結婚
十二月の知美はまた、通知表。
その間オレは相変わらずサポートの仕事をしつつ、不動産屋の情報を集めたり、二人で選んだ指輪を受け取りに行ったり。
それから
「YUKI、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
事務所で偶然YUKIと行き会ったので、声をかける。
「なに?」
「婚姻届の証人」
一緒にいたRYOが、小さく口笛を吹くと
「決まったのか?」
ニッと笑いながら尋ねてきた。
「おかげさまで」
「そら、めでたいやん。俺はかまへんよ。今日持ってきとんの? 早よ、出し」
と、急かすYUKIを、『そんなわけないだろ』といなして、奴の休みの日に家まで行く約束を取り付けた。
YUKIの家で、証人欄以外を埋めてある届けを取り出す。
「普通って、言うたらアレやけどさ。こういうのって、親が書かへん? 二人とも実家、遠いわけやないやん。俺と違って」
ペンを片手に尋ねてくるYUKI。
ちょうどヨチヨチとやってきた下の娘の璃瑛ちゃんを膝に抱き上げて、返事のための時間を稼ぐ。一歳と何ヶ月だったっけ、この子。
四歳になる上の子、瑠璃ちゃんは隣の部屋で絵本を眺めて、なにやらブツブツ言っている。今日はYUKIが休みだから、二人とも保育園は休みらしい。
どう返事したものか、ちょっと考えながら
「ちょい、わけあり」
「見合い、やろ?」
「そうなんだけどよ。向こうの親と拗れた」
ふーん。と、納得したようなしてないような顔で、署名をした用紙を脇に退けたYUKIは、
「知美さんが覚悟決めてくれたんやから、手、離したらアカンで。向こうの親と拗れたんやったら尚更な。それに、自分でも判っとうやろ? お前、また壊れるで?」
そう言って、ペンの蓋を閉めた。
十二月に入って初めて会えたのが、クリスマス当日の土曜日。
午前中に東のターミナルにある市役所で届けを出した。これで知美は、”原口 知美”になった。
結納も結婚式もせずに、二人で指輪の交換だけの結婚。ウェディングドレスに憧れないわけではないだろうに。
「そのうち写真だけ、撮ればいいじゃないですか。ドレスのために結婚、するわけじゃないのですから」
あっさりと、知美はそう言った。
そのうち。なるべく早くに、な。
「去年のクリスマスに言ったこと、覚えてるか?」
昼食のあと、駅へ向かおうと公園を通り抜けているときに知美に尋ねた。
約束の指輪を受け取ったときには、完全にオレのモンに。
そんなことを考えた、去年のクリスマスから、いろいろありすぎた。
うーん? と、考え考え歩く知美の半歩後ろからついていく。
「献血を止められました」
「そう。それから?」
「ピアスで傷をふさぐ?」
「それも言ったけどよ。もうちょい先」
わざとか? こら。
立ち止まってしまった知美に焦れて、後ろから抱きしめる。
「指輪と一緒に、もっと大きな『生きている実感』を、おまえにやるよ」
去年の言葉を、耳元で繰り返す。
ぱっと、頬に朱が散る。
「思い出したか?」
「はい」
「夕飯、俺の部屋で食って、そのまま泊まっていけるか?」
けじめ、つけたから。今日から、夫婦だろ?
耳の先まで真っ赤になって、知美はオレの腕の中でうなずいた。
泊まりの用意に一度自分の部屋へ戻った知美と、学園町の駅で待ち合わせて二人でスーパーへ行った。
「鍋、食いたいな」
「土鍋、ありますか?」
「無ぇな。カセットコンロもか。引越し前に荷物増やすのも、アレだな」
「ですよねぇ」
「じゃぁ、クリスマスメニューか」
「一日遅れですね」
「今日がクリスマスなんだから、構わないだろうが」
肉、肉、鶏肉、と適当に口ずさみながら夕食の買い物をして。クリスマスだからって理由で、ショートケーキも買って。
今日は、手をつないでオレの部屋へ向かった。
そして二人っきりで指輪を交換した。
「シェークスピアのおっさんが要らんこと言ったせいで、こればっかりは月にはできなかったな」
オレの名前の”月”。事あるごとに知美が『お守り』と言ってくれる月のモチーフを、結婚指輪に入れたかったのに。
結婚指輪は細身のシンプルなプラチナリングになった。月が駄目なら、せめて……と、知美のほっそりした指に映えるように、緩やかなカーブを描くデザインにした。
「大丈夫ですよ。私の月はこれからずっと一緒に居るのですから」
そんなうれしいことを言いながら、指輪を嵌めた手を右手でゆるゆると包むように撫でる知美。
「富める時も貧しい時も、ずっとお前と共に」
オレたちが誓うのは、神じゃなくって。
「目には見えなくっても存在する、朔の月に誓って」
誓いのキスを額に。
午後は、これからのことを詰める。
十二月の間に集めていた不動産の情報を元に、明日から部屋探しを始めて、できるだけ早く引越し。売り物になるJINの”歌声”が見つかるのがいつか判らないから、動けるときに動かないと。
知美の職場には事務的な報告だけをして、年度内は旧姓で。新年度から『原口先生』で働く。
年賀状はまだ書いていないから、結婚の報告を文面だけで入れて。とりあえず住所は互いに今のままで。
夏から半年、足踏みをしていた状況が、この日一度に動き始めた。
夕食は、二人でああだこうだと言いながら、料理をした。
「さすがに、子供のころから家の手伝いしてただけあるよな。手際いいじゃん。一人暮らし始めたころのオレとは、雲泥の差」
料理の手順だったり、使った後の道具の扱いだったり。知美の調理は、手馴れた感じが伝わってきた。
「朔矢は、普段料理をするのですか?」
キャベツをはがしながら、知美が尋ねてくる。
「食い物は命の基本、って、JINがマメでよ。いつの間にか影響されてな」
「JINが?」
「そう。あいつ、結構細やかだぜ。ああ見えて」
”かあちゃん”だし。
「そういえば、YUKIが『カウンセラー担当』って言っていました」
「いつ、YUKIとそんな話した?」
「先月? いや、先々月になりますね。悩んでいた時期に道でお会いして、背中を押してもらいました」
「あいつ、なんて?」
話しながらフォークで穴を開けていた鶏のモモ肉に、塩コショウを擦り込みつつ尋ねる。
「二人で悩んで、腹くくるしかない、と」
だから、証人欄に署名をしてもらった時、あんな事を言ったのか。
「それ、JINは関係ねぇだろ? どんな話の流れ方をしたんだ?」
「今回はカウンセラーが悩んでるから、たまには朔矢に恩返し、だそうです」
「恩がえし、ねぇ」
返してもらうような恩、有ったっけ?
鮮やかな手つきでキャベツを刻んでいた知美が、包丁を置いてザルに手を伸ばす。
「知美、その包丁の置き方はやめろ」
「はい?」
キョトン、とした顔で見上げてくる知美の手が包丁の柄に当たりそうで、冷や冷やする。
「まな板の向こう側に置きな。柄に手が当たったら落ちるだろ?」
切っている状態からそのまま手を離したように置いた包丁を、九十度まわして調理台のふちと平行に置きなおす。
昔、一人暮らしを始めた頃か? 都市伝説のように聞いた、『手が当たって落ちた包丁が、刺さって大怪我』なんて話が頭に残っていて、ちょっと包丁の置き方には神経質になっちまった、オレ。
「ああ、なるほど」
『納得!』って書いてある顔で、オレが置いた片手鍋と包丁を見比べている。
「お鍋も同じなんですね」
「ひっろーい台所だったら、良いけどよ。狭いとぶつかるし、そのうち子供でも」
自分で言った言葉に、動揺した。
子供できるようなことを今夜、知美と……。
そう思ってしまったら、顔をまっすぐに見ることができなかった。
「そうですね。子供が居たら、もっと危険」
あっさりうなずいた知美に、ホッとしたような、肩透かしを食らったような。
「だろ? 危なくない習慣をつけるに越したことはねぇし」
自分でもどうしたいのか判らない気持ちを洗い流すように手を洗って、オレは片手鍋にパックのコーンスープを空けた。
初めての互いの手料理を、どこか緊張をはらんだ和やかさで食べて。二人で後片付けをして。
「風呂、先どうぞ」
その一言で、知美が固まった。
意識、したか。
「私は後でも……」
「客が先」
「客、ですか? 違うでしょう? ”妻”ですよ」
そう言って、知美はひよこのように唇を尖らせる。
確かに、な。
「言うようになったねぇ。成長、成長。じゃぁ、”妻”」
もうひとつ、成長できるかな?
「なんでしょう?」
「そろそろ、敬語やめようぜ」
「は?」
「俺は、夫婦は対等、だと思う。年の差なんて関係ない。もう一歩近づいて来い」
オレの価値観、だけどな。どうする?
オレの価値観を壊せるか? それとも自分の価値観を壊してみるか?
カモーン、と、手招きしてやった。外国人のように、手のひらをうえ向けて。
オレの顔を見ながら、少し考えた知美は
「わかった」
ニヤって笑って。
オレの胸元めがけて、飛び込んできやがった。
「ほら、近づいた」
くそ、負けたのはオレか。
いや、敬語も取れたから、引き分け?
「だから。煽んな。さっさと風呂行け」
額を軽く、指で弾く。
クスクス笑いながら、知美はおとなしく風呂へ向かった。
「お先に」
の声で我に返った。
「ああ、うん」
「どうしま……どうしたの?」
「なにが?」
「難しい顔」
そう言う知美も眉間に皺がよっている。
「お前もな」
広げていたノートを片付けながら、眉間を撫でる。
心配そうに覗き込んでくる知美に安心させるように笑いかける。
「ちょっと、詞を考えていただけ」
「仕事?」
「いいや、趣味」
知美の手を離した時。オレの中の空洞に喰われてしまった”言葉”たち。
まだ完全には戻ってこない、オレの”詞”。
JINの歌声が戻ってくるまでに。オレの言葉も取りもどさねぇと。
風呂から上がってみると、知美はひざを抱えるようにしてローテーブルの前に座っていた
「知美、おいで」
呼びかけに反応して振り向いた知美は、身の置き所に困ったような子供の目と、これから経験することに緊張したオンナの顔をしていた。
この日、初めて彼女に与えられた『生きている実感』は。
強烈な存在感で、オレに刻印された。
愛おしさと、熱と、充足感を伴って。
「見合いのときにさ」
ぼんやりとした表情でオレの腕の中に納まっている知美の腕を撫でる、摘む、握ってみる。触り心地が、たまんねぇ。
手首を持ち上げて、二の腕を眺めながら、
「お茶を飲むお前の手が、ひじの辺りまで振袖から見えて。それが、すっげぇ目に付いてさ。やっぱ、民族衣装っつうのは、女を最高に魅力的に見せるな」
と言うと、少し掠れ気味の声で、返事が返ってきた。
「運動会のあとで日焼けしていたし、プニュプニュなのに?」
「腕の内側が白くって、旨そうだった」
裸のままの二の腕に唇を寄せる。このまま、食っちまいたいくらい。
チュッと吸い付いて、痕を残す。
「だから、夏服の腕がまぶしくって。余計に内出血が痛々しくって。肌に傷をつけることが許せなかった」
くすぐったそうに笑いながら、腕を引こうとするので、おとなしく手を離す。
「ピアスも、駄目だった?」
いい感じで、敬語が取れている。
「それはなぁ。俺もやっているから、とやかく言えねぇけど。数が増えたらどうしようか、とは思ったな」
「朔矢に近付きたかっただけだから、追い越しませんよ?」
「ああ、そういう意味だったんだ」
ピアスの横を甘噛みしながら、耳元に囁く。
「言葉戻ってんぞ、こら」
ん、と、もれる吐息に慌てて顔を離す。
無理、させちまいそうで。
「名前ほど、時間をかけないように頑張る。ね?」
そんなオレの自制を知らず、どこか幼い声で返事が返ってくる。
「じゃぁ、年内な」
「あと、一週間しかないの?」
「がんばれー」
これ以上引っ付いているのは色々と不味いので、ベッドから降りる。床に脱ぎ捨てられたパジャマを拾い上げて渡す。
そしてその夜は、愛おしい”妻”を抱きしめて、眠りに就いた。
後二日、出勤日が残っている知美は、日曜の夜には自宅へ戻った。
けれど、冬休みの間はずっと一緒に過ごせる。朝から晩まで。正月に新婚生活、だな。
知美が仕事に行っている二日間は、自分の部屋の大掃除をして、二人の連名で出す年賀状の印刷をして過ごした。
仕事納めの日は知美の部屋にオレが泊まることになった。
夕食をとって、二人でローテーブルに向かい合って年賀状を書いていると固定電話が鳴った。時刻は、夜の九時になろうとしていた。
『夜の電話は、よくない電話。遅い時間に急ぎの用事以外で、電話をかけちゃいけない』オヤジが、昔言っていたな。
立ち上がって、受話器に手を伸ばしたところで、知美が手を止めた。
「鳴ってんぞ。取らねぇの?」
ナンバーディスプレーをつけたのか? 電話を睨んでいる知美に声をかけたところで、留守電に切り替わった。
〔知美、お母さんです〕
なんだと? どういうつもりでかけてきたんだ。
〔お正月、いつ帰ってくるの? 連絡をちゃんと入れなさい。それと、こんな時間まで帰っていないなんて。嫁入り前に、みっとも〕
プー。と音がして、録音が切れた。最後の言葉は『みっともない』か。
全然、急ぎじゃねぇ電話、だよな。
「私が帰るって、思っているんだ……」
力の抜けたような知美の呟きが聞こえた。
顔を見ると、魂を抜かれたみたいな顔になっている。
手にしたペンに蓋をして、立ち上がる。
「台所、借りるぞ」
「あ、どうぞ」
返事はちゃんと返ってくるから、意識はしっかりしているな。
ヤカンに水を入れて、コンロにかける。
電話の前に立ったままの知美の後ろに立って、肩に手を置く。
「まぁ、座れ」
肩を押さえるように軽く力を入れると、逆らうことなくゆっくりと座り込んだ知美に、お茶と急須の場所を尋ねる。
お茶を淹れる支度を整え、お湯が沸くのを待つ間。
ちゃんと表情を見ようと思って、知美の正面に回りこんでしゃがみこむ。正座したひざの上に置いた手が、小さく震えているのが見えた。
そっと、両手をとって握りこむ。いつもより冷たい知美の手に、オレの体温が届くように。
大丈夫。お前の手を離したりしないから。あの家に再び帰らせることはしないから。
知美は瞬きを忘れたように、その手をじっと見つめていた。
「一度、テーブルの上片付けて」
ヤカンの音をきっかけに、知美に片づけを頼む。オレは立ち上がって、お茶を淹れる。
淹れたお茶をテーブルに運んで、知美と隣り合って座った。
顔色、は普段どおりに戻ったな。さっきはやっぱり少し白かったか。表情は……ちょっと、固め、か。お茶を飲んで、少しほぐれたらいいけど。
「大丈夫か?」
「不死身のゾンビに出会ってしまった気分です」
手に取った湯飲みの温度が伝わったように、少し表情がほぐれる。軽口が叩けるなら、心配ないか。
オレも、少し緊張していたらしい。知美の言葉に肩から力が抜ける。
「だな」
「私は帰る気はないけど。返事しないと、また電話かかるのかな」
かかってきそうだな。何か、手立てはねぇモンかな。
『原口さんが守ってやってください』
頭の中を兄さんの声が、通り過ぎる。
味方、居るじゃねぇか。
「お兄さんには、結婚のこと伝えたのか?」
「いえ、まだです」
「正月にこっち戻って、いきなりとばっちりが行くと気の毒だな」
「確かにそうですね。私より、上手にやり過ごせるでしょうけれど」
「高校生で、あのご両親の裏をかいた人だからな。お兄さんに、対策を相談してみたらどうだ?」
「メール、してみます。電話には、非常識だけど」
知美。お前のほうが、母親よりよっぽど”常識的”だよ。
知美がメールを送って数分後。
彼女の携帯に着信があった。
〔こんばんは。遅い時間にメールしてごめんなさい〕
そんな挨拶から始まって、結婚したこと、親に縁を切られたこと、さっきの電話。とざっと事情を話している。
向こうの言葉を聴いている様子があり、
〔はい。かわりましょうか?〕
って、知美が言うってことは、オレだな。
電話を寄こせと、手を出す。心配そうな顔でライトグリーンの携帯をオレの手に乗せた知美の頭を軽く撫でて電話に出る。
〔もしもし、こんばんは〕
〔お久しぶりです、原口さん〕
〔こちらこそ、ご無沙汰してます。突然の話で、申し訳ありません〕
〔母親のことですけどね。多分、スイッチが入ってしまったのではないかと〕
兄さんの考えでは、考え事の途中で理解不可能な思考回路のスイッチが入ってしまい、知美と縁を切ったことが無かった事になっているのでは……。ということだった。
〔思い込みが激しいですからね〕
〔ああ、なるほど〕
〔判ってきました? 母親の性格が〕
なんとなくだけどな。オレが”傷物にした”っつって、知美の話にまったく耳を傾けなかったくらいだし。
〔知美と連絡がつかなかった時に考えられる反応が、暴走してそちらに押しかけるか、原口さんを悪者にして荒れるか、ですかね〕
〔ははぁ、なるほど〕
〔父親の目があるので、まず”押しかける”は無いとは思いますが〕
父親の目がなけりゃ、危ねぇつうわけだな。
〔荒れるとしたら、元旦になっても知美から連絡が無かった場合ですね。一か八か、の手ですけど〕
〔はい〕
〔結婚の報告のはがき、年賀状と一緒にって考えてます?〕
〔ええ〕
まさに、さっきまで書いてましたよ。
〔それ、うちの実家にも出しておいてください。リターンアドレスは無しでもいいですから〕
〔はぁ?〕
〔届けを出したと判ったら、それ以上はごり押し、しないと思いますよ。原口さんのご両親に対してみっともないですし〕
〔ああ、なるほど〕
出たな、『みっともない』。自分たちの行動も縛るか。
なんだか滑稽に思える。
〔それと、原口さんの自宅の住所は、両親は知らないですよね?〕
〔ええ、多分〕
知美に教えたのも、彼女がこっちに引っ越してきてからだし。唯一彼女の実家に送った年賀状は、こっちも実家をリターンアドレスにしていたはず。
〔じゃぁ知美の仕事の無い日は、そちらに”避難”っていうのもおかしいですけど。とにかく、自宅に一人にならないようにしてやってもらえますか?〕
いや、まぁ。冬休みの間はそのつもりだったけど。
〔では、こちらは、そのように。お兄さんにもご迷惑をおかけしますが〕
正月に荒れる母親のとばっちりを受けるのは、兄さんか嫁の慶子さんか。
〔いいんですよ。それで知美があの家から出ることができるなら、そのくらい。一年に一度しか僕たち夫婦は両親と顔を合わさないのですし〕
〔そう言っていただけると……〕
〔その代わりといっては何ですけど。知美をお願いしますね〕
〔はい。判りました〕
〔あの子を守りきって下さると信じてますよ〕
相手に見えてないことを、判っていてもなお。
オレは、頭を下げながら、電話を切った。
「明日からは、オレの部屋」
電話のやり取りが見えずに、ジリジリしている知美の手に携帯を返しながら、明日からの予定と、兄さんの電話の内容を話す。
「せめて冬休み中は、うちに泊まっとけ。お兄さんが言うには、『多分、思い込みの変なスイッチが入ってる』ってさ」
「スイッチ……。あ、今日は仕事納め」
「それがどうした?」
お前も、今日まで仕事だったよな。
知美の説明によると、仕事納めの打ち上げで飲んで帰ってくる父親を待ちながら、考え事をするのが毎年の母親の習慣らしく、脳内で一年分の小言の棚卸しが行われるらしい。
例えに、彼女があげたのが見合いのときのあれこれで。
「あったな、そんなことも」
あれから、二年、か。
思い出して、二人で顔を見合わせて笑う。少々の失敗なんて、こうやって笑い話になるんだよな。過ぎてしまえば。
ぬるくなったお茶に口をつけると、知美も思い出したように湯飲みに手を伸ばす。
「で、お兄さんは『多分、大丈夫とは思うけど、押しかけてくるかも』つってたから、俺のところに避難しとけ。で、元旦は、俺の実家に一緒に行こうぜ」
「ご迷惑では?」
「大丈夫。嫁が正月の挨拶に行くのに何の問題があるよ。あ、姉貴がちょっと強烈だけどよ。丁度いいから顔合わせ、な」
多分いや絶対、姉貴は知美のまえで呼びやがる。『さくら』っつって。
一生会わせないわけにはいかねぇし。兄さんだけでなく、姉貴も知美の味方になってくれたら、この先のこいつの人生が少しでも楽になる。
”普通”の家族なら唯一絶対の味方であるはずの両親が敵になってしまったのだから、一人でも知美の味方を多く。
それはそうと
「実家からの電話のショックで、さっきから言葉が戻っているぞ」
あと、三日だぞー、と追い討ちをかけると、思い出したように焦っている。
さて途中だった年賀状は明日に回して、知美を風呂に行かせて。
疲れた、だろ? 温まって、体だけでも疲れを取ってきな。
心の疲れは……一晩中でも抱きしめて、オレがとってやるから。




