113 ウベルト
春が近い。
このところ日々暖かさが増していたのに、この日は冬の戻りのようにしんしんと冷えていた。
地下にあるコフィアの厨房も、当然寒い。はずだが、休店日だというのにオーブンはしっかり薪を焚かれ、かまどには大鍋がかけられて、休みのはずの店員達まで雁首揃えており――ちょっと引くくらい熱気が充満していた。
店は休みだが、厨房は忙しい。
砂糖を作ったり、チョコレートの試作を繰り返したり、日保ちする焼菓子を作ったり、材料の在庫確認をしたり。あわせて帳簿をつけるため、事務方も来ていた。
イェルド、フィルミーノ、リーノにくわえ、早速参加表明をしたオノフリオがチョコレート作りに精を出している。
その様子を見つつ、タツィオとリベリオが砂糖の鍋を焦げないようかき回している。
本来給仕の二人だが、いるなら手伝え、とイェルドに使われている。休みのはずの二人は試作の菓子が目的で来ているのだから、試食させれば十分報酬となるようだ。
そのあたりは、自由にして、とイェルドに投げて関知しないようにしているため、デルフィーナはまるっと無視することにした。
ネリオが帳簿をつけるようになってから、アロイスの店に来る頻度が減った。とはいえ彼も甘い物には目がないので、夕方には顔を出すと朝食の席で話していたから、今日の実験は彼も期待しているのだろう。
そう、今日は実験をする日なのだ。
コフィアに新しく入ったウベルトは、漁村出身の青年だ。
垢抜けない風貌だが、磨けばそこそこになるだろう。
給仕の仕事をメインにしつつ、厨房で下ごしらえの下ごしらえ――つまり材料を作る作業を担う予定だ。
集団面談の時、ウベルトは海水から塩を作れる、と語った。
塩は生活に必須のものだ。とはいえ海の傍で生活していたら、安価で手に入る。しかも塩作りは近くの村でおこなわれていた。
ウベルトの住む村の海岸は岩場が多く、広く天日干しできる平坦な地が少なかった。逆にその近くの村は、海辺に平坦な土地の多い地域だった。
塩作りは領主主導でおこなわれる事業のため、すぐ傍なのに、はっきりと貧富の差ができていたそうだ。
塩作りの人手としてその近隣の村へ出稼ぎに行く者は多かったらしいが、ウベルトはその道を選ばなかった。
魔法で簡単に海から作り出せるのに、他者に交じって天日干しや焚いて濃縮する作業をするのは虚しい気がしたからだ。
とはいえ一人の魔法で作れる塩の量などたかが知れている。
だから、何の役にも立たない魔法だと長年思っていたらしい。
その話を聞いたデルフィーナは、後日個人面談の場を設けた。
そこで、砂糖を溶かした紅茶、マヨネーズ、歯みがき粉を用意して、それぞれ、砂糖、酢、塩を抽出できるかを試させた。
結果、どれも成功した。
ウベルト自身はかなり驚いていたが、デルフィーナは予測が当たってほくそ笑んだ。出来上がっているものからも一つの成分だけを分離させられるのは、かなり使い処がある。
当然、即座に雇用契約を結んだ。
ただひとつ、マヨネーズから油を抽出することが、なぜか上手くできなかった。
固有魔法の能力が「分離」であるのなら、油も可能なはず。
デルフィーナは疑問に思い、色々と質問を重ねた。そうして話を聞いていくと、どうも油のイメージが上手くできなかったとわかった。
貧しい漁村での生活では、油を使うことがほとんどなかったらしい。
魚から絞れないのか聞いたら、そこまで脂ののった魚は売りに出してしまうため、家で食べることは少なく、絞れる時は明かりを灯す用に使っていて、「食品に入っている油」のイメージが良いものとして浮かばなかったらしい。
魚灯油は酷い匂いがするという。デルフィーナは嗅いだことがないが、それは確かに、良いイメージに繋がらないだろう。
そこでデルフィーナは、「良い油のイメージ」をウベルトに植え付けることにした。
コフィアのまかない飯は、今はフィルミーノが作っている。
そこでコフィアの厨房で、ウベルトにカラアゲを作ってみせて、食べさせることにした。
さらに、バターたっぷりのクッキーも、バターを柔らかくするところから、ウベルト自身に作らせる。
そうしてオーブンで焼いている間に、椿やオリーブから油を絞るところを見せる。
絞る作業は小型の圧搾機にリーノが回転魔法を使っておこなった。
その椿油を櫛につけて、髪をとかして見せたり。取り寄せたシアバターを触らせて、ハンドクリームとして手につけさせてみせる。
とどめとして、綺麗に焼き上がったクッキーを食べている目の前で、ポテトチップスを作ってやった。
「油って、すごいんですね……!」
カラアゲで感動のスタートを切り、ずっと「油とは」を手で、目で、鼻で、舌で味わったウベルトは、すっかり油に対するマイナスイメージを払拭していた。
デルフィーナは改めて、小皿に出したそれぞれ多種の油を並べて見せる。
「そう、油は色んなところで使えるの。美味しい、素晴らしいものよ。もちろん、危険もあるけれどね」
「危険ですか?」
「火に注いだら大事になるわ」
「ああ」
バルビエリでも油を主に扱う問屋や商店は、どれも街の外れにある。それは火事が起きた時の延焼を恐れてのことだ。
中心地にある高級店は、広い敷地を持つ上、周りを池や水路でしっかり囲っている。
ウベルトもそれに思い当たったのだろう、納得したように頷いた。
「油はいいですよ。揚げ物はポテトチップスも美味しいし、ポテトフライも、カラアゲもフィッシュフライも美味しいです。アヒージョも美味しかったですねえ」
「アヒージョですか?」
「油でキノコや貝やエビを煮るのです」
食いしん坊のリベリオとタツィオがウベルトに語って聞かせる。
その話に反応したのは、ウベルトではなくオノフリオだった。
「油で煮る? どんな料理だオイ」
すぐそばにいたイェルドへ顔を向ける。
「ああ、あれは冬向きの料理だな。パンにつけて食べるのも良かった」
「オイ、だからレシピを教えろ!」
後ろでうるさい料理人二人は無視することにして、デルフィーナはウベルトの作ったクッキーに手を伸ばす。
「このクッキーも、バターたっぷりだから美味しいのよ」
「ですね!」
「バターが少ないのも美味しいんですが、サクッとほろっとするのはやっぱりこっちですね」
ウベルトに食べるよう勧めたら、ちゃっかりタツィオとリベリオが応えて手を出してくる。
デルフィーナに対してまだ緊張が残る様子のウベルトだから、茶化すような二人の存在は、なにげに役に立っている。
叱ることもできず、デルフィーナは、ふう、とひとつ息を吐いた。
「それでは本題に入りましょう」
「本題、ですか?」
「ええ」
疑問を浮かべた三人に頷いて、デルフィーナはマヨネーズを取り出した。
「もう一度、これから油のみを出せるか、やってみてちょうだい」
こくり、とウベルトの喉が鳴った。
「マヨネーズも、美味しいでしょう? この美味しさは、酢と卵と油のバランスがいいからなの。美味しい油を使っているから、コクがあるのよ」
冬場で新鮮な野菜が少ないため、デルフィーナはカラアゲにマヨネーズを乗せた。
「うわ、なんですかその背徳の食べ方は!」
今までやって見せていなかったので、速攻でリベリオが食いつく。
勝手に自分でやって食べなさいと手で示して、デルフィーナはウベルトに食べるのを勧めた。
「美味しい、です」
「油で揚げた鶏肉料理に、油で作っているマヨネーズを乗せる、美味しいに美味しいをかけたんだから、当然美味しいわ」
こんな油たっぷりの料理は、過去世では食べなかった。菓子好きのため、食事で摂るカロリーは常に気にしていたのだ。
でも成長期の今は、気にせず食べられる。
マヨネーズの乗ったカラアゲを食べ終えたウベルトは、小皿に出されたマヨネーズを注視した。
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