月が綺麗ですね。
藤崎は不良に取り囲まれている。不良達は藤崎を拘束しているが、藤崎のことをさして興味なさそうだった。
不良達の目的は藤崎には理解出来ない。自分が一体彼らになにを迷惑掛けたのだろうか、自分の至らなかった点を考える。だが、考えても無駄なことにすぐに気付く。
彼らは自分たちが良ければ良いのだろう。彼らは世間一般のルールではなく、自分達のルールで動いているのだ。
藤崎は周りを見渡す。幸い手足を拘束されるようなことにはされていない。逃げるタイミングさえ間違わなければ逃げれる気はした。だが、「お前逃げようなんて考えるんじゃねーぞ。」とリーダー格の男が言った。
と言われても、藤崎にとっては命を取られる危険性がある。このまま黙っているわけにもいかなかった。
夜空を見上げる。月は相変わらず綺麗だ。
「月が綺麗ですね。」藤崎が口にする。
「ぁあ、なんだって?」リーダー格の男が反応する。
「いや、今夜は満月で月が綺麗だな、と思って。」
「ぁあ、んなことどうでもいいんだよ。」
「知ってますか?」藤崎が口にする。
「ぁあ?」
「夏目漱石は『I LOVE YOU』を『月が綺麗ですね』と訳したようですよ。」藤崎が男に向かって言う。
「ぁあ、馬鹿か。『I LOVE YOU』は『愛してる』だろ。」男が馬鹿にしたように笑う。
「そうですねよね。意味分からないですよね。」藤崎が同調して笑う。「でも、その返しもちゃんとあるんですよ。」
「返し?」男が顔を歪める。
「『死んでもいいわ』とか『星も綺麗ですよ』とかであれば『私もあなたあなたを愛してますよ』ということなんですよ。」藤崎が言う。
男は突然のことに顔を歪めたままだった。
「逆に『遠くにあるから綺麗なのです』や『私は太陽の方が好き』は『私はあなたの気持ちに共感を示すことも、受け入れることも出来ない』ということなんです。」
「ぁあ、それがどうかしたのか?」男が不快そうな表情を浮かべる。
「月はなんで光ってると思いますか?」
「知らねーよ。んなことどうでもいいだろ。」
「あれは、太陽の光を反射してるんですよ。」
「馬鹿か。太陽は夜になったらなくなるだろうが。」
「はっはは、夜は太陽は私たちの反対側にあるだけで、太陽は存在しますよ。」藤崎が笑う。
「ぁああ、オメーいま殺されてぇーのか。んな、うんちく、今はどうでもいーんだよ。」男が拳を振り上げて藤崎に近づく。
「いや、違うんですよ。」藤崎は怒らせてしまったか、と後悔しながら慎重に話す。
「あなたなら、好きな女性に『月が綺麗ですね』と言われたらどうしますか?」藤崎が男に問い掛ける。
「ぁあ、なんだそれ?」男が眉を顰める。
「いや、僕は満月を見るたびに思い出すんですよ。中学校の頃に好きな女の子から『月が綺麗ですね』と言われたことを。」
「ぁあ、オメーはそれになんて返したんだよ。」男は薄笑いを浮かべながら言った。
「それが、ですね。」と藤崎は前置きを置いて話す。「彼女はどうゆう意図で言ったのかは分からないんですが、僕は彼女のことが好きだったんですよ。」
「ぉあ、そうか。」男が相槌を打つ。
「僕は彼女に良いところを見せたかったんですよ。僕は当時、博識な人間が格好いいと思っている節があって彼女に『月の光は太陽の光を反射しているんだよ。だからあの光も昼に見ている光と変わらないんだ。』と返答したんです。」
「なんだ、それ。」男が笑う。
「中学生ですからね。夏目漱石の『月が綺麗ですね』なんて知らなかったですから。まぁ、彼女もそういう意図で言ってきた可能性も低いですが」藤崎が自虐的に笑う。
「んで、相手の女はなんて言ったんだよ。」
「『そうなんだ』です。そこで会話が終わり、その後、彼女と会話することはありませんでした。」
「ぎゃはは、なんだ、それ。」男は下品に笑った。
「だから、月が綺麗な夜は彼女を思い出すんですよ。」
「お前はロマンマンだな」と男は笑った。それを言うなら『ロマンチスト』だろ、と突っ込みを入れるのを我慢して「今日も月が綺麗ですからね」と答える。
「おいおい、おれは男に興味はないからな。」と男が笑う。
「いやいや、今のは深い意味はないですよ。」藤崎は手を横に振る。そして、目線を月に向ける。
男も藤崎の目線につられて月を見る。
藤崎は男の目線も月に向いていることを確認する。
藤崎はゆっくり、ゆっくり、と後退りをする。
そのとき、公園の入り口から自転車2台が入ってきた。不良達の目線が入り口に集まる。
いまだ。
藤崎は足に全神経を集めて地面を蹴る。
後ろは一切振り返らずに囲まれているバイクを潜り抜ける。
不良達の怒声が聞こえた気がするが、回転する足を緩めずにそのまま突き進む。
公園の石囲いを勢いのままに飛び乗り、飛び降りる。着地した際にバランスを崩して転げる。
立ち上がり、後ろを振り返る。
不良達の姿は見えない。
藤崎はそのまま、反対側にある茂みに入る。
茂みの中はさすがに足場が悪い。バランスを崩しそうになり、地面に手を着く。
同時に顔に異物が当たる。手で拭い取ろうとするが取れない。蜘蛛の巣だと気付く。
手で顔を拭いながら、後ろを振り向きながら走る。不良達は追ってきていなかった。
そのまま、奥の方に進もうとしたときに足に何かが当たり視界が大きく揺れた。
咄嗟のことだった為、受け身がうまく取れず顔から地面に転げる。藤崎は起き上がり、後ろを振り返る。
暗くてよく見えないが、何かの気配がある。目を凝らして見る。
人だ。
輪郭が少しずつ、浮き上がる。人がもがくように地面を這っているのが分かった。
「す、すいません。大丈夫ですか?」
藤崎は恐る恐る声を掛ける。
「助けて」と女の声が聞こえた気がした。
「あっち言ってろ」獣のような声が聞こえた。
「あ、はい」と藤崎は間抜けな返事をする。だが、藤崎はその場から動けないでいた。
藤崎は、その目前で転がる影は、二人の人間がもみあっているものなのだ、と分かった。仰向けに倒れた女性を、男が押さえ込んでいる。どこからどう見ても、二人が親密な関係には見えない。
女性が襲われている。
頭では状況は理解したが、立ち尽くしたまま、動くことができない。
目が慣れてきたのか、月の明るさによって、2人の姿が浮き出てきた。
「何みてんだよ。早く消えろよ。」男が女性を押さえながら藤崎に叫んだ。
突然の出来事と男の怒声に自分の足が震えていることが分かった。だが、「助けてください」という女性の涙声が藤崎を揺り動かした。
「お前こそ、何をしているんだ」藤崎が震える声で言う。
「オメーに関係ないだろ。さっさと消えろ。殺すぞ。」男の怒声が響く。藤崎の頭に『殺そずそ』という言葉が響く。
だが、同時に男も突然現れた自分に焦っていることに気付く。そこに気付くと藤崎は少し冷静さを取り戻す。
相手の腕力の強さは判然としなかった。藤崎はなにか武器になるものがないか探す。だが、相手を攻撃出来そうなものは都合よく存在しなかった。
そのとき、何かがこちらに向かって飛んできたのが分かった。
何故あんなものが?
という疑問はあったが藤崎は走って取りにいった。
二人からしたら自分は逃げ出したと思われただろう、と藤崎は考える。
今夜は満月で良かった。月の光に照らされて思ったよりも早く見つかった。
藤崎はそれを拾って元の場所へと引き返す。
「何だ、お前は。」男が鼻の穴を膨らませて振りむたところに藤崎はバットを振り下ろす。
「いってぇな。」と男が大声を出しながら起きあがろうとした相手を、藤崎はもう一度殴った。
さらに脇腹を殴り、よろけたところに後頭部を殴った。
男はその場に倒れた。
藤崎は女に声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
女は怯えているようだった。当たり前だよな、と思いながら藤崎は「今夜は月が綺麗ですね」と言った。