表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/14

幸せの魔法

南孝司は、困惑を張り付かせたまま、家の前で固まった。

三角形の奇妙な形の塔は、覚えていたそのままの場所にあったが、以前訪れた時とはまったく様子が異なっている。

蔦の絡まる古い洋館はそのままに、鉄製の門扉には可愛らしい小鳥を模った門飾りが揺れていた。庭に生い茂っていたはずの木々は姿を消し、綺麗に整地された芝生にブランコと白いテーブルが座っている。

これはどう見ても違う。

そう判断した南は、さっさとその場を後にした。南はかなり大柄で姿勢よく歩く為、かなり目立つのだ。子供のいる家を覗いていたなどと、通報されては適わない。

「きちんと確認してから出直すか」

南はとある大手出版社の編集者だ。現在は大人向けのライトノベルのウェブ雑誌を担当している。本当は児童文学の編集部への配置を狙っているのだが、まだまだ新人とあって、あと数年はここで頑張らねばならないだろう。

だが、その南を小躍りさせるようなことが起きたのは、極最近だ。ファンである児童文学作家・紅林美巳が南の雑誌で執筆してくれることになったのだ。しかも担当は南である。

初めて会った紅林は、意外と若く見えた。だが、南が紅林の作品を初めて読んだのはまだ小学生の時分なので、三十半ばにはなっている筈だ。実は学生の頃、別の出版社のアルバイトとして、一度だけ訪ねたことがあるのだが、その頃とまったく変っていない。

なので、今回も住所をロクに確認もせずに出てきたのだが、どうやら同じ町には住んでいても転居しているらしい。先程の家には『紅林』とは違う名の表札が掛かっていた。

紅林美巳という名が本名と知ったのは、担当になってからだ。新しいペンネームは『瀬谷芳見』。アシスタントをしている男の名から取ったということだった。

仕事だと何度も何度も唱え、ドキドキしまくった顔合わせで、紅林の隣に座ったアシスタントは、至極平凡な男だった。年の頃は四十半ばくらいだろう。だが、紅林は今の作品はアシスタントとの『共著』だと考えているとまで言い切った。

その言葉が忘れられない。

とりあえず、出直そうかと考えたとき、南の腹が空腹を訴えた。目の前の喫茶店から流れてくるミートソースの匂いに刺激されたようだ。

今風のカフェではなく、いかにもな喫茶店という雰囲気に惹かれて扉を開く。

「いらっしゃい。空いてる席へどうぞ」

恰幅のいい中年女の元気な声に促されて、腰を下ろした。下町という場所柄なのか、見回すと結構老人たちが多い。

「で、やっと勇人も落ち着きそうな感じでな」

「何か時生さん、その子の父親みたいねぇ」

老人たちのご近所話は筒抜けだ。だが、若い連中の話のようにイラつく感じは無い。南は安堵してカルボナーラのセットを頼んだ。

「でも、大丈夫なのか。その男、瀬谷さんちに入り込んでるんだろ?」

「小説家なんて、いかにも怪しげじゃない」

突然出てきた聞き覚えのある名に、思わず南は聞き耳を立ててしまう。

「でもよ。何だがその男が来てから、勇人が笑うようになったんだよ」

「瀬谷の小僧が? あのいつもむすっと下向いてるばかりの?」

「あの子、お母さん倒れてから、人が変わったみたいだったものね」

ご老体たちはすっかり昔話に興じている。どうやら、その瀬谷という男の家に、最近小説家だという男が一緒に暮らしはじめたらしく、それからというもの、暗かった家の主が明るく笑うようになったとのことだ。

その小説家という男は怪しいが、ひとまずは良かった。というのが粗方の意見らしい。

「でも、その人。随分手先が器用で、うちの雨戸治してもらっちゃったわ」

「瀬谷さんちの荒れ放題になってた庭。綺麗にしてるわよ。そこに飾ってあるラズベリー。その人がくれたのよ」

女性陣には評判がいいようだ。振り返ると、一輪挿しに飾られたラズベリーの枝がある。

「どうぜ、顔がいいからって言うんだろうが」

老人が入れた突っ込みに、周囲に笑いが起こった。おそらくは、ちょっと昔風の色男な外見もそれを助長しているのだろう。南はクスリと笑った。

「あれ、この本」

南の声に、店主らしい中年女が顔を向ける。入り口にあるマガジンラックには、いくつかの新聞や雑誌に混じって、児童書が置かれていた。

「お客さん、興味あるの。定休日に読み聞かせやってるのよ」

「ええ。好きなんです。これ『夏の魔法使い』ですね」

あちこち補修され、色あせてはいるが、随分読み込まれている本を手に取った。まだ、子供だった頃にドキドキしながらページをめくった物語。著者は紅林美巳。

「それ、確か勇人も好きだって言ってたな」

「そうでしょうね」

「何だ、勇人の知り合いか?」

「ええ、そんなものです」

老人の問いに曖昧に南は答え、席を立った。勘定を済ませると、思い切って店主に話し掛ける。

「瀬谷さんのお宅ってこの辺りですか?」

「ええ。そうだけど」

南の問いに、こちらを見る店主の視線はいかにも怪しげだ。

「僕、出版社の編集で。その、先程から話題にされている作家さんのところへ伺うところでして」

「あ、あら」

南の言葉に、悪口を並べていた連中は視線を逸らし、褒めていた連中は『ごらんなさい』とでも言うかのごとく、胸を反らした。

「いい本を書かれる先生です。ぜひ読んでください。その本」

先程手にとっていた『夏の魔法使い』を示すと、皆がわらわらと近寄っていく。店主はにこやかに瀬谷さんの家を教えてくれた。

庭に小さな藤棚がある、小さな古い一軒家。庭には、いくつかの実のなる木が植えてある。その隙間から覗く縁側は日当たりが良く、暖かそうだ。

「この家なら、いい話を書いてくれそうだな」

思わず呟く。そして、生意気なことを言ってしまったかもと一人で赤くなった。

「勇人さん。今日は何がいい」

庭へと降りる紅林の声がする。その声はひどく優しげで、幸せそうだった。南はそっと家を離れる。今日のところは邪魔をする気にはなれなかった。

日向の匂いのしそうな家。あそこがきっと紅林の幸福の形なのだろう。

ずっと、昔にめくった物語を思い出した。魔法が消えた魔法使いはきっとそれでも幸福に過ごしたのだろう。きっと、今の紅林のように。


<おわり>

これにて終了です。

ひとことくださると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ