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決裂

 乾いた音ともに、一メートルほど知美の体が吹っ飛び、テレビの前のスペースに転がった。一歩間違えば、テレビ台のガラス扉に突っ込むところだった。

「親に向かって、何様のつもりだ! 子供が言って許される言葉だとでも思っているのか!」

「知美、お父さんに謝りなさい。それから、スカートがめくれ上がってるわ。女の子がなんて格好をしているの、はしたない。直しなさい」

 怒りに我を忘れた。

 あまりにひどい言い草だった。

 こいつら、”親”じゃねぇ。


 立ち上がるオレにとって、邪魔でしかない父親を突き飛ばすように押しのける。陶器のぶつかり合う音がする。

 そちらで何が起きているのか見る気もなかった。

 殴り飛ばされて起き上がろうと弱々しくもがいている知美の姿だけを、オレは見ていた。

 通り道に在った邪魔な足を跨ぎこし、知美のそばにしゃがみこむ。スカートを整える。

「大丈夫か?」

 抱き起こして、血の気の失せたいつもより白い顔を覗き込む。左の頬が赤くなっている。

 大丈夫、なんかじゃないよな。成人女性が殴り飛ばされたんだ。どれほどの、痛みだったのか。

 守ってやれなかった。オレにとって唯一の”女の子”が殴られるのを、そばで見ていたのに。

 一瞬とはいえ、商売道具(うで)と知美を天秤にかけてしまった自分の馬鹿さ加減が嫌になる。 


「何をする!」

 その声に、しゃがんで知美を抱いたままの姿勢で振り返って睨む。テーブルに無様にしりもちをついた父親が、わめいていた。

 それは、こっちのセリフだよ。

「あなた、今。知美に何をしました?」

「親が子を叱って何が悪い。他人が口出しするな」

 ”親”が、聞いて呆れるよ。

 つい、鼻で笑っちまったぜ。

「俺は、四月生まれでこの身長ですから、物心ついたころから両親に口をすっぱくして、しつけられたことがありましてね」

「いきなり、何の事だ」

 紅茶まみれになった父親が、立ち上がる。

 オレの両親の”価値観”だったらな、

「女の子、年下、自分より体の小さい相手、には絶対手を上げるな。そんなことをする奴は、男のクズだと。知美は、すべてに当てはまります」

 アンタは、どうしようもないクズ、だよ。

 父親は癇癪を起こした子供のように、地団太を踏んだ。

「うるさい! 貴様なんか、うちの会社に入る資格はない!」

「ですから、最初から言っているでしょうが。入りません、と」

 やっぱり、会話に成ってなかったんだな。人の話、聞こうぜ。そのうちリストラされんのは、アンタかもよ。 

 湯気を出しそうな顔の父親を無視して、知美に立ち上がれそうか尋ねる。

 ひとつ頷いたので肩を支えるように抱えて、ゆっくりと立ち上がる。


「お父さん、お母さん。心配してくれているのはわかっているつもりです。でも、彼にとって音楽は天職です。他人が勝手にゆがめてはならないと思います」

 聞き分けのない子供に言い聞かせる先生の声で話す知美。

「わかったようなことを」

「わかってます。少なくとも、彼の音を聴きもしないで言っているお父さんよりは」

 知美の答えに、父親の顔がどす黒くなった。

 まだやる気か、屑おやじ。

 身長差で威嚇するように、知美の半歩前に出て目の前に立ってやる。オレの腕の心配してる場合じゃねぇ。

 殴り合いでも何でもやってやるよ。 

 じりっと、相手が一歩後ずさった。

「出て行け! お前なんか、お前なんか。もう、親でも子でもない。出て行け!!」  

 支えるように抱いていた肩がピクッと動くのを感じて、父親を睨んでいた目を知美に向ける。

 一瞬目を閉じた知美は、ふっと息を吐きながら天を仰いだ。


 泣くな、知美。

 泣くな、オレがいるから。

 オレはそばにいるから。



「わかりました。今まで、お世話になりました。では、部屋に残っている荷物を持って行きます」

「私の稼ぎで買った物を、自分のものみたいな顔で言うな」

 最後まで、この親子の会話は……。娘の荷物をどうしたいんだよ。一体。

「朔矢、ありがとうございます。もう大丈夫ですから」

 そっと、ささやくような声で言って知美は支えているオレの手をはずした。

 

 床に落ちてしまったかばんを拾い上げ、キーホルダーを取り出した知美は、苦労をしながら一個の鍵をはずし、紅茶のこぼれたテーブルに置いた。

「ここの鍵は、お返しします。私のマンションの鍵を返してください。親でも子でもない他人なら、鍵を持っているのは”常識として”おかしいでしょう? 貸主との契約にも違反しますので。返していただけますよね?」

 

 その反撃は、見事だった。

 

 彼女の両親は言葉を失ったように、互いの顔を見合わせていた。

 あんたたちが、『何もできない子供』と見くびっている間に、知美は、自分で飛ぶ力を取り戻したんだよ。その身を縛る”常識”の鎖を引きちぎって、反撃の道具にするくらいの力を。

「もういい。鍵でも何でも持っていけ。その代わり、二度とこの家の敷居はまたぐな」

 そういい捨てた父親は、音を立ててドアを閉め、居間を出て行った。

 絶縁、か。

 残された母親は涙を流しながら、本棚の引き出しからとり出した鍵をテーブルに置いた。

「これまで、ありがとうございました。お母さんもお父さんもお元気で」

 鍵を握り締めて頭を下げる知美の横に並んで、オレも同じように頭を下げた。

「お嬢さんを、いただきます」

 の、言葉と一緒に。  

 返ってきた返事は母親の泣き声だった。

 オレたちは、もう一度だけ頭を下げて、部屋を出た。



 玄関を出て、ため息が出た。

「知美、近所にコンビニか薬局あるか?」

「はい、バス停の前に薬局がありますが?」

「顔、冷やしたほうがいい」

 そう言いながら触れた知美の頬は、明らかに熱を持っていた。

「それよりも、耳鼻科に行かせてください」

 今、一体何時だ? グニャグニャした会話を続けていたせいか、時間の感覚がわかんねぇ。

 腕時計で時間を確認、っと。

「昼を過ぎてしまったな。土曜の午後で、あいている病院か……」

「じゃぁ、バス停の二つほど向こうの角にコンビニがあります」

「コンビニ?」

「はい。新聞に、休日診療の病院の一覧がありますから」

 なるほどな。そんな記事が載っているんだ。

 コンビニへと歩きながら、殴られたあたりを見せてもらう。

 耳鼻科って言ったな。ってことは、音?

「耳、おかしいのか?」

「音がこもった感じです」

 まずいな。オレたちほどじゃなくっても、先生も仕事に障るんじゃないのか?

 耳たぶにそっと触れて、叩かれたあたりを確認する。痛みはさほど強くないのか、じっとされるがままになっている。

「悪りぃ。耳の後ろに、ポストが当たったみたいだな」

「傷になってますか?」

「うん、ちょっと血がにじんでる」

「朔矢が謝る事じゃないですよ」

「だけど、”朔矢”のピアスがお前を傷つけた。お前を守るために、渡したのに」

 ピアスもオレ自身も、知美を傷つけることしかできなかった。

 もうちょっと上手いやり方があったのかもしれないのに。



 新聞で調べた耳鼻科へ行った。

 問診表に記入をして。

 オレは待合で待つように言われ、知美一人が診察室へと向かった。

 

 長いこと待った気がした。

 全身で話を聞いて、思ったままの感情を表情に表す知美。音が、聞こえにくくなってしまったら。あの、子供のような笑い顔に翳りができてしまうのかな。

 親離れって、そんな代償が必要なことなのか。


 診察室から出てきた、知美はいつもの表情だった。少し目が潤んでいたけど。

「鼓膜が倒れていたらしいです」 


 叩かれたときに、空気が耳から鼻に吹きぬけたらしくって。だから、逆に鼻から耳に空気を流したら、風圧で戻るそうなんです。


 そんな説明を、指先で耳と鼻を指し示しながらしてくれた。

「痛かったか?」

「治療ですか? ちょっとだけ、涙がにじんでしまいました」

 子供みたいですね。

 と、照れくさそうにしている彼女を呼ぶ声が、会計カウンターから聞こえた。 



 病院からすぐのところで、目に入ったファストフードに入って遅い昼食にした。

「すみません。両親がいやな思いをさせて」

 席につくなり知美が謝ってきた。お前が謝るこっちゃないだろ。

 苦労すんな。”常識”のない親だと。

「いや。見合いのときから、ある程度の予想はしてたから。想像を超えてはいたけどな。普通、ああいう席で娘とはいえ他人の茶は飲まねぇよ」

 日常生活で、当然のような顔で人のモン飲むヤツは、オレの身近にも居るけど。

 うーん? って、少し考えてから、今、気が付いたって両手で口元を覆っている。

 『うわー、恥ずかしい』って、顔だな。

「オレの方こそ、スマンな。もう少し穏やかに距離をとらせてやるつもりだったのが、しくじった」

「いいえ。朔矢から離れないと決めた時に、”両親を殺す”覚悟も決めましたから」

 また、物騒なことを。でもあの親から離れるのには、それぐらいの覚悟がいるのか。


「自分が生きるほうを選んだだけですよ」

 それに、と財布から、ちいさなカード出してきた。

「十分、犯罪ですよね。娘とはいえ暴力を振るうのは」

「なんだ? これ?」

「看護師さんにいただきました。誤解をされてはいたようですが」


 ”DVドメスティック・バイオレンス 電話相談”、な。

 誤解って事は、オレがやったって思われたのか。診察室に入れてもらえないわけだな。


 手にとって裏、表と眺める。

 こんな事例が、DVに当てはまります。なんて、例が書いてある。

「『生活費を渡さない』。これ、オレのこと言われているみてぇ」 

 う、苦しい。と、心臓の上を押さえた。

「それは違います! 『渡せるのに渡さない』って意味でしょう? そんな事を言ってたら、失業している夫は全員当てはまるじゃないですか」

 お、言うねぇ。ちょっと、元気になったか。

 カードをテーブルに戻して、ハンバーガーの包みを剥がす。知美の反撃がいつもよりも嬉しい。

「うん。そのとおり。判ってきたな」

 えらい、えらい。褒めてつかわす。 

 頭を撫でようと手を伸ばしたら、嫌な顔で避けられた。

「ちょっと待ってください」

「なに?」

「その手。ソースの付いた手で、髪を撫でないで」

 えー? ソース? ひょいっと、左手を確認するけど。

「付いてねぇよ」

「右手だったでしょう? 今伸ばしていたの。どうして、わざわざハンバーガーを持ち替えて見てみるの!」

 あれ? ハンバーガーを左手でつかんで、包みをはがしただろ。で、空いたほうの手を伸ばして……知美の声で持ち替えた?

 ああ、本当だ。

「よしよし。突込みまで、できるようになってきた」

 叩かれて傷つきはしたけれど。心は、自由になれたな。


 雛鳥のようにオレについて歩いていた、傷ついた朱鷺は。今日、自分の力で大空を飛んだ。



 翌週は、オレの実家へ。

「ツキコって、本当に、朔矢の髪の色ですねぇ」

 なんて、言いながら、ツキコの頭を撫でる知美。


 茶の間で両親に紹介したあと、湯飲みを手にオフクロが

「さっちゃん、あちらのご両親はなんて?」

 と訊いてきた。

 わざと、だよな? その呼び方。知美が、目を丸くしている。

 似合わねぇのは、オレが一番知っている。

「よせって言ってるだろうがよ。その呼び方は」

 ふふん、と、オフクロは姉貴によく似た顔で笑う。やっぱり、わざとか。

「だって、ねぇ。どうせ、芙美子(ふみこ)に会ったら、いつものように呼ばれるでしょ?」

「姉貴は言ってもしょうがねぇし」

 知美と姉貴が会うとしたら、正月か。

「で、なんて言われたの? あんたの仕事の事」

「やめねぇっつっても、暖簾に腕押し。最後はこいつ殴って、勘当言い渡しやがった」

 あら、まぁ。と、オフクロがつぶやいて知美の顔を見た。

「すみません。お恥ずかしい両親で」

 知美は両手をひざに置いて、ぺこりと頭を下げた。

 オフクロは、バスケの試合に負けて帰ってきたオレを迎えたときのような顔で知美に言った。

「大変だったわね。知美さん。よくがんばったわ」

 と。

 自分の親を褒めるわけじゃねぇけど。人情とか、親の情ってこういうことだろ?

 『心配している』って建前を掲げて、貶すことじゃないと思う。

 

 だから。知美の肩が揺れ、涙声で感謝の言葉がこぼれる。

「困った事があったらいつでも頼ってね」

「はい」

「朔矢とケンカになったら、オレたちは知美さんの味方だから」

 オヤジまでそんな事を言ってる。オレの味方はいねぇっつう事だな。

「ケンカしないように努力します」

 ふふふ、と笑いながら知美がオレの顔を見上げる。

 お前は、その努力が我慢につながっちまうだろうが。

「そんな努力、すんな」

 軽く頭を小突くと

「朔矢? お前、今何をした?」

 オヤジの声が、怖い雰囲気になった。これは昔、姉貴を叩いて叱られたときの声と同じだ。

 うわ、ヤベ。

 ”女、子供、小さい子”に、軽くとはいえ手を上げちまった。

「はい。ごめんなさい」

「ご両親に縁を切られたってことは、家族はあんたと、いずれ生まれてくるだろう子供だけなんだからね、知美さんにとっては。ちゃんと肝に銘じておきなさい」

 オフクロも、板の間に正座をさせられるときの声だ。

「はい」

 これぐらい、がエスカレートしないように。

 二度と、知美が傷つくことがないように。   

「知美さん」

「はい」

「不安定な仕事で、これから迷惑も心配もかけることと思います。よろしくお願いします」

 オフクロの言葉に、横でオヤジも軽く頭を下げる。

「こちらこそ。不束者ですが」

「いいえ。大丈夫。知美さんなら大丈夫」

 うん。半年、回り道をして、強くなったもんな。

 一緒に、何もかも乗り越えていこうな。

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