恋慕
こうして、誰もいない城の中で奇妙な二人の生活は始まった。
貯蔵庫に余ったパン生地を焼いて毎日の食事とした。青年はリーゼルと名乗った。リーゼルは一週間足らずで回復していった。たまに譫言を言う日にはサーシャは静かに彼を訪ねて手を握ってやった。そうすると歪められた顔は段々と落ち着き、顔にほほえみを浮かべるのだ。そのとき、胸に住む龍が目覚め、心臓がバクバクいい、慌ててサーシャは部屋から出て扉の後ろでいつもその意味を考えるのだ。
「あなたは誰? ここはどこ?」
さっぱりと目覚めた日、彼はそうサーシャに訪ねた。
「ここは城よ。私はサーシャ。あなたが殺した男の娘よ」
リーゼルは目を見はるようにサーシャを見たがやがて暗い声で言った。
「…それじゃあ、あなたはいつか僕を殺すんだね。父を殺した敵に天罰を下すために」
「ええ、そうよ」
そんな時、彼は美しい琥珀の瞳を臥せた。それでも一眠りした後にはサーシャを神聖な者のように見るのだった。サーシャはその態度に更に混乱し、隠し持つ短剣の柄を持てないでいた。そして胸の嵐はサーシャの身体を壊しそうなほど日に日に強まっていった。
二人は王宮の庭に出た。燦々と輝く日の中リーゼルの肌が薄い着物を通してもキラキラと光っている。そんな彼の一つ一つに心を乱されながらもサーシャは慣れ親しんだ花畑に身を浸けた。父を殺した罪人を殺すと宣言してこれまで一度もそう言う素振りを見せたことはない。短剣の柄を持つといつも気持ちがくじけた。次の月には私はこの国の女王となり、そしてルッサと本当の意味での夫婦になるのに。そんな自分の甘さを捨て去るためにサーシャは花の海に禊ぎをしに来たのだ。
リーゼルのまるで歌うような笑い声が天にまで響く。そんな声を聞くとサーシャも思わず、ずっとかぶっていた仮面を脱ぎ捨てて騒ぎたくなった。昔、感情をそのまま出していた少女だったように庭を駆け回る。サーシャは腹の底から声を出した。
「ほら、リーゼル鬼ごっこよ!」
彼は瞬時に意味を理解したらしく笑いながら追いかけてきた。サーシャは大木の影に隠れながら逃げ回った。細い木に身を隠していたとき、腕が伸びてきてサーシャの腰を掴んだ。思わず悲鳴を上げそうになるがリーゼルの褐色の腕はサーシャを持ち上げぐるぐると回した。叫び声をあげながら必死にリーゼルを掴んでいるが、元から細く体力が戻ったばかりのリーゼルはバランスを崩して二人もろとも花の中に崩れ落ちた。双方とも息をあげて頬を真っ赤にしていた。リーゼルの乱れた黒髪や、サーシャの逆立った髪に二人ともおかしくてクスクスと笑った。
心地よい笑いが去った後も二人は立ち上がろうとはしなかった。ただ流れる雲を見つめ、風に体を預けていた。リーゼルからは相変わらす香辛料の匂いがする。サーシャはふいと目を向けると、視線に気づいたのかリーゼルも琥珀の瞳を向けた。
花々の間から見えるリーゼルの瞳。
サーシャはこの時電撃が走ったように胸に眠る龍の存在を理解した。
出会ってからの時だって、結婚していたって、彼が誰であったって関係ない。
私はリーゼルに、父を殺した相手に恋をしている。
その夜、サーシャは夜中に起き、シュッとマッチを炊き蝋燭に火をつけた。薄暗い廊下に影が伸び縮みする。サーシャはそっとリーゼルが眠る部屋を訪れた。彼は悪夢を見ているようで上半身に汗を浮かばせて彼は顔を歪ませながら眠っていた。サーシャはリーゼルの首にぴたりとナイフをくっつけた。彼を殺してあるべき世界に戻るために。
サーシャが見ていると、リーゼルの目がかすかに開いた。そして状況を知ると寂しそうに笑った。
「そうか。やっとその時が来たんだね。来なければいいのにとは思っていたけど、運命は変えられない」
「ええ、そうよ。私は言ったことはやり遂げる。けれど、私はあなたを見ていてどうしても分からなかった。あなたを殺す前に一つ教えて。あなたはどうして父に殺すよう願いされてどうして承諾したの?」
「…あの方の目が悲しそうだったから。見るとどうしても断り切れなかった。そのことであなたを悲しませたのは僕が悪い」
「その人が一国の王と知っていても?」
「あの人の意思は強かった。呼ばれた僕が否定できるものではなかった」
サーシャは息苦しくなって呼吸を繰り返す。
「リーゼル、あなたは何者なの?」
その時ほど彼が自分とは違う人間に感じられたことはなかった。彼はサーシャに聞こえないほどの声で呟く。
「…僕は僕であり、僕じゃない。僕は、本当は対になるものだった。けれども僕の半身は失われたままだ」
「意味が分からないわ」
声を荒げるサーシャに彼はどこか超越したように首を振った。リーゼルは瞬きをすると、今度は変わってどこか熱に駆られてサーシャの瞳を捕らえた。
「最後に、僕からのお願いを聞いてもらえないだろうか。あなたに出会ったときから僕はそうしたかった。けれど、それがなんなのか分からなくて…けれど、今日ようやく分かったんだ。死ぬ前に分かってよかった」
そう言うと、リーゼルはおずおず冷たい指先をサーシャの頬に添えた。胸の龍が再び咆吼をあげそうになるところを慌てて押しとどめなければいけなかった。頬が熱くなりその熱は全身を貫く。
リーゼルは上半身を持ち上げてサーシャの唇に唇を重ねた。
「あなたは美しい…」
リーゼルは最初はぎこちなく押しつけていたが、徐々にひたむきに請い願うような情熱で唇を動かし続けた。サーシャは自分の体を食い破らんとする龍を必死に抑えなければならなかった。
「やめて」
サーシャは火にあぶられたように身を引いた。リーゼルは熱っぽい瞳を潤ませたままやがてうなだれた。
その瞬間、サーシャの理性の糸が切れた。ナイフが手から落ち、夢中で口づけを返す。龍が狂喜し、欲望以外のすべてを食い尽くす。豊かな髪がこぼれ落ち、上気した頬と輝く瞳のリーゼルが脳裏に焼き付き、それしか考えられなくなった。
サーシャは夢中でリーゼルの唇を貪った。ルッサに対してこんな事は一度もやったことはなかった。今は、リーゼルの唇と熱しか感じられない。いままでとは比べものにならないほど強く抱きしめられて天にも昇る幸福を感じている。そのうち、リーゼルが軽く巻いていた腰布がはらりと落ち、引き締まった尻が丸見えになった。リーゼルは夢中でサーシャを抱きしめ、唇を重ねていたが、やがて自分のあられもない姿に気づいた。途方に暮れた顔をしたが、意を決したようにサーシャを見た。琥珀の瞳では男の欲望が燃える。サーシャは潤んだ瞳でリーゼルを見つめた。もう自分ではどうすることも出来ない。それから静かな手でドレスをほどき始める。空蝉のように脱げていく。細い首筋がそして輝く双の乳房が露わになった。リーゼルはサーシャを思わずかき抱く。凹凸のある柔らかい体が押しつけられる。むき出しの太股を撫でた。
サーシャはリーゼルと口づけしながら泣いていた。燃えるような幸福の下敷きとなっている者に対して。双方の民、ルッサ、父、すべてを裏切りこの幸せは成り立っている。運命のあまりの残酷さにサーシャは泣いていた。
リーゼルは本能に命じられるまま下半身を熱くした。サーシャもそれを求めた。リーゼルは自分のものをうまく扱いきれずに双方の敏感なところをこすりあわせてばかりだった。その度に二人は喘ぐ。そして彼のすべてがサーシャを突き二人が一つになったとき、罪は完成した。
サーシャが顔を歪めると、リーゼルがこちらを向いた。子どものようにすべてに満たされたような顔で微笑んでいる。そして小さく呟いた。
「愛している」
私も、と呟いてキスを交わした。リーゼルがもぞもぞと動き、再び熱いキスを体に降らせた。くすぐったいと笑いながら身をよじるサーシャにリーゼルはすまなそうな顔を浮かべた。そんな彼が愛おしかった。