155 公爵家を辞す
その日の朝もパッチリと目覚めたデルフィーナは、エレナが来る前にカーテンを開けた。
窓の外は花曇り。
春の訪れを感じさせる陽光は見えないが、冬の刺さるような冷たい空気ではなくなっている。窓辺に立ってもそこまで寒くない。
ガラス越しに表の整形式庭園を見下ろす。これも今日で見納めだ。
すぐにやってきたエレナに手伝ってもらい身支度をすませると、部屋に朝食が運ばれてきて、公爵家最後の食事をいただいた。
「料理長がもっと滞在していただきたかったと嘆いていましたよ」
食後のお茶を淹れながら、ミーナが朗らかに言う。
「撞球室付きの使用人も、もう少し他のゲームも教わりたかったと零していましたね」
苦笑しながらテオも頷いた。
将棋について教えた使用人は、どうやら後からデルフィーナがロイスフィーナ商会の会長だと知ったらしい。
双六や五目並べなどのボードゲームを商会から出しているため、盤上遊戯に詳しいと思われたようだ。
確かにあれらをバルディに持ち込んだのはデルフィーナなので間違ってはいないが、知識があるだけで強いわけではないので、定石などを聞かれても困っていただろう。
十日間は長かったのか短かったのか。
惜しまれつつ去るのは、やっと帰ると言われるよりよほどいい。
とりあえずはお行儀良く過ごせたのかな、と感じてデルフィーナは胸をなで下ろした。
ほぼ手ぶらで来たデルフィーナは、帰りもほぼ手ぶらだ。
借りていたドレス類も持って帰れと言われたが、それは丁重にお断りした。
今日着ているのは、来た時に着ていた、シックな藍のベルベット地に青と水色と金の糸で刺繍を施したドレス――クラリッサが急いで作ってくれた、お守りを兼ねたドレスだ。
これがあれば、十分なので、とデルフィーナは固辞した。
ミーナは「こちらで用意したドレスは、またいらした時に着ていただけばいいですね」と笑って受け入れてくれたが、再訪の予定はないし、当分来ずにすめばいいと思っている。
閣下も、この館の人達も、とても良くしてもらって決して嫌いではないが、どうしても緊張するのだ。
慣れた頃に帰ることを思えば、次があったとしても、しばらく先でいい。
滞在が決まった日に後からエスポスティ家の使用人が持ってきてくれた、日用品や寝間着や室内履きなどを詰め込んだバッグひとつをエレナが持って――馬車まで運ぶとすぐにテオが代わってくれたが――デルフィーナ達は借りていた客室を出た。
共に帰るアデリーナとは、ラウンドアバウトで待ち合わせている。
デルフィーナは迎えの馬車に乗るが、アデリーナは自分の馬に乗っての移動だからだ。
玄関ホールでもある大広間に着くと、暖炉には火が赤々と燃えていた。
冷えた部屋で客を待たせることのないよう、ここはいつでも温かい。
エスポスティの屋敷は、玄関ホールではなくすぐとなりに待合室を設けているので暖炉はない。
古い造りのお屋敷の、その伝統の姿を最後にじっくり眺めながら、デルフィーナはミーナに促されるまま暖炉傍の椅子へと座る。
飾られている絵画や東大陸産の大きな絵皿を温かいところから鑑賞しつつ、迎えの馬車を待った。
「お迎えがいらしたようです」
窓から外を見ていたテオの声で、デルフィーナは顔を上げる。色の違いがなければ継ぎ目が全く分らない市松模様の床を舐めるように注視していた。
室内を見渡せば、ちょっと呆れ顔のエレナと目が合う。
ミーナの姿がないなと思ったところへ、カリーニを伴ったミーナが戻ってきた。どうやら見送りに来てくれたらしい。
その間に馬車の対応をしていたテオが、外からホールの扉を大きく開けた。
「あ!」
テオの後ろから現れた人物に、デルフィーナは思わず声を上げてしまった。
慌てて口を手のひらで塞ぐ。
そんな姿に釣られたのか、クスリと笑った彼は。
「迎えに来たよ、デルフィーナ」
いつも通りの微笑を浮かべたアロイスだった。
「この度は姪のデルフィーナが大変お世話になりました。お約束をいただいておりませんので、閣下にお目通りは叶いませんが、どうぞ、エスポスティ家一同が礼を述べていたこと、お伝えいただけますと幸いです」
カリーニに向けてボウアンドスクレープをおこなう。
アロイスの後から入ってきたジルドは、いくつかの木箱を持っており、それはテオへと預けられている。世話になったお礼の品、ということだろう。
返礼をしたカリーニは、遠慮なく頂戴いたします、と笑顔で受け取っていた。
閣下にもよしなに伝えてくれそうだ。
十日ぶりに会った叔父に、デルフィーナはちょっとソワソワしてしまう。
話したいことがたくさんある。愚痴りたいこと、語りたいこと。発見したもの、この先のこと。いくらでもあるのだ。
落ち着かない様子のデルフィーナの頭を軽くひと撫でしてから、アロイスは木箱の受け渡しが終わったのを見て、外へと促す。
馬車が来たのをどこからか見ていたのだろう、アデリーナが馬を引いて歩いてきた。
馬の反対側を歩いていた馬丁は、居を移す馬との別れを惜しんで見送りに来ていたのか。彼に引き綱を預けると、アデリーナは身軽にエントランスへ上がってきた。
ドナートから話を聞いていたアロイスは、足を止めてアデリーナと向かい合う。
「これからデルフィーナがお世話になると聞きました。叔父のアロイス・エスポスティです」
「初めまして、デルフィーナ嬢の護衛の任を閣下より賜りました、アデリーナ・コレッティです」
両者ともに、軽めに頭を下げて挨拶をする。
アデリーナは背が高い。
アロイスと向き合うと、その身長差はほとんどない。アロイスは男性の平均身長くらいはあるので、いかにアデリーナが長身なのかが分る。
アデリーナが差し出した手を握り返して握手をすると、アロイスは社交的な笑みを浮かべた。
「共同で商会を運営している都合上、デルフィーナとは共に行動することが多くなります。私と、私の従者のジルドも、接する時間が増えるでしょう。どうぞよろしくお願いします」
そう言って、後ろに控えていたジルドを示す。
視線を向けたアデリーナへ、ジルドはその場を動かず会釈した。それにアデリーナも頷きを返す。
顔合わせは無事終わったようだ。
「では、これでお暇しよう」
デルフィーナへ声をかけたアロイスは、エントランスまで見送りに出ていたヴォルテッラ家の使用人達へ向き直る。
デルフィーナはそこに並んで、世話になったミーナ、テオ、カリーニにカーテシーをした。
「お世話になりました。閣下にも御礼をお伝えください」
チョコレートを売り込んだ都合上、ヴォルテッラ家とロイスフィーナ商会の繋がりはできたが、商会長のデルフィーナが自身で配達に来ることはない。
ほんのちょっぴり寂しさを感じつつ、デルフィーナは挨拶を返してくれた三人へ笑顔を向けてから、きびすを返した。
振り向くことなく、アロイスがエスコートしてくれた手に頼って、馬車へと乗り込む。
アロイスに続いてエレナが乗り込み、ジルドがランブルシートに乗り込んで声をかけたところで、御者が馬へと合図を出した。
緩やかに動き出した馬車の中から、エントランスで手を振るミーナにデルフィーナも手を振り返す。
当分この館には来なくていいと思うものの、十日間ずっと一緒にいた人達との別れはどうしても寂しさを伴う。
次はいつ会えるだろうか。
窓の外に流れ去る整形式庭園と門を眺めながら、デルフィーナは小さく息を吐いていた。
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