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6.散歩



あぁ…お父様があんなに遠くに…。

ピチチチチと軽やかな鳴き声を上げながら頭上を鳥が飛んでいく。爽やかな風が通り過ぎる庭園は、こんなときでもなければオリヴィアの心を慰めてくれていただろう。

太陽の下、誇らしげに輝く若緑や鮮やかな花達を眺めるふりをしながら助けを求めるように先ほどのガゼボを見た。

ぼんやりと輪郭がぼやけた人影が見える。まだそこに父がいることに安堵して、すぐにもうこんなに離れてしまったのかとにわかに焦る。


「…何か気になることでも?」

「!い、いいえ」


オリヴィアは弾かれるようにイーサンを見上げた。

彼の湖面のような冷たい瞳と視線がぶつかってオリヴィアは一瞬怯む。咄嗟とっさに誤魔化すように咳払いをすると、できるだけ自然に見えるように笑顔を浮かべた。


(ついお父様のほうを見過ぎてしまったわ…)


彼の様子をみると気分を害してしまったかもしれない。しっかりしなくちゃ…と自分に言い聞かせる。

彼を怒らせたい訳ではないのだから…。


「あの…公爵様とこうやって一緒にこの庭をお散歩するのは随分と久しぶりですね」


イーサンはオリヴィアをじっと見つめたあと、何事もなかったかのように前を向いた。

オリヴィアはあの湖面のような彼の瞳の中から自分の姿がなくなったことに無意識に息が漏れた。


「⋯そうだね」

「ふたりでお父様の書斎から図鑑を持ち出しては庭に咲いてるお花を調べたり虫を調べたりして…。公爵様はあの頃から博識でしたからわたくし楽しくて、あの頃はいつも公爵様のお姿を探していた気がします」

「君は随分とお転婆だった」

「そうですね。大人しくはなかったかもしれません」


オリヴィアはイーサンの言葉に素直に同意した。

イーサンを探して邸中を駆け回っていた自分はまさしくお転婆娘だったと思う。今では考えられないが、青虫や蝶だって躊躇なく触るような子どもだった。

今更だがそれをイーサンに知られていると思うと少しだけ恥ずかしい気がしてくる。

『お転婆』とぼかしてくれているが、きっとイーサンの記憶のなかのオリヴィアは令嬢らしからぬ粗野な娘に違いない。

オリヴィアは急に言い訳をしたくなった。

お転婆だったのは子どもだったからで、今のオリヴィアはあの頃みたいに走り回ったりしないし、虫だって手で掴んだりしない。

先ほど階段で転びそうになったのだって普段のオリヴィアを知っている者ならば珍しいことだと目を丸くしたはずだ。

オリヴィアは「んんっ」と咳払いをすると、できるだけ落ち着いた声になるように意識して「念のためにお伝えしておきますけれど」とイーサンに話しかけた。


「確かに子どもの頃は周りの子たちと比べて少し落ち着きがなかったかもしれませんが、今はそんなことないんですよ?」

「へぇ」

「本当ですよ?公爵様は子どもの頃の私しか記憶にないかもしれませんが、今の私は間違っても走り回ったり虫を掴まえようとは思いません」

「分かっているよ。君はもう私を追いかけて邸を走り回ったり、綺麗だからと青虫を掴まえて私に見せてきたりしない。そうだろう?」

「えぇ!そのとおりです!」


オリヴィアは笑顔で頷いた。

流石はイーサンだ。理解が早い。どうやらイーサンに誤解されずにすんだようだと一安心する。


イーサンは嬉しそうに笑うオリヴィアをみて、彼女に気づかれないように「……はぁ」とため息をついた。





ふたりはゆっくりとした足取りで美しく整えられた庭をみて回った。

オリヴィアにとっては見慣れた庭でしかないがイーサンにとっては目新しく映るのだろう。

イーサンは時折足を止めては、オリヴィアに咲いている花の説明を求めたり、大きな木の下でオリヴィアが気に入っている場所だと説明すればその場所を熱心に見つめていたりと、なかなかにこの散策を楽しんでいるようであった。


相変わらず彼の瞳に自分が映るたびに恐怖で心臓がどくりと嫌な音を立てるが、それも時間とともに少しずつ慣れてきた。

イーサンは終始落ち着いていた。無理に距離を縮めようとすることもなく、適切な距離感でオリヴィアをエスコートしてくれる。

婚約者相手にしては少し淡白に感じるくらいの態度だが、カトリーヌへの不安が拭いきれていない今のオリヴィアにはちょうど良かった。



気がつけばふたりで散歩をし始めて数十分が経っていた。そろそろ戻る頃合いだろうかとイーサンに声をかけようとしたときだ。

ふとオリヴィアはあることに気がついた。


(…足が痛くないわ)


いつもならば痛くなり始めるはずの足が痛くない。

普段あまり踵の高い靴を履かないオリヴィアにとって、慣れない踵の高い靴を履くことは苦行だ。

足の指先や付け根に体重が掛かって痛くなるし、ふくはぎだって段々と張ってきて疲れてしまう。

畏まった日や今日のようにお洒落をしなくてはいけない日はどうしても踵の高い靴を履かなくてはいけないのが憂鬱だった。

できうる限りの対策をしてみても時間とともにどうしても足が痛くなってしまっていたのにー…。

それがどうだろう。今の今まで足が痛くないことにすら気づかなかった。


「?どうかしたのか」

「い、いいえ」


オリヴィアは慌てて首を横に振る。

真顔でこちらを見下ろしているイーサンににこりと笑い掛けた。


「公爵様、そろそろ邸に戻ってお茶にしませんか?随分と歩きましたし、お疲れでは?」

「別に疲れてはいないが…、そうだな。君がそういうなら、そうしよう」


イーサンは頷くと、オリヴィアがよろめかないように気遣いながら邸のほうへゆっくりと踵を返した。

そうしてオリヴィアが掴まりやすいように然りげ無く腕の位置を調整してくれる。


ー⋯顔が良くて、気遣いができて、才能がある。


(…カトリーヌ様の気持ちが少しだけ分かった気がするわ)


イーサンは完璧すぎる。

少しエスコートしてもらっただけでも彼の魅力に気づかざるを得ない。

オリヴィアの足が痛くないのは間違いなくイーサンのおかげだ。

ー⋯容姿だけじゃなくて、相手を思い遣ることのできる優しい人。

そんなイーサンのことがカトリーヌは心配だったに違いない。イーサンの優しさを勘違いしてしまう人は多いはずだ。そんな完璧な恋人の近くに自分以外の女性がいたら不安になってしまうのも分かる気がする。

だからといって、彼女のしたことが理解できるかといわれたら理解できないのだけれどー…。


「…公爵様はカトリーヌ様のことをどう思っていらっしゃいますか?」


邸までの帰り道、オリヴィアはそっと口を開いた。






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