162 チョコレートのお披露目会3
「そうだ、ここで会ったことはお父上には黙っていてくれるかい?」
「それは、私の口からは伝えません、としか申し上げられませんわ」
暗に、別のところから情報がもたらされるのを止めることはできない、と伝える。
父ならばジェラルディーナのお忍びを把握しているはず。となると監視の役目を負った者がいて不思議はない。その者がこの方の顔を知っていれば、必然的に伝わってしまう。
「ああ、それでいいよ。叱られるのが先送りされればね」
「苦言を呈されるとお分かりなのに、どうして脚をお運びに?」
ちょっと呆れ気味に眉尻を下げれば、紳士は、ふ、と薄く笑った。
「それは言わずとも分かるだろう?」
手にしていた皿から一粒、チョコレートを持ち上げる。
表面を固めのチョコレートでコーティングしてある中には、ねっとりとしたガナッシュが詰まっている。今日出されている中で、一番チョコレートそのものを味わえる一品だった。
余すところなくチョコレートの魅力を味わえる濃い一粒は、ボンボンショコラ。
どうやらこの方は、それがお気に召したようだった。
アバティーノ公爵は、あの少女に爵位を取らせるつもりらしい。
どうしてそれほどあの少女に入れ込むのかは、少女を調べて理解できた。
おそらく父は、あの少女にとある人物を重ねている。
あの少女がそうなのかは分からない。だが会って話して、彷彿とさせる部分があったのだろう。
庇護を与えると決め、さらに上をと考えているのだから、公爵にとってあの少女はそれだけの価値があるということだ。
目の前のこの方が、公爵と同じ理由で注視しているのかは分からない。
コフィアか、ロイスフィーナ商会長か、デルフィーナか。彼が注目している存在がどれなのかも不明だ。
言わずとも分かる、がどこにかかっているのかは曖昧だが、この方がこの場にいる、というのがなにより重要な情報だった。
そんなジェラルディーナの思考を推察してか否か。
紳士は手にしていた皿を微かに掲げた。
「このチョコレートというのは素晴らしいね」
明るいブラウンのパウダーがまぶされた、生チョコレートなるものにピックを刺す。上品に持ち上げた彼は、そのまま静かに口へと運ぶ。
毒見はいいのかと一瞬焦ったが、よく考えればこの来訪は誰にとっても想定外だ、この場に毒の懸念はまずない。
貴族の利用を想定してか、ピックは銀で作られていた。それの変色もないため、安全確認も一応できている。
ゆるりと微笑む様子はいつになく緩んでいて、ジェラルディーナは意外に感じた。
「失礼ながら、それほどの甘味好きとは存じ上げませんでしたわ」
「そうだね。特別甘味が好き、というわけではないかな」
含みを持たせた言葉と笑顔で、ジェラルディーナは察する。
既存の菓子はとにかく甘さ優先で、かつ、コフィアの菓子と比べるとシンプルなものが多かった。
過去の菓子にはそこまで惹かれなかった、と言いたいのだろう。
同意しかないジェラルディーナは深く頷いた。
この方が何を思ってこの場にいるのかは不明だが、コフィアの菓子が素晴らしく、チョコレートはさらに良いものであるとの意見には賛成だ。
今日、この新作披露会に来た者のほとんどが肯定する感想に違いない。
濃いチョコレートの食べ過ぎは体調に影響が出る可能性があるため、ご注意ください。
とテーブル上に書かれ、会の始まりにデルフィーナが挨拶した時にも言っており、皿から菓子を取り分ける給仕人も個数のカウントをしているようだが、これはいくらでも食べたいと思ってしまう味わいだった。
ボンボンショコラも生チョコレートも、蕩け方がとてもいいのだ。
これに魅了されない人は、ごく僅かではないか。
売り出し始めたら、あっという間に売り切れ続出で、入手困難になりかねない。
「これは早いところ、確保できるように動かないとならないな」
空になった皿と交換するようにお側付きが差し出したティーカップを受け取りながら、紳士は悩ましげに頬を歪めた。
ジェラルディーナはアバティーノ公爵とデルフィーナの関係があるため確実に定期的な入手が可能だが、この方には確立したルートがない。
使いの者を店へ寄こしても、確実に購入できるわけではない。
それを思っての表情なのだろう。
「最近、ほうぼうからカフェテリアの話を聞いてね。興味があって来てみたものの……こんな出会いがあるとは思わなかったな」
苦笑する紳士は、予想外だったと零す。
その言葉は本音だと思われた。
この方は、今日が新作披露会だから来訪したのだ。
お忍びであろうと、いつもの席に着く形の店では、短時間の滞在となり逆に目立つ。かといって長く滞在すれば彼の顔を知る者と遭遇しかねない。
注文した料理が運ばれてくるまでを考えると毒見も必要となるし、それを店でするのは目立つ。
立場を明らかにしての来店は、店を貸し切りにするしかなく、コフィア贔屓の貴族の反目を買いかねない。
そこまでしたところで、そもそも長居できるほどの時間があるのかどうか。
総合して考えれば、普段のコフィアはどうしても利用できない。
しかし新作披露会ならば客は流動的だし、食べるものも特定されないし、商会長達や店内の様子を探ることができ、話題の菓子や、新作の菓子を楽しめる。
短い滞在も可能な今日だからこそ、自身の目で見て舌で味わえると、やって来たのだ。
紅茶も菓子も素晴らしく、その文化を定着させつつあるカフェテリアの存在は、バルビエリにとって確かに大きい。
今後のことを考えれば、聞くだけでなく自身で確認しておきたかったのだと推察できる。
デルフィーナのことがあるからではなさそうだと判断して、ジェラルディーナはそっと息を吐いた。
「フォーチュンクッキーはお受け取りになりました?」
「なんだい? それ」
「こちらですわ。店のオーナーが配っておりますの。くじになっていて、お土産をもらえるとか」
ジェラルディーナは先ほど引いて、まだ割っていなかったフォーチュンクッキーを見せる。
包み紙ごと皿に載せていたそれをしげしげと眺めて、紳士は、いや、と首を振った。
となりで見ていたお側付きがすぐに動いて、壁際に控えていたスタッフに声をかける。
スタッフの合図でか、デルフィーナがジェラルディーナ達へと目を向けた。頷いて、対応していた客に挨拶をしてから、こちらへとやってくる。
少女が足を止めたところで、ジェラルディーナは声をかけた。
「デルフィーナ、こちらはさる高貴な方のご子息なの。フォーチュンクッキーをまだ受け取っていないそうだから、差し上げてくれる?」
ジェラルディーナの言葉に微かに戸惑った様子を覗かせたが、デルフィーナは笑顔を崩すことなく、“淑女の礼”をとる。
「お初にお目にかかります、当店のオーナーを務めております、デルフィーナ・エスポスティでございます。本日はご来店、誠にありがとうございます」
相手の身分が分からないながら、ジェラルディーナが丁重に接する人物なら、と当たりをつけて、デルフィーナは令嬢として、また商会長として、障りのない挨拶をした。
「本日はお招きありがとう。といっても、私はおまけでね。彼への招待に便乗させてもらったよ」
「さようでございましたか。親しい方からのご紹介でいらしたり、ご一緒に足をお運びいただいて、当店のご利用を始めてくださるお客様は多いのです。皆様方に支えられて運営できている店でございます、どうぞお心置きなくお楽しみくださいませ」
小さいながら優雅に一礼して見せたオーナーに、紳士は笑みを零す。
「はは。ありがとう。私はガレアッツォという。このチョコレートなるものは素晴らしいね。定期的に購入することは可能かな?」
この紳士が名乗ったことに、ジェラルディーナは衝撃を受けた。
といっても、普段使わないミドルネームだ。
身分を明かす気はまだないようで、内心ほっとする。
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