120 記憶の中の稀人
遡ること数刻。
闇の帳が下り星が瞬く深夜。ようやく自室で一人となったアバティーノ公爵ことジェルヴァジオ・エリア・ヴォルテッラは、最近気に入りの南大陸産の酒を、ガラスのゴブレットに注いでいた。
甘く複雑な香りのするこの酒は、砂糖の産地で造られており、ワインよりもかなり強い。
ぼんやりと取り留めなく考え事をしたり、その日あったことを反芻したり、今後の予定をざっくり決めたりする、寝る前の少しの時間を過ごす伴として愛飲していた。
二日ほど前にエスポスティ子爵から手紙が届いていた。今日の午前に返信を出したので、明日には件の“稀人”が来訪する。
“稀人”という存在は、三世代に一人くらいの割合で見つかるらしい。
ただし、大陸中のどこに生まれるのかはわからない。
生まれても秘匿する場合もあるし、親や家族から売られるように権力者へ差し出される場合もある。
周りが気づかないこともあれば、あからさまなこともある。
エスポスティの稀人が本物ならば、二人続けてバルビエリで見つかった初めてのケースとなる。
これが露見すれば、諸外国が多少うるさくなるだろう。
その昔は、本来知らぬことを知っている、悪魔憑きとして処分されることもあったらしい。
稀人という存在が認知されて以降、教会は何もいわないが、異分子としては認識される。
信じる神が違うこともままあると聞くから、それも致し方ないことだ。
体よく排除する理由が、悪魔憑きだったのかもしれない。昔は無知ゆえの排他的行為が横行していた左証といえよう。
だが知識を持った“稀人”は、確かに脅威の存在なのだ。
年古りた男の言葉が、今も耳に残っている。
「子孫の代に国が滅びてもいいのなら、どうぞ戦をなされませ」
当時のジェルヴァジオは成人間近の若造だった。
王に召されたその老人が、稀人だと知ったのは後々のこと。
国力増強のため国土を広げんとする意見が一部から上がり、御前会議で検討された折のことだった。
ジェルヴァジオは父の従者としてその場にあり、発言権など当然なく、そもそもあげられる意見すら持たない子どもだったが、国の行く末を決める場に在ることに静かな興奮をおぼえていた。
声高に開戦を求める者達と、確実な勝利のない限り採算が合わないと否定する者達と。均衡が崩れぬまま時間だけが過ぎていく。
そんな時、王が一人の宮廷魔法士を召した。
会議に参加していなかったその魔法士は、王に、国力を上げるために戦をすべきかどうか問われて、答えたのだ。
なぜ今でなく子孫の代なのか。滅びるという理由は、と問うた王や貴族達を見回して、かの稀人は述べた。
「国力にたいして差のない隣国を攻めるなら、大軍を起こさねばならん。そしてそれを数年維持する必要がある。その余力が我が国にあるのかの?」
考えるように黙った人々へ、さらに説く。
「弓矢や兵站を運ぶ馬車、それを動かす馬。戦場で恐れず動ける馬は特別だ。軍馬は育てるのにも金がかかるであろ。
戦は個人の強さはさほど影響せん。士気を上げるのには役立つが、戦況を左右するほどではない。武勇の轟く勇士がいかほどいる? 勝てる策を立てる軍師は何人この国にいるのだ?
大軍が暴走すればイナゴの群れと変わらぬ。全体の指揮を取れる者が幾人いるのか。戦場でその者らが欠けても問題ないほど有能な人員が本当に揃えられるのか?
働き手を戦に取られ、田畑は誰が耕すのかの? 武器に回すゆえ生活に使う鉄製品は新しく作られず、ひどくすると取られる始末。
耕す道具すら失い、食料は減る一方となろう。
戦場になる土地に住む者は逃げねばならん。
国外でのみ戦をする? 敵は敵で我が国を削ろうと侵入してくるだろう。国境はどうあっても何処かが戦場となる。畑に火をつけられれば一気に食料が減ろうな。
他国で勝とうとも、その場で略奪をすれば後々治めるのに苦労する。
だが勝った兵に自制を求めるならそれなりの報酬を用意してやらんといかん。その金はどこから出すのかの?
兵站と武器と馬と人員を徴収により集め、金など平民には残らぬ。貴族が身銭を切って出すか? お前達はそれを良しとするか?
勝ったならせしめた土地を治めるのに金も気も遣う。元の国の者を警戒し謀反を起こさせないよう重税も課せぬし、たいした旨みはないであろ。
ましてや戦に負けたらどうなるのかの? 金も人も食料も失うのだ。敵国に支払う分も考えれば、酷い負債よな。
勝ったところで恨みは残ろう。その根は何十年と残り、この国が少しでも弱まれば、残った禍根が掘り起こされて、今度はこの国が食われる番だ。
二国間で争ううちに弱まった両国を第三国が飲み込んで終いだろうて。
それが、いつ起こるともしれぬのだ。
子や孫に抱えた火種を遺したいのでなくば、戦は控えるがよかろうよ」
そうやって、堂々と述べた。
この稀人の発言により、その後早々に議会は結論を出した。当然開戦はなしだ。
開戦派は歯噛みしたが、稀人の言を覆せるだけの論説は出なかった。何を言っても論拠がなく、王の決断を翻させる者はおらず。
近隣国とは和平を結ぶ方向へ舵を切ることとなった。
当時公爵であった父がなぜ自分を従者として会議に伴ったのか。一連の流れを見て、ジェルヴァジオは察した。
稀人を見せたかったのだろう、と。
それほどに稀人という存在は異質であった。言葉では言い表しようがない。こればかりは直に接しなければ理解できなかった。
稀人の特異な点は、相手が王であろうと、臆さず話すことだ。
身分に拘らない、というのは普通、上のものが目下に対し鷹揚に構えることをいう。だが稀人は、礼節は保っても、その身分に対する畏れがない。
後々聞いたところによると、彼の過去世では身分はひとつしかなかったそうだ。等しく平民だったのだという。
貧富の差はあれど、政治を司る者も、肉体労働に励まねばならぬ者も、同じ身分であったと。
耳を疑ったが、同時に納得できた。王に対してすら畏れを抱かぬ対応なのは、それが根本にあるからなのだろうと。
人が等しくあるなど、この世界では絵空事でしかない。
ジェルヴァジオからすれば鼻で笑ってしまうことだ。
身分が明確にあるからこそ、線引きが明確にされているからこそ、民は安穏と暮らせるのだ。重い責任を果たす、そのための智慧を身に着けておらぬ者に、国の舵取りなど任せられまい。
民には民の担うところがあり、貴族には貴族の、王には王の責務がある。そのための財であり地位だ。
稀人は只人が持たぬ智慧を持つが、逆にそれが恐ろしく働くこともあるのだとジェルヴァジオは理解した。
それは、この世界に生まれたかの稀人自身も、分かってはいたのだろうが。
「さて、さて。こたびの稀人は、どんなものかな」
あの老いた宮廷魔法士と、どの程度同じで、どの程度違うのか。まみえるのが楽しみでならない。
今のところ危険はなさそうだが、いつまでも無害とは限らない。
王国へなにをもたらすのか。見定めねばならぬ。
ジェルヴァジオは瞳の色を深めながら、手の中で温む酒を飲み干した。
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