ep.107 過去の亡霊
ストラウス山脈の麓へ踏み込んですぐ、カミル達は足止めを余儀なくされてしまった。というのも、馬が完全に動かなくなってしまったのだ。疲労で動けなくなったわけでも、怪我をしたわけでもない。ただ震えている。悍ましい瘴気を前に、完全に竦み上がっていた。
異変があったのは馬だけではなかった。感覚の鋭いリアもまた、全身に鳥肌を立てている。腕を絡ませ身体を寄せながら辺りを窺っており、何かを感じ取っているのは確かだろう。
だが、今はそれどころではなかった。カミルもまた熾烈な戦いを繰り広げている。それは難敵であり、容易く戦いを終わらせることはできない。それは未熟さ故のもの。歴戦の猛者ならどうということは無いのだろうが、カミルがその領域にたどり着くのはまだまだ困難なのだ。
カミルは今、腕に当たる膨らみから伝わる柔らかさと温かさに包まれていた。意識がどうしても腕に行ってしまうのだ。大人の男への階段を登ったとはいえ、多感な思春期真っただ中である。煩悩に抗うことがなどできるだろうか?多くの男はNOを突きつけるだろう。快楽に身を委ねてしまっても、そう責められるものではない。カミルは全力で今という幸せを堪能していた。
「仕方ありませんね。ここからは歩いて移動します。ククレスト、学者二人はこの場に留まってもらいますから、馬車と二人の護衛の任を与えます」
ラグラルスへと顔を向けると、
「ラグラルスさんも馬車の護衛をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、問題ない。ウルシンキをお願いできるか?」
「はい、そちらはお任せください。克服できるかは本人次第ですけどね」
「それで構わない」
「では私も残りますよ」
キョウカが馬車の護衛を買って出る。
「私が得意とするのは亡者の方ですから、竜の亡骸を葬ることよりかは適任かと」
「では残りのメンバーで向かいま――「私は行くぞ」」
視線がティアへと集まった。腕を組み見つめるその瞳は、すでに学者モードと化しギラついている。
「できれば馬車でお待ちいただきたいのですが……」
アリィは困り顔を浮かべている。魔法が扱えるとはいえ、外では亡者や竜種と出くわす可能性があり、護衛をしながら進むのは労力を割いてしまう。長距離の移動と度重なる戦闘もあり、皆がすでに疲弊している。心配事を抱えるのは得策ではない。
「竜の亡骸なぞそう見る機会は恵まれん。将来的には国の利益になるやも知れぬが、それでもいいのか?」
アリィは一瞬の逡巡の後、顔を横に振る。
「それでも――「まぁまぁ、行かせてみてはどうですかな?」」
フィリーがにこやかに答えると、ティアが期待の眼差しでフィリーを見つめた。
「但し、自分の身は自分で守ること。隊長さんが気に掛ける必要はありませんよ。ティアが命を落としても、ワタシがまだおりますゆえ」
「ちょっと待ておっさん!?なぜ私が死ぬ前提で話してる?」
フィリーがティアへ視線を送り「こんな状況で外に出て無事でいられると思ってる方が可笑しいだろう?」至極真っ当な言葉を投げた。
「それにな」
フィリーの視線がティアの足元へと降りていく。その先にあるのは、山を歩くには不相応な黒のハイヒール。目指すのが霊峰であるにも関わらず、なぜその靴を選んだのかさえわからない。
「そんな靴だと間違いなく足手まといだ」
はっきりと足手まといと告げられたのにも関わらず、ティアは得意げな顔となった。
「淑女たるもの、身嗜みには気を配らなければならないのでな」
言葉を発するティアの顎が僅かに上を向き、升花色のポニーテイルが揺れ動く。大きなリボンも相俟って華やかな印象を受けた。
確かに、大きな襟が特徴的なダブルジャケットも、フリルとタックが幾重にも重なり立体感のあるスカートも洗練された衣装なんだけど……。淑女って自分で言ってる割に言葉遣いがまったくなっていないんだよな。勿体ない。
そんな失礼な思考も、腕に当たる感触に呑みこまれて消えていく。
「はっはっは、淑女というのは、隊長さんみたいな人のことを指す言葉だ。まだまだ努力が必要そうですな」
「ふんっ、見る目のない男ばかりで嫌になるね。紳士を見つけるのも苦労する世の中だよ」
ティアはいの一番に馬車を降りていく。
「ったく……」
ニステルがティアを追い、馬車を降りて行った。誰よりも早く行動に移せる、ニステルという男はそういう部類の男であった。普段は他人に興味を持たず不愛想な皮肉屋だが、何かあれば颯爽と現れる。このギャップが密かに王都の女性の心を掴んでいることを本人はまだ知らなかった。
「―――時間が惜しいのでティアさんも同行という形を取ります。各自、出発の準備を」
祟竜の亡骸へと向かう者達が荷物をまとめ、馬車を降りていく。
リアもまた、馬車を降りる為にカミルの腕から身体を離した。腕の温もりが消え、名残惜しそうにリアを見つめていると「どうしたの?早く行くわよ」カミルの下心を知ってか知らずか、馬車を降りて行ってしまった。
カミルは深呼吸を挟むと「よし、行くか」本来の使命を思い出し、瘴気溢れる大地へと降りていく。
「こっちだ……」
視界が優れない木々の間を抜け歩いていく。先導するのは、同行する唯一の王国側の人間であるウルシンキだった。竜と対峙すれば取り乱す彼だが、祟竜討伐の際、ストラウス山脈までの露払いとして同行しており、亡骸の場所は熟知している。瘴気の霧の影響で視界が悪いとはいえ、整備された道を辿れば向かうことは可能だ。瘴気の濃度が濃くなれば、その先に亡骸がある。必然的にたどり着けるのだ。
だが、それでもウルシンキは及び腰である。怯える子犬のように弱弱しく、どこか頼りない。見かねたニステルが代わりを買って出る。
進むほど視界不良が進行し、終には1m先を見るのすら怪しい。
「魔力を温存しておきたかったけど、さすがにこれでは無理ね」
リアは宝石に魔力を流して中級風属性魔法フューエルを発動させる。光の粒子を纏う風が、一行の周囲を取り囲む瘴気を浄化し、リアを起点とした半径5mほどの清浄なる空間が生まれた。常時風の結界を張り続ける必要性があり、ここからは時間との勝負となる。
「急ぎましょう」
察したアリィは歩く足を速め、周りもそれに追従する。
30分ほど歩いていくと、他の場所とは比ではない濃度の瘴気の塊が姿を現した。リアの放つ風が瘴気に押し返され始めている。
「この先に祟竜の亡骸があるみたいね」
アリィが一歩前に出る。
「リアは休んでて」
左右の腰にある鞘に収まった双の細剣の柄を握り、魔力を流し込んでいく。埋め込まれた白色の宝石が輝き、光が溢れ出した。
― 世界を照らすは清純なる光 禍の者に祝福を
雪代の輝きを以って 慈悲なる想いを呼び覚ませ
然すれば 清廉へと至るだろう ルノアール ―
言の葉が光に力を与え、双の細剣を天へと掲げれば光は空へと昇っていく。闇夜を照らす清浄なる輝きが瘴気に包まれた大地を浮かび上がらせていく。瘴気は霧散し、濃密な瘴気に阻まれた道の先が姿を現していく。
その瞬間、カミルの身体が月読の輝きに包まれた。
なんだッ!?
カミルにはなぜ月読の力に包まれたのか理解できなかった。月読は、竜の因子を持つ存在に対して戦う意思を持ったとき初めて力を貸してくれる。これまでの経験でそう結論付けていた。だが今はどうか?祟竜の亡骸は目の前に存在はするが、カミル自身は戦う意思を示していない。にも関わらず、月読の力に包まれている。
光の極致魔法ルノアールによって瘴気が祓われ、臥せる竜のシルエットが浮かび上がって来た。肉体は腐り落ち、大地を汚している。残されているのは竜の形を残した巨大な骨のみだ。
だが、頭蓋の上に一つの異質な存在が立っていた。竜の亡骸という存在よりも圧倒的な存在感を放ち、カミル達を見下ろしていた。
反射的に身体が動いた。黎架を抜き、圧縮魔力を込めた一撃を放つ。
「衝波斬ッ!!!!」
力いっぱい振り切れば、月読の輝きを纏う魔力の斬撃が飛び出した。降り注ぐ白の力を喰らい巨大化した魔力の斬撃が、祟竜の亡骸もろとも異質な存在を呑みこんだ。竜の骨は粒子化し霧散していく。大地を穢した腐った血肉さえも消滅させ、祟竜という存在がいたという痕跡のすべてを消し去った。
月読の衝波斬は霧散し、その場に残ったのは、頭蓋の上に立っていた存在のみ。足場を失ったそれは、大地へと降り立った。
亡骸が消えたというのに、歓喜の声を上げる者はいない。誰もが感じ取っていたのだ。目の前にいる存在が、化け物であるということに―――。
― 馬車周辺 ―
灰色の霊気が瘴気を斬り裂き、実体なき人型の亡者を引き裂いていく。
カミル達と別れてからすぐに亡者に襲われていた。
やっぱり平原よりも、木が多いところに亡者が多いわね。
ククレストの浄化の光が亡者を無に還し、ラグラルスの炎を纏う槍が亡者の身体を上下に引き裂いている。どちらも相手にしているのは、人型を模った実体なき亡者だ。ストラウス山脈に近づいた途端、魔物の亡者の数は減り、人型を模る亡者が増えてきている。その理由は単純であった。ククノチの森よりも、ストラウス山脈で命を落とした人の数が違うからである。王都からほど近いククノチの森では、重症を負ったとしても、王都に引き返すことができれば命を繋ぐことができる。だが、距離が離れたストラウス山脈ではそれも望めない。人の死亡率の差が如実に表れている。
霊滅ノ息吹で1体、2体と葬れば、その倍の数が押し寄せる。少しずつ、だが確実に亡者の数が増えて来ていた。幸いなのは、亡者の知能が高くないことだ。真っすぐに突っ込んで来る亡者に、刃をそっと差し出せば勝手に自滅してくれる。
そんなに時間は稼げないわよ。皆、早く帰って来て。
― 祟竜の亡骸跡地 ―
「ありえない」
目の前に現れた亡者に、カミルは見覚えがあった。ゆるいパーマのかかった黒髪の左側だけがツーブロックという特徴的な髪型に、左耳だけに黒い真珠を抱き込んだ十字架型のイヤリングをした40前後の男だ。黒い鎧で身を固めていることもあり、全身真っ黒な姿をしている。そんな特徴的な姿をしているにも関わらず、それ以上に目を引かれるのは、真っ赤に輝く瞳だ。目の前に現れたのは、精霊時代に魔族と呼ばれたダインの戦士であった。
「ありえない」
再び同じ言葉を呟いたカミルは、瞳孔が開き、全身から冷たい汗が噴き出している。
亡者であるのなら、光の極致魔法ルノアールによって浄化されるはずである。だが、目に映る男にそんな兆しはない。生きたダインの民である可能性もあるが、カミルの頭がそれを否定する。なぜなら、精霊時代に――1000年以上も前に出会った人物なのだから。
「オーウェン・イヴェスター……!?」
それが、突如として現れたダインの男の名だった。かつて、ルナーナ大陸のダインの民を率い、要塞都市ザントガルツを占拠し、帝都イクス・ガンナに攻め込んだ、歴史の彼方に葬られた名を持つ男だ。カミル達が未来の世界に飛ばされるきっかけを生み出した人物でもある。
「あの姿……、ザントガルツの門に刻まれている男性……?」
アリィもまた、見覚えのある顔に困惑していた。名は伝えられてはいないが、何故か門に刻まれている男の姿、アリィの認識はそれだけだった。
「あの男がオーウェンなら、ちょっと不味いかも知れないわ……」
引き攣る顔を浮かべたリアから漏れるのは弱気な発言だった。
「お二人は、あれが誰なのかご存じなのですか?」
只ならぬ二人の雰囲気に、アリィは恐る恐る尋ねた。
「帝元戦争でダインの民を束ねた男がいたのはアリィも知ってるでしょ?」
「ええ、詳細不明ではありますが、そのような方がいたということだけは」
「目の前にいるのがその男なのよ」
アリィの目が見開かれた。ニステルは眉間に皺を寄せ、ティアはどこか表情を緩ませていた。
オーウェンが右手を伸ばすと、その手の中に虚空から現れた鱗状の黒い大剣が収まった。
カミルは今度こそ確信に至った。
あの黒い大剣……、間違いない。あれはオーウェンの亡者だ。だけど……、なんでこんな所に現れる?オーウェンは帝元戦争で帝都で激戦を繰り広げたはずなのに……。
今回の騒動の発端は、祟竜の亡骸が瘴気を放ち、王都に被害を及ぼす亡者が溢れたことにある。瘴気が魂と結びつき、この地に眠る死者を呼び起こす。それが意味するところは、オーウェンは帝都で命を落としたわけではなく、ストラウス山脈のどこかで命を落としたこととなるのだ。
それに、なぜ実体を持っている?魂だけの存在なら、実体を持たないはずなのに……。
未だ消えることのない月読の輝きもまた、カミルの心を不安へと落としている。祟竜の亡骸は消え去った。だが、まだ役目は終わっていないとばかりに煌々と輝いている。オーウェンは竜の因子を持つ何かを持っているということになる。
情報が不足している以上、幾つも湧いて来る疑問に答えを出せるはずもない。オーウェンというダインが受肉した亡者として現れた。今はこの危機的状況を打破しなければならない。
応戦する為に魔力を黎架へと流し込み――その瞬間、オーウェンの大剣から黒の元素が溢れ、一筋の闇がカミルへと伸びていく。放たれた矢が如く、速く、先端は鋭利だ。
迫る闇に対して、カミルは初動が遅れてしまっている。先手を取ろうと黎架に魔力を流したというのに、一歩先を越され反応するのが遅れたのだ。
不味いッ!?
咄嗟に黎架を前方へと突き出した。
闇が引き寄せられる。まるで黎架に呼び寄せられるように軌道が変化し、真っすぐ先端へとぶつかった。途端に闇は黎架に吸われ、闇から生じた余波だけがカミルの身体をビリビリと揺さぶる。
なんて圧だ……。黒の元素を吸収できなかったら俺は……。
オーウェンの足が動いた。大地を踏みしめ、一歩を踏み出す。それと同時に大地が拉げ、亀裂が広がる。一歩、また一歩と踏みしめる度に生まれる痕跡が、オーウェンが持つ力を物語っていた。
力のぶつかりだと分が悪い。なら、相手の力を最大限に利用するしかない。
黒の元素を吸い、黎架の魔剣としての力が発動する。黒く染まった刀身に、一筋の朱色の光の筋が走っていく。
「反射反動」
大剣を振り上げたオーウェンが、カミルの頭上へと振り下ろす。眼前に迫った大剣を、半身をずらし、振り下ろされるオーウェンの腕の軌道上に黎架を置いた。
ズドォォォォォンッ
大剣が大地を叩いた。一撃の破壊力は凄まじく、大地を砕き、大剣から溢れた黒の元素が爆発を引き起こす。
「ぐぁッ!?」
最小の動きで躱したのが仇となり、カミルは爆風に巻き込まれ宙を舞う。大地を2度跳ね転がっていく。
振り下ろした状態で固まるオーウェンの腕には、傷ひとつ付いてはいなかった。ザントガルツで出会ったダイン達の皮膚は、ヒュムやエルフと大差ないほどの柔らかさを持っていた。ダインの皮膚が強靭というわけではなく、オーウェンという存在が異質なのだ。月読の力と黎架の鋭利さを以ってしても、オーウェンに傷をつけるに至らない。冷酷な現実が圧し掛かる。
「「カミルッ!?」」
リアは反射的に飛び出していた。エスティエラを抜き「鳳刃絶破ぁぁッ!!」剣先に風が集い、光の粒子を纏っていく。素早くオーウェンへと迫り、エスティエラを突き出した。
オーウェンの腕が伸びる。風を携え迫る剣先に向かい、掌を翳した。
風が纏う光の粒子が闇に染まっていく。輝きを失い、灰が舞っているかのようだった。僅かに遅れてエスティエラの尖端が触れた。
ガギギギギギギギッ!!刃が通らない。黎架を弾いた様に、エスティエラもまた皮膚を傷つけることすら叶わない。
硬ッ!?でも――これでカミルから注意は逸れた。
「はぁッ!!」
掛け声と共に双の細剣がオーウェンの背後を襲う。アリィもまた、リアの後を追い刃を突き立てている。結果はリア達と一緒だ。鎧の隙間を狙い突き刺した刃が強固な皮膚に阻まれ攻撃を通さない。
「翔破連斬」
刃を引き戻すと、左右の細剣が軽やかに交互に打ち出され、絶え間ない6連撃の剣舞がオーウェンを襲う。鎧の上だろうが構わず繰り出された刃には、触れれば一時的に脱力状態を引き起こす付与魔法オルヴァースが込められていた。アリィの狙いは元より刃を届けることにあったのだ。
魔力が心許ない……。
ここに来るまでに、風で道を作り、浄化の領域を維持する為に幾度も光の極致魔法ルノアールを放ってきた。回復薬で魔力を回復しながらではあったが、回復薬も数が限られ、馬車に揺られ続け体力も消耗していた。万全な状態で挑んでも、勝てる、とは言い難い相手だ。リアの焦りは募るばかりだった。
舞うように放たれる6連族の剣戟が終わる。けれども、アリィは手を止めるつもりはない。更に魔力を細剣へと送り、そのまま踏み込んだ。
手を止めれば呑まれてしまう。腕を動かせ、剣を振れ、攻撃の隙を与えては駄目!!
「翔破れ――ッ!?」
息が詰まった。振るった腕は空中で動きを止め、まるで金縛りにあったかのようにピクリとも動かない。アリィの身体を止めたのは、オーウェンから放たれた黒の元素の奔流。放たれた黒の元素の圧とアリィの力が拮抗し、そして、弾かれ大地を転がっていく。
「ぁ゙ぁ゙ッ!?」
即座に身体を起こし、オーウェンを見据える。
く……、あの黒の元素に触れた瞬間、ピリついて力が抜けていった……?あれはズフィルードなの?
上級闇属性魔法ズフィルード。闇を放つ魔法ではあるが、呪いに近い性質を持つ。触れた者の精神を疲弊させ、体力、魔力を削り、回復の効力が落ちてしまう。奇しくも、アリィの扱うオルヴァースに似た性質だった。
オーウェンの背に動きがあった。背を突き破り、左の肩甲骨辺りに漆黒の片翼が生えてきた。異様な光景に、アリィとリアに畏怖の感情を呼び起こさせるのには十分であった。
舛花色のポニーテイルと大きな白いリボンを揺らし、ティアはカミルへと駆け寄った。
「おい、無事か?」
声を掛けながらもティアの両手はカミルの胸部へと翳されている。淡い白い光が注がれ、傷ついた皮膚を癒していく。
「あ、あぁ。何とか……」
上半身を起こすと、痛みでビクンと身体を跳ねさせた。
「っうッ……」
地面に身体を沈めたカミルを睨み「治療中だ、大人しくしてろ」
ぐいぐいと身体を押さえつけられ「ってぇッ!?」顔を歪めて思わず叫んだ。
「それくらい我慢しろ。お前の連れと隊長が今戦ってんだ。さっさと回復して戦線に戻ってやれ」
二人が気がかりだったが、気持ちをぐっと抑え、回復するのを大人しく待った。
「あれ?そういえば……。ウルシンキさん、どうしてるんですか?」
「あぁ、あれなら使いもんにならないよ。祟竜の亡骸を見た瞬間から腰抜かしてるんだ。あの二人が戦ってるってのに、心此処に在らずって感じなのよ」
顔を傾かせ姿を探すと、離れた位置に魂が抜けたようなウルシンキがへたり込んでいる。
「でも、加護の剣の力があれば、何とかなるかもしれないんだ」
少なくとも、黒の元素を相殺してくれる可能性はあるだろう。
ティアがカミルを見つめ問う。
「あんたのその月読?てやつじゃ駄目なのか?竜を消し去った力だろ?私が調べる前になぁ~ッ!!」
竜を消し去った、自分の言葉で状況を思い出したのか、次第に目つきが険しくなり怒りを顕わにした。
「あぁ!!ごめんって!!……でも仕方ないだろ?オーウェンが現れたんだ。もたもたしてたら俺達は死んでたかもしれないんだしさ」
無言でカミルを見つめ「ふんっ、それは許してやる」素直に引き下がったティアに薄気味悪さを感じた。
「代わりに後でオーウェンという男の話を聞かせろ。それで無かったことにしてやる」
「ははは、そいつはどーも」
そこでティアの手から放たれる光が途切れた。ティアは立ち上がり、手を差し伸べる。
「ほら、もう終わりだ。さっさと倒して来い」
「ありがとう。行ってくる」
ティアの手を取ると、身体を引っ張り起こされた。
「戦いが長引けば長引いた分だけ話を聞かせてもらうからなぁっ」
「それは早く終わらせないと」
二人は顔を見合わせ得意顔を浮かべると、カミルはオーウェンとの戦いへと戻っていく。
祟竜の亡骸を見た瞬間、全身から力が抜けた。その途端、足場が消え去ったかのように身体が落ちていくのを感じた。地面にへたり込む。カミルが放った一撃により、亡骸はすでに吹き飛んだ。代わりに現れた亡者と戦わなければいけないのだが、まだウルシンキの心は立ち向かうことを拒絶している。
まただ……。また俺は何もできないのか……。
手がガタガタと震えていることに気付き、そんな自分の姿を嘲笑った。竜に食い殺された仲間達の姿がフラッシュバックし、ウルシンキの心は恐怖に染め上げられている。
これが隊長を張る人間がやることかよ……。おい、動けよ。また仲間を見殺しにするつもりか?あいつは竜じゃねえ。何を恐れることがあるんだってんだ!!
拳を握ろうと力を込めるも、まるで力が入らない。自分の身体が自分のものでないような気さえしてくる。
くそが……。
不意に、派手な格好の女が近寄って来る。ゆっくりと見上げれば、皇国の学者ティティアが近づいていた。その瞳には感情が映っていない。情けない恰好を晒しているにも関わらず、蔑みも、憐みもない。ただありのままのウルシンキを見つめている。
「何をそんなに怯えている?」
「………」
「だんまりか。まあ、どうでもいいや。誰だって苦手なもんの一つや二つあるだろうからな」
「………」
「でもな、そんな悔しそうな顔でいられたら居心地悪いんだよ。行くなら行け、無理ならそこで大人しく祈ってろ」
「……お前に何がわかる」
「はんっ、わかってもらいたいのかい?」
顔を背け「そんなんじゃねえよ……」否定の言葉を口にする。
「面倒くさい男だねぇ。認めちまいなよ、自分がビビりだってことを」
瞬間的に頭に血が上り、ティアを睨みつける。
「俺はビビりじゃねえ!!ちょっと休憩してただけだろうがよッ!!」
欺瞞的な言葉だった。恐れを抱き動けなくなっていると思われるのは嫌だった。特に異性が相手なら尚更だ。水の精霊アリューネの加護の剣、フルーアウィズを受け継ぎ、誇りを胸に生きてきた。それがたとえ事実であったとしても、容易に受け入れることは困難だ。
ティアはにやけた顔で問いかける。
「なら、もう十分なんじゃないか?翔竜の一件以来、お前はまともに戦っていないだろ?」
くっ、なんだこのアマは……。ああ、クソがッ!!やりゃあぁいいんだろ!!
「英雄は遅れて登場するもんだろ?早すぎるくらいだ。もっとピンチになってからでもいいんだよ」
震える足で立ち上がる。真っすぐ立てているかも怪しい。強がってはいても身体は正直だった。
当然ティアもそのことには気づいていたが、触れることはない。やる気を見せたのだから、わざわざ心を折る必要がないのだ。自尊心というものをティアはよく理解しており、似た匂いのするウルシンキの扱いはお手のものだ。
こいつの口車に乗せられた形になっちまったが、まあいい。何とか立ち上がることができた。あとはフルーアウィズさえ握れれば戦うことができる。
手を握っては開き、手の感覚を確かめると柄に手を伸ばした。
「準備運動がてら、遠距離から手を貸してやりなよ」
この女、もしかして―――。
心を見透かされてるのか?そう思ったが、思考をそこで止めた。
今はあのダインの亡者を退かせねえと。
「見てやがれ。このウルシンキ様の本気ってやつをな」
ウルシンキの言葉に呼応するように、フルーアウィズが輝き始めていた。
あれは帝城で見た漆黒の翼?でも、片翼だけ?
リアは朧げながら、両翼のオーウェンの姿が脳裏に浮かんだ。庭園の中空で玉座の間と向かい合う形だった。細部までは思い出すことができないが、間違いなく左右に翼が生えていたのは覚えている。
命を落とした影響?十全の力を振るえないのなら、希望はあるかもしれない。
漆黒の翼が蠢いた。ボコボコと膨れ上がり、くの字に折れ曲がった。それは大きな鎌を模り、リアの首へと動き出す。
「反射反動」
真横からの一振りに上体を大きく逸らすと、顔のすぐ上を漆黒の鎌が通過していく。そのままバク転で距離を取ると、その直後、ズドォォォン!!リアが居た場所を大剣が叩き、大地が砕かれる。
ふと、オーウェンの背後に視線をやれば、アリィが背後から斬りかかっていた。
ビュンッ。漆黒の鎌が空気を斬り裂き、アリィへと迫っているが、本人は未だ気づいていない。
「アリィ!!横ッ!!」
ガギギギギギッ。漆黒の鎌は細剣に阻まれ直撃することはなかった。だが、オーウェンの黒の力の前にアリィの足が地を離れ、再び大地を転がっていく。
オーウェンの腕が伸びる。握った拳を広げ、アリィへと掌を翳すと黒の元素が形を成す。生み出されたのは漆黒の槍のようなもの。そこから更に全体がぐにゃぐにゃと形を変えていく。模ったのは翼を持たぬ竜だった。
「駿動走駆!!」
脚に風を纏わせ駆け出すも、漆黒の竜となった黒の元素の塊がアリィへと放たれた。
駄目、間に合わない!?
「アリィ!!逃げて!!」
届かぬとわかっていながらも、リアは全力で手を伸ばす。だが、それは叶わぬ願いだった。リアのすぐ脇を、漆黒の竜が通過していく。その姿を見送ることしかできなかった。
その直後、凄まじい爆発音を響かせ、視界は青に染まっていく。漆黒の竜は叩き落され、片足で踏み潰すように一人の男が立っていた。
「英雄ってのは遅れて登場するのがお決まりなのさ」
青く輝く剣を携え現れたのは、全身が青く染まったウルシンキだった。




