124 公爵との対話
献上品――手土産として持ってきたのは、必須のチョコレート。
なにせ閣下がドナートに話題を振ったきっかけだ。
カカワトルをどのように使うのか、まずはそこを会話の入り口とするのが運びやすい。
「お初にお目もじいただきます。エスポスティ子爵が娘、デルフィーナにございます。本日はお招きいただき、誠にありがとう存じます。まずはこちらをお納めくださいませ」
挨拶を終えたデルフィーナは、部屋に入ってすぐの壁際に控えていたエレナへ顔を向ける。視線に気づいたエレナは、並びに立っていた公爵家の使用人に声をかけた。
手にしていた箱をそちらへ渡す。受け取った使用人は丁寧に箱を捧げ持つと、すぐデルフィーナの元へ運んできた。
その間に、必要と見てか、別の使用人が丸形のサイドテーブルをデルフィーナの椅子の傍に設置してくれた。
箱を持ってきた使用人はそのままテーブル上へ置いてくれる。中身はともかく箱が重いため、助かった。
「ありがとう」
どちらへも礼を言って受け取ると、デルフィーナは箱を開ける。
大きな箱の中から、小ぶりの箱を一つ取り出した。
これは薄いが堅い木で作られた、チョコレート用に設計した箱だ。贈答品として耐えうるが、まだ試作段階で装飾は少ない。ほぼなかったところへ慌てて入れてもらった物だ。
その箱の中には、昨日完成したチョコレートが入っている。
一先ず今のチョコレートのレシピを作り上げたイェルドに、完成品を屋敷まで持ってきてもらい、デルフィーナ作のパラフィン紙を使ってラッピングを済ませた。
今回持ってきたのは、しっかり固めのダークの板チョコレートと、ミルクチョコレートのガナッシュ。生チョコレートの石畳と言われる形状のものだ。ココアパウダーが作れたので高級路線商品として準備した。
馬車の揺れで多少動いても見た目に影響がないので、こちらも贈答向きと考えていたが、今日の披露目になるとは思っていなかった。
ボンボンショコラやトリュフチョコレートの製作はまだこれからだ。
「こちらは、閣下が気にかけておられたものです」
「ほう? 例の薬か。手に入れてからまだそれほど経っていないのではなかったか?」
入手時期もしっかり把握されている。
「はい。ですが閣下のお声がけがありましたので、急ぎ完成させました」
アレンジはまだこれからなことは話さない。
デルフィーナは傍にいた使用人に目配せすると、近くに寄ってもらう。閣下にも見えるようにしながら、目の前で開けると、別添えの小皿と小さな二股のピック――どちらも銀製だ――を確認してもらう。
ピックで刺して皿に乗せ、皿を持ち上げココアパウダーが落ちないようにしながら食べる、と動作で示して見せた。もちろん贈り物に手は付けられないため、手振りだけだ。
頷いた使用人は箱を閉めると持ち上げ、閣下の元へと運ぶ。
「お口直しに、何かお飲み物がある方がよろしいかと」
箱を受け取るとすぐに中身を出させ、そのまま食べそうな勢いの閣下に、慌ててデルフィーナは声をかけた。
ここは接見のための場で、飲食の用意はされていない様子だった。
毒味されるにしても、この場で口にすれば否応なしに万が一があった場合犯人を捕らえられる。そういう流れなのだと思う。
別の使用人がさっさとゴブレットを運んできた。中身はワインだろうか。
(まぁチョコレートとワインは相性もあるけど、まず大丈夫でしょ)
バルビエリで普段飲まれているワインは基本的に赤が多いようだから、そこまでミスマッチではないはず。
使用人が取り分けた石畳チョコレートを一欠片、閣下が口にする。
(お毒味はいいんですか?!)
使用人が口にしないまま食べてしまった閣下に驚きながら、デルフィーナは息を呑んで声を殺した。
きっと今、閣下の口の中では生チョコレートがとろけて、溶け出しているだろう。
鼻に抜ける芳醇な香りは、酒にも劣らない。
目を瞑って味わい、香りを楽しんでいた閣下は、ゆっくりまぶたを開けると、ふ、と口元を緩めた。
ドナートより年上、けれどガヴィーノより年下の閣下は、黒の混じった白銀の豊かな髪をたてがみのように背へ流している偉丈夫だ。これで武人ではないのだから恐れ入る。
そういう視覚効果をも狙っているのかもしれないが、堂々とした態度に見合う体格と、目力の強さがあってこそ、威圧感に重みが増すのだろう。
そんな閣下の浮かべた笑みは、微かなのにぞくりとするもので。
だが同時に悪戯っ子のような雰囲気も感じ取れて、デルフィーナは戸惑った。
(チョコレートはお気に召した、のよね?)
ゴブレットのワインで口の中を改めると、閣下は椅子に背を預け、大きく脚を組んでから口を開いた。
「これがカカワトルとはな。気に入った。これを私に捧げることを許そう。この加工についての権利を寄越すがいい」
完全に上から目線の堂々とした宣言。
(あらまあ)
デルフィーナは目を瞠った。
交渉もなにもない。単純に命令だ。
(違和感がバリバリにあるぞぉ?)
戸惑いをそのまま表情としてあらわにするデルフィーナへ、閣下はにやりと笑う。デルフィーナの答えを待つ様子に、デルフィーナは推察した。
(これはあれね。試されてるわけね)
おそらくこれは、公爵閣下が稀人の対応を見るための、ひっかけだ。
そんな仕掛けなら、乗ろうではないか。
デルフィーナは閣下のフロスティブルーの瞳を見返し、微笑を浮かべた。
「見事な交渉術のご披露、ありがとう存じます」
完全な皮肉だ。
閣下がしたのは命令で、交渉ではない。
だが閣下の様子から、デルフィーナは閣下がウィットに富んだ会話を好まれる性格と判断した。
効き過ぎた嫌味や毒舌は機嫌を損ねるが、ある程度の遊び心を持って対応する方が興をそそるだろうと。
いきなりの命令というやり方で、稀人から有益な何かを引き出せると考えているのなら、思考が明瞭ではないようですね、と暗に嗤ってみせる。
デルフィーナの返しは合格だったようで、公爵閣下は表情を改めた。
「ふむ、さすがに引っかからぬか」
「私が怒りから失言をすることをお望みでしたか?」
デルフィーナの素直な問いに、閣下は顎を撫でる。髭はないのに、髭を撫でるような動作だ。考えるときの癖かもしれない。
「失言はどうでも良いが。早くに中身を確認するには、怒りに我を忘れさせるが一番ゆえな。だが、そなたが比較的冷静な質だと分かった」
「この程度では怒りませんわ。閣下と違い、下から数える方が早い身分ですもの」
デルフィーナは、貴族籍があるとはいえ、子爵位を継ぐ身ではない。女であり子どもである以上、命じられる側である。
頭ごなしに言われたところで、腹立ちはあれど反駁はしない、そういった立場だ。さいわいドナートは話を聞くタイプの人間で、その手の怒りを覚えたことはないが。
だから初っ端から強い命令を下されても、我を忘れるほどの怒りはわかないし、わいても抑えられる。
爵位を持つ者が相手なら有用な方法でも、デルフィーナにはあまり効果がない。
そうさらりと伝えたデルフィーナに、閣下は、ふむ、と唸った。
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