みずち
「お?こっちか?鬼人」
霰は鬼人に道を尋ねる。
「そっちから降りると早いが……茂みになるぞ」
「おー、わかった、俺はそれでもいいや」
「ならそっちから降りようか」
鬼人は茂みをかき分けて、霰を通りやすくする。霰は香織を背負って歩いているので鬼人の行動に感心する。
「神崎俺らのこと心配してるかな。入れ違いにならねえといいけど」
「頼りになるのか?その神崎、は」
鬼人は不安そうにそう言った。コバ、として生きていた頃の神崎は、モモに術をかけてシダを殺し、シダを刺してレンが暴走させたから。
魂そのものはその神崎のままだけど、頼りになるはずだ。俺は神崎に救われた。
「大丈夫だ、それにお前のことも話せばわかってくれるはずだ」
霰はにっと笑い、鬼人にそう言った。
「ありがとう、でもオレが一番頼りにしてるのはシダとモモだ……だからお前と香織のことを信じる」
さあっと気持ちのいい風が二人を優しく包み込んだ。
「じゃあ、俺の仲間も信用してくれよ。あいつらいいやつだから。特に圭ってやつがいるんだけど、そいついつも明るくてさ……」
ー
「あら、威勢がいい方がよかったかしら?」
圭は応答に答えない。沈黙したまま、虚ろな目は足下の地面を映していた。
どうやら社神の傀儡となってしまったようだった。
「美しい朱色の瞳……ふふ、天真様に渡さずに、このままわたくしのものにしてしまいたい」
つつつ、と目元をなぞる。圭はぴくりともせず、放心状態になっていた。
「門を開けたのは、この子じゃない。ふふふ気になるわあ」
社神はふと圭の服に目を向ける。
「あんたはんはこの服の方が似合いはります」
そう呟くと、圭の服は和服に変化した。圭太が若い頃、ちょうど圭の年頃に着ていた服だった。
「あれ?圭」
ばったりと会ったのは霰と鬼人だった。霰の後ろには香織がおぶられていた。
「まあ、この三人が門を開けはったんですか?」
ふふふ、と社神は笑った。
「ん?お前誰だ?鈴と神崎は?」
「霰……気をつけろ、この女からは特異な何かを感じる」
鬼人は霰にだけ聞こえるように呟いた。
「圭君攻撃してくれはる?」
社神が圭に命じると、圭は霰にいきなり飛びかかってきた。
霰は香織を背負っているため、とっさに動くことができなかった。代わりに鬼人が霰を庇う。
「鬼人!すまねえ。おい圭、お前どういうつもりだ」
香織を鬼人に頼み、霰は圭に反撃する。圭は応答せず、ひたすら霰を攻撃する。
「あ?シカトか?圭」
「……」
鬼人はその様子を見てなにかに気づいた。
「霰!そいつはあの女に操られてる!」
「は?あの女?……そういうことかよ」
圭は社神に操られているから自我が反映しない。
だから霰の言葉に応答することもできない。
霰はそう理解し、攻撃をやめる。圭は刀を突き出し霰の首を斬ろうとする。
「圭、ありがとうな」
霰はにっと笑う。途端、圭の動きが止まる。
「止まった……?」
社神はきょとんとした顔で二人を見つめる。鬼人も同じく二人を見つめた。
「俺たちのこと、助けにきてくれたんだよな。俺たちは大丈夫だ。だから今度は……」
「俺がお前を助けるよ」
霰はそう言って、圭の刀を叩き落とし、圭の首をトンと叩く。圭は気を失う。
「くっ」
「お前のその術、気を失わせると効力はなくなるみたいだな」
社神は顔を歪ませ、霰をぐっと睨む。
「よくも私の傀儡を……」
「俺の友達にこんな変な術かけんじゃねえ」
霰は静かに怒っていた。
「お前のせいでもう一人背負わねえと帰れねえじゃねえか、ふざけんなよ和服女」
「随分と口の悪い殿方ですなあ、あんたはんは嫌ですわ」
社神も怒り、淡々とした口調で言い放った。そのまま社神は霰の逆三角の紋様に目をやる。
「……天異の子……?」
眉をひそめ、霰をそう呼んだ。
「てんい?」
霰が聞き返すと、社神は首を振り、どこかへ飛んでいった。
「あいつも空飛べんのかよ。楽しやがって」
「天異、ってなんのことなんだろうな」
鬼人は圭を背負い、そう言った。
「わかんねえ。なんなんだろうな、とりあえずそれも神崎に聞いてみるか」
霰は香織をおぶって、再び歩きはじめた。
ー
「社神」
社神は天真のもとに戻ってきた。
「門を開けはったんは、天異の子でした」
天真はそれを聞いて、少しだけ表情を曇らせる。
「天異……?生きてたの?それか俺たちみたいな……」
「いいえ、普通の人間でした」
「ふうん。ならまあいいか……で。逃げてきたの?」
社神は顔を伏せて気まずそうに振る舞う。
「申し訳ありません、わたくしでは勝機はないかと思って」
天真はハッと笑いながら社神にデコピンをした。
「あいたっ」
「ふふっ」
痛がる社神に天真は少し微笑む。その表情はまるで……
穢れを知らない少年のようだった。
神崎は天真のその表情に、少し恐怖が和らいだ。
「まあいいよ。じゃあ今日はもう帰ろう」
「この二人は?」
「戦意がないならいいよ」
「君は、本当に圭太を殺した人間なんか?」
神崎は天真に尋ねた。
天真は先ほどとは違うような切ない笑顔を浮かべた。
「さあね」
瞬きをすると、そこに二人の姿はなかった。
「一夜君……さっきの言葉」
「……気にせんで」
神崎は違和感を感じていた。
天真たちは、いや少なくとも天真のあの気持ち悪い気配は紛うことなきものだった。
しかし社神が再び戻ってきたときの彼は違った気がした。
神崎は直に圭太と鈴羽の記憶を見たわけではない。だがあのときの天真は、話に聞くような残虐な人物ではないのではないか?
そう考えてしまった。
「神崎ー!鈴ー!」
霰は二人のもとにやってきた。
「霰君!と、君はコバ君……?」
「圭と香織もいたんだ!よかっ……」
鈴は気が抜けたのか、気を失う。
「よっと。皆無事でよかったわ」
神崎は倒れかかった鈴を受け止め、そう言った。
「神崎、鬼人は俺たちの仲間になった」
「よろしく。そしてすまなかった」
鬼人は神崎に頭を下げる。神崎はびっくりして慌てて鬼人に顔を上げるように言った。
「ええよ、霰君が言うなら信用性もあるから」
神崎に信頼されていることに霰は少し嬉しそうに微笑む。
「それと……」
霰は先ほどのことをすべて話した。神崎はうんうん、と相槌を打ちながら聞き終えた。
「開いた門とあの二人は関係あるんかな?」
神崎の二人、という言葉に霰と鬼人は疑問を感じた。
「俺たちが会ったのは一人だ。桜髪の女」
「ああ、その女の人は社神って呼ばれてた。ここにさっき、天真って男の人がいたんや」
天真という言葉に霰は反応した。
「天真って圭太を殺した圭太の兄か」
「そんな人物が今も生きているのか?」
「そのことやけど、俺は天真は人間じゃないと思う」
天真は長い蛇のような舌で鈴の短刀を止め、食らった。それは普通の人間ならばできないことだ。
「そっか、わかった、サンキュ」
「圭は社神って女の術で操られてたんだ、次目が覚めたらもとに戻ってると思うんだけど」
そういえば、と霰は神崎に告げた。
「そやな、大丈夫やと思うで」
それを聞いて、霰はほっとした。
「これから、どうするんだ?」
鬼人は神崎と霰に尋ねた。天真と社神は逃げてしまった。門は一度開けてしまった。何から解決するのか、それは重要な問題だった。
「とりあえず神崎の家に行こう、神社なら悪いことは起こらねえだろ」
まずは気を失ってる三人を外敵から守ることが最優先だと、霰は判断した。そして鬼人と神崎も同意した。
「じゃあ戻ろうか」
ー
「三人とも今は大丈夫やと思う」
隣の部屋に香織と鈴、その向かいの部屋に圭を寝かしてきた。
「わかった、それで……」
「コ…鬼人君は香織ちゃんと霰君に用があって連れ去った。でも……」
「あの二人は圭を狙ってた。オレは二人に面識はない。過去も含めて見たのは今日が初めてだ」
鬼人の話だと、圭、鈴、天真、社神を見たのは今日が初めてで、以前に面識はなかったということだった。
「じゃあ今回のは偶然の出来事やったってことやな」
神崎は先ほどの和服とは違って、ラフな黒Tシャツを着ていた。袖がゆるいTシャツは、鬼人が蹴破ったところからくる風で、そよそよと揺らいでいた。
「おはよー!」
ガラッと襖を開けて、圭が入ってくる。先ほどの虚ろな目ではなく、いつも通りの圭だった。
「おい圭、お前さっき俺のこと殺そうとしただろ?」
霰は冗談混じりに圭に言う。
「は!?えっうそ!?オレ全然覚えてねえ!悪かったな」
両手をあわせ、申し訳なさそうに霰に謝る。やはりな。操られていた間のことは覚えてないのだろう。
そう考えるとあの行動は一か八かの賭けだった。もし圭があそこで反応しなければ、霰はとっくに殺されていただろう。
まったく恐ろしい。霰はそんなことを考えながら、軽く圭の頭をグリグリと拳を押しつけた。
「いてててて!」
「これでおあいこだ」
圭も霰もにっと笑う。
「あれ?お前霰たちを連れていった……」
圭は鬼人に気づき、指を指す。
「鬼人だ。先ほどはすまなかった」
鬼人は頭を下げ、応答した。
「お?仲間になったのか……?まあいいや、俺は圭、よろしくな鬼人」
圭の単純さに救われた鬼人は、差し伸べられた圭の手を取り、握手した。
「そうだ、霰!オレたち天真と変な女に会ったんだ」
「おう」
「そんでさ、なんか変な女にチューされた」
圭の素っ頓狂な発言に霰は吹き出す。
「はぁ!?なんで」
「わっかんねーけど……」
「お前のこと気にいってたとか?」
「あー、それ言われたんだよ!でもオレあの女とは初対面だし」
「社神って呼ばれてたけど……天真の術者かもな」
「天真って言えばなんやけど……なんか蛇っぽかってん」
神崎は天真のことを蛇と例えた。
「そうそう!」
声の先には鈴が立っていた。
「おー!鈴!無事でよかったー」
「えへへ、ありがとう圭、皆」
それでね、と話を続ける鈴。
「私の攻撃を止められて。短刀食べられちゃったんだ。そのときに舌でシュルって飲み込まれたの」
「たしかにそれは蛇っぽいな」
「でしょ?霰と……あれ?」
鬼人の方を見てびっくりする。鈴は、霰と香織を連れ去らった鬼人を警戒する。
「すまなかった。強引な手段だった」
鬼人は頭を下げる。鈴は慌てて鬼人のもとに行く。
「もういいよ、よろしくね!私は鈴」
「オレは鬼人だ、よろしく」
にっと笑い、話を続けた。
「霰と鬼人君は見たことないんだよね、天真も社神も」
「いや、社神って女は見た。山から下りてくるときにな」
「そうなんだ!」
「蛇、か。圭君何か思い当たることはない?」
「蛇……そういえば、圭太は蛇退治に行って、負傷して帰ってきたんだ」
「蛇退治……詳しく話して」
「兄ちゃんの天真に頼まれて、圭太は蛇退治に行った。その蛇、足と角があったんだ」
圭の素っ頓狂な発言に霰はびっくりする。
「蛇足って言葉知ってるか」
「……あ!蛇に足って無かったな!」
本当に圭の頭の中が気になる。
「蛟……」
鬼人が呟いた。
「蛟?なんだそれ」
「妖の名前だ。見た目は蛇に似ているが、その特徴を聞くとおそらく……蛟だと思う」
「古の神様。もとは水神やってもとは、今では龍神、あるいは妖と思われてる神さんや」
神崎はそう補足する。
「天真が、なにかのきっかけで蛟と接触ししたんかもなあ」
「……でもそれだとおかしくないか?圭太は蛇退治に行ったんだろ?天真と蛇……蛟は別にいたんだろ?」
「そうやんなあ。うーん、考えても仕方ないな」
神崎はそう言って一度考えるのをやめる。
「その天真と社神が、門から出てきた……?」
「鬼人、お前の発言通りかかもしれねえぞ」
「出てきた?」
神崎が鬼人の発言に疑問を感じ、尋ねる。
「ユリが、何かが出ていってしまったと言っていたんだ」
その何かが天真と社神なら、何故圭を狙っている?
「二人がオレたちに門を開けさせたって考えることはできないか?」
天真と社神のどちらかがシダを乗っとり、鬼人を唆した。
「考えすぎちゃう?って言いたいけど……否定はできやんな」
「でもよー、オレたちと霰たちの前世が生きてた時間軸は同じくらいだろ?」
圭の発言ではっとした。そうだ、天真がシダを乗っとることはできない。
「天真たちが出てくることさえも予知し、天真、社神、鬼人君を謀った人物がおるってことか」
それが本当なら恐ろしい人物だ。
門が開いたこと、圭が狙われたこと。全て誰かの考えの内だったとするなら、そうとう頭がキレる。
そしてやることが倫理から外れている。仮に会えても話の通じる相手ではなさそうだ。
「とりあえず圭君は今後一人にしたら危険や。誰かがおるようにしとこ」
神崎の意見に皆賛成する。
「じゃあ俺香織の様子見てくる」
そう言って、霰は席を外した。
「たく、いつまでも寝てんじゃねえよ」
香織はまだ目を覚まさない。ただ寝ているだけならいいのだが。
ー
「ふふっ今日は楽しかったね」
天真は笑う。
「ええ、とても」
社神も笑う。
「楽しい祭りの始まり……」