5-2 朝のレッスン
──この人は何者なんだろう。
バネッサはタンカに使ったジャケットのポケットを探る。
これといって身元が分かるような物は無い。ズボンのポケットなども同様だった。
転生者なのか一般人なのかも判別できない。
タンカを引きずって街まで戻るのは無理だ。途中ロープで上り下りする崖がある。
ならば、救援を呼ぶしかないが、転生者である自分が誰をどうやって呼べばよい。
どうあっても、ギルに頼るしかない自分の無力さが分かる。
ソロを許されて浮かれていた。その上、言いつけを破って遭難者を助けてしまった。
実は褒めてくれるかもと頭の片隅で思っていたのが恥ずかしい。
結局、自力では何も解決できないのだ。
男が意識を回復する気配もない。
とりあえず、助けを呼びに戻るしかないだろう。
このまま寝かせたままこの場を離れる事になるが、仕方がない。
毛布を掛け直す際、気が付いて濡れた靴と靴下を脱がせてやった。
ついでに手袋も外してあげたところ、写真で見たことがある指輪をしていた。
──これは確か、『観測の指輪』、……この人は観測士だ。
◇ ◇ ◇
観測士は「商人ギルド」と「互助会」の2団体が定める資格である。
商人ギルドが優秀と認めた人材を選抜し、互助会が「探索の指輪」を貸与する事で誕生する。
転生者の捜索と救助を目的とし、全国どこでもつまり商人の商圏(鉱山)にも立ち入る事ができる。
その代わり、任期中の「採取」行為を禁じられる。契約書に記載が無い物品(鉱物など)を所持していた場合、多額の罰金が発生する。
所属は商人との専属契約の形となる。商人にとって優秀な観測士のスポンサーになることは「箔」がつく事になるのだ。
◇ ◇ ◇
男の顔をまじまじと見る。そんなに偉い人だったとは、思ってもいなかった。
とにかく、ここでバネッサにできることは無い。
急いで戻ってギルに報告するしかない。
重い気持ちを抱えたまま、夜の森を速足で歩く。
昼間はあんなに楽しかったのに、まったくもってひどい夜だ。
──ギルさんはこういう事になるのが分かってて、人と会うのを禁じたんだ。
街に到着する頃には、少し空が明るくなってきたが、バネッサの心は少しも晴れていない。
ギルの自宅のインターホンを鳴らす。
「バネッサどうした。戻るのはまだ先のはずだろう」
「ギルさん、緊急、事態です。開けて、ください」
部屋が珍しく酒臭い。ソファーにおじいちゃん先生が寝ている。
二人で一緒に朝まで飲んでいたのだろうか。
キッチンで水を飲みながらギルが聞いてきた。
「で、緊急事態って?」
つたない日本語で、状況を説明するバネッサ。
それを聞いているギルの顔がだんだんと赤くなり、遭難者が観測士であることを告げたとき、爆発した。
「この、馬鹿野郎!」
バネッサの襟元をつかむ。
「お前は、なんで、……そんな」
怒られるとは思っていたが、想像以上のギルの剣幕にバネッサは震えあがる。
「ごめ、……ギル……さ……わたし、私」
もうだめだ、ギルさんに嫌われちゃったんだ。
「落ち着いてくださいー、ギルさん」
いつの間に起きたのか、おじいちゃん先生がギルの肩を抑える。
「うるせえな、黙っててくれよ、先生」
「ひとまず、その手は離してあげてくださいー」
「なんで言いつけを守らなかった、バネッサ!」
「……仕方ないですねー」
先生の綺麗なストレートが、ギルの頬を打ちぬいた。
え?
「大丈夫ですか、バネッサさん」
おじいちゃん先生が、バネッサの襟元の乱れを正しながら、椅子に座らせた。
「夜通し駆けてきたんですねー。お疲れでしょう。温かい牛乳はいかがですー?」
「は、はい……」
部屋の端まで転がって目を回しているギルの姿と先生の姿を交互に見る。
「ギルさん、ちょっと頭に血が上られてたのでね。落ち着かせましたー」
「あの、でも」
「大丈夫、手加減しました。歯も折れていないはずですー」
おじいちゃん先生が、バネッサの前に白紙と鉛筆を置いた。
「バネッサさん、その男の人の指輪の形、覚えていますか。覚えていたら絵を描いてみてくださいー」
「はい、描きます」
バネッサが指輪の絵を書いている最中、湯気の立つマグカップが差し出された。
「どうぞー、めしあがれー」
「ありがとう、ございます。あ、甘い」
「少しお砂糖入れたのです。ああ、バネッサさん、絵がお上手ですねー、とても分かり易いですー」
「石のところ、こうでした」
「なるほど、なるほど。ちなみに、ここの石の色は?」
「緑、でした」
「ここは?」
「ここは、黒、こっちが赤、でした」
「すばらしい、完璧です。相変わらず目が良いですねー」
「……緑・黒・赤。つまり東北互助会所属の観測士ってことか」
いつの間にか、ギルが胡坐をかいて座っていた。窓の方を向いていてバネッサからは顔が見えない。
「ですね、ギルさんが思ってるより、穏便に収まるかもしれませんねー」
「そう……あって欲しいですね」
ギルは立ち上がり、椅子に掛けてあったジャケットを着た。
「先生、すまない、昼のラーメンはまた今度。俺は手勢を集めて、その男の救助に行ってきます。……バネッサ、一時間後に事務所の前に集合だ」
「ええー、バネッサさん、さっき帰って来たばかりなのに、かわいそうですー」
「分かって言ってるでしょう、先生。場所はバネッサしか知らないんです。バネッサ、分かったな」
「わ、わかり、ました」
ギルが出て行った。
「……牛乳、冷めちゃいますよ、バネッサさん」
玄関をぼんやり見ているバネッサにおじいちゃん先生がカップを渡す。
そして、力なく頷いたバネッサの肩に手を乗せた。
「なぜ、ギルさんが怒ったのか、分かりますか」
「…言う事、守らなかった、からです」
「どうして、守らなかったのですか」
「……放って、おけなかった、……助けた、かった、のです」
「…いいですね、ちゃんと言えましたねー」
おじいちゃん先生が、正面からバネッサの両肩に手を置いて、ゆっくりと優しく語りかける。
「バネッサさん、分かっていると思いますが、ギルさんはあなたが大好きです」
先生の顔を見るバネッサ。
「心配だから、あんなに怒ったんですよー」
「嫌われて、ない、ですか」
「もちろんです、あなたが大事なんですよー」
「……安心、しました」
「じゃあ、さっそく朝のレッスンですー」
「え」
「言葉にしないと分からないことが多いのです。私はなんて言ったってあなたの日本語の先生なんですからー」
「は、はい」
「ギルさんはー、バネッサがー、大事だからー、叱りました、はい、続けて」




