかと感じた。
霰の前世はシダで、レンが干渉していて、それに加えもう一人何かが入り込んだということ。
圭たちの前世は夕暮れに対峙した男に殺されたこと。
そう、それはやりとりの上でわかっていた。
だが俺はこれから何をすればいい?
霰は、自分がこの先どうするべきかを決めかね、悩んでいた。
天真と社神は、聞く限り強敵だ。それに、もし香織が怪我してしまったら?取り返しのつかないところまでいってしまったら?
想像するだけでも、嗚咽しそうになる。そんなことになってしまったら、霰はきっと後悔と自責の念でどうにかなってしまうだろう。
だが倒さないという選択肢はない。
いつ脅威として襲ってくるかわからない。いずれにしろ、仲間が怪我を負ってからでは遅い。
力が、欲しい。
仲間を護れるだけの力を。
世界や国、なんて大きいものは背負わなくていい。
仲間を。仲間だけでいいから。護りたい。
霰は切に願う。
つかの間の平和、安息だとしても。それで仲間皆を護れるなら。
そんなことを考えているうちに、霰は眠りに落ちてしまった。
ー
一方、神崎たちが寝ている神社には、一人の女が訪れた。
神崎は人影に気づき、灯りをつけて、寝間着のまま母屋から出た。
そのまま社の方へ向かい、来客と対面した。
「夜分遅くにすみません」
その声は、夕暮れに聞いた声だった。
「社神さんか?こんな夜更けにどないしたん」
神崎は特段驚くこともなく、社神が神社に訪れた理由を訊ねた。
「本当に、ごめんなさい」
額を地につけて、社神は謝る。
「いやいや!とりあえず、顔上げて!な?」
神崎は慌てて顔を上げるようにいう。
「わたくしは、天真様のことを何もわかっていなかった」
ほろほろとこぼれた雫は頬をつーっとつたい、袖に溶けていく。
やがて袖は重く濡れていく。
「……とりあえず、こっちきい」
神崎は、社神を客室に案内した。社神は星座を少し崩した状態で座っていた。
「まあ、これ飲み。……心配せんでも毒とかは入れてないで」
社神は出された緑茶を少しずつ飲んでいく。
飲み干した後、そっと茶碗を起き、虚ろげな口を動かした。
「わたくしが仕えてきた天真様は、ある日から蛟に囚われていました」
「蛟は、己を討たんとする天真様を強く憎み、天真様の弟君を殺した」
圭太は天真ではなく、天真の皮を被った蛟に殺された。そう言い換えができた。
天真はそのことを深く悩み、自身を責め、そして今日全てを社神に打ち明けた、とのことだった。
「助けてって、どういうこと?」
社神は神崎の問いの真意がわからなかった。
「え……」
神崎は続けて話した。
「天真を助けるということは身体を蛟から引っぺがすんや。でも天真はもともと古の人間、おそらく即死や」
「そんな……」
「生半可な情で戸惑ってると、今度は皆殺される。天真は自分が一番許せないことを自らの手ですることになる」
天真は社神に生きろと言った。たとえそこが自分がいなくなった世界であろうと。
神崎は天真の言いたかったことをきちんと理解していた。
「わたくしは……」
「うん」
「天真様の術者ですから。……天真様の命令はいかなるときにでも聞かんとだめですね」
「覚悟決めたんやな」
社神は静かに頷いた。
「思えば天真様は昔からいつも無茶ばかりして……その度に何度手を焼いたことか」
懐かしみながら、一つ一つ語っていく。その姿には以前の禍々しさなどはなく、普通の女の人と何一つ変わらないようだった。
「圭太はんもいてはったなあ。兄弟揃って破天荒な方でした。それにしても鈴羽とわたくしが姉妹と聞いたときは驚きましたわ」
神崎は社神のその一言に驚いた。
「え?鈴羽と社神さんは姉妹やったん?」
「そうみたいです。先ほど天真様から聞きました。わたくしは捨て子でしたので知らんかったんです」
「それ本当!?」
鈴が客室の襖を開けて、入ってくる。
「鈴ちゃん起きてたんか」
「さっき物音がしたから……それより今までの話は」
鈴は神崎の後ろに隠れながら社神に問う。
「本当です。もちろん信じられへんのも無理はないです」
鈴は神崎の横にちょこんと座り、社神をじいっと見る。
「……あのとき圭太が天真に殺された記憶を見たとき、とても悲しかった」
「つらくて、どうしてあんなお人好しが殺されないといけないんだろって」
社神は黙って聞いていた。
「でも、天真も何者かに操られてたんでしょ?」
「蛟です。圭太はんの前に、天真様が討伐しに行ってたんです。そのときに……」
「このままじゃ、圭太や天真がかわいそうだよね。私……頭良くないからわかんないけど」
すっと立ち上がり、社神の前で立ち止まる。
「その元凶を断ち切らないといけないと思う。天真やあなたのことは、そのあともう一回聞くから」
「鈴ちゃんはそれでいいねんな?」
神崎は鈴に尋ねる。鈴は首を縦に振った。
「一夜君が言ってた意味がわかったよ。こういうことだったんだね」
「俺も確信が持てなかったから、踏み込まれへんかってん。ごめんな」
鈴は神崎の頭を撫でた。神崎は少し驚く。
「一人で悩まないでね、私たちは一人じゃないんだよ」
苦い顔をする鈴を見て、神崎は驚く。
「うん、ありがとう」
「それではわたくしは一度帰らせていただきます。この度は本当に申し訳ないことをしてしまって……本当にごめんなさい」
「待って!泊まっていったら?」
帰ろうとする社神を鈴が止める。
「わたくしが怖くないんです?」
「今は怖くないよ。それに向こうに戻ったら、殺されるかもしれないでしょ」
蛟が社神を殺さないという保証はどこにもないわけで。
敵意がないなら、こちらに留まってもらおうという意見であった。
「それではお言葉に甘えて、ありがとうございます」
社神は深々と頭を下げ、泊まることにした。
そこで鈴は社神の身体に傷や汚れがあることに気づく。
「お風呂、入ってくる?」
「お風呂……?とは?」
「えっ!?知らないの?入ったこともない?」
「湖で身体は洗ってました」
鈴はとんでもない事実に驚く。
「じゃあさ、一緒に入ろう!」
社神の腕を引き、風呂の用意をする。
「一夜君!社神の着替えの服持ってきて!」
「き、着替えって……どれ持っていけばええの!?」
「なんでもいいからー!」
そう頼んで、風呂に連れていった。
ー
社神は、鈴のことを緊張感のない娘だと思った。
というのも、先ほどまで対峙していた相手と行動を共にするなど、考えられなかったから。
「社神めっちゃ細いね!羨ましいなあ」
そう言いながら、社神の手を引き、シャワーの前まで連れてくる。
「ここ、一夜君の家なんだって、すごく広いよね〜!あっ、ここをひねるとお湯が出るから、それで洗ってね」
言われたとおりにする。身体を洗い終え、湯船に入る。
「……社神さあ、天真のこと好きだったの?」
鈴はいきなり切り出す。社神は顔を少し赤らめて、下を向いた。
「どうでしょう。好きやったのかもしれへんなあ」
はっと口を抑える。
「いいよ、崩した口調のが話しやすいでしょ?」
「……天真様が、いつか元に戻る日があるなら……」
「私も協力するからね」
鈴はにっと笑い、そして風呂を出た。
「天真様……」
「あっ待ってください、わたくしも出ます」
社神は鈴を追って湯船から出る。
「ふう、とりあえず持ってきたけどこれでええの?」
神崎は脱衣所の手前でそう尋ねる。
「うん!ありがとう!」
鈴は持ってきた着替えに着替え始める。
「わたくしの服は……」
「あっ待ってね!」
「いえ、とってきます」
「え!?ちょ、服!」
社神はそのままつっきって、服を取りに行く。
「えっ社神さん裸…!」
もちろん神崎は焦り目を隠す。
「まあ、持ってきてくれはってんな。ありがとうございます」
社神は平然として着替えをもらっていった。
「え!?裸のままでとってきたの?」
「いてはるとは思わなくて。ふふ、やってしもうたなあ」
特に気にしていない社神を見て、鈴は驚く。
「さてと、お風呂まで貸していただきありがとうございます」
「今日は私と客室で寝よ!」
「ありがとうございます、でも悪いからわたくしは一人でいいですよ」
気を遣わせてはいけないと思い、そう断り、一夜が過ぎた。
「おはよー!」
朝一番に起きたのは圭だった。
「おはよう圭!」
鈴が珍しく早く起きていたので、圭はびっくりする。
「え?早くない?」
「そんなことないもん!」
「おはようございます」
社神が起きてきた。
「あ!エロ女」
「え……」
圭の発言に鈴はドン引きする。
「いや、あいつ敵だろ?オレなんかよく分かんねえけど操られてたし!」
「その度は申し訳ないです、もう解いたので安心してなあ」
「色々事情があって、一緒にいるの!」
そういって事情を簡単に説明する。
「ふーん、じゃあよろしくな!」
「よろしくするんかい」
神崎がツッコミながらやってきた。
「香織ちゃんと霰君にはもう説明しといたで」
「そういや二人は?」
「それがやな、聞いて。霰君が香織ちゃんを呼び出して、今神社の裏におる」
「ええー!」
鈴はびっくりして、はしゃぐ。
「コバは?」
圭は神崎に問う。
「あれ?コバ君来てない?」
「ここにいるよ」
コバは神崎の肩を後ろからポンッとたたく。
「おっびっくりした!」
「香織から社神のことは聞いたよ、今霰と香織はなんか話してるっぽいから先に来た」
「霰、とうとう香織に告るのか?」
圭はにたっと笑いながらはしゃぐ。
ー
「話って、何?」
香織は霰に問う。
「香織……」
「お前、俺に何か隠してないか?」
「……」




