お茶会
「と言うわけで二人で摘んできた」
「何が『というわけで』なんですか⋯」
にこにこと笑うルーカスにオリヴィアは頭を抱えた。
公爵様相手に何をしているんだと頭痛がする。
青空の下、こじんまりとしたガゼボで開かれたお茶会はオリヴィアが想像していたよりも穏やかな空気が流れていた。
目の前のテーブルには二人で摘んできたという小さな花瓶に生けられた瑞々しい野花が陽の光を浴びてきらきらと輝いている。
花瓶を挟んで反対側に座るイーサンと目が合いそうになってオリヴィアは誤魔化すようにカップに口をつけた。
「わざわざ手土産なんて準備してくれなくても怒ったりしませんよ」
「でも貰ったら嬉しいだろう?道中にこんなに綺麗な花が咲いてるなんて気が付かなかったからいい発見になった」
「もう⋯」
道中、二人で摘んでくれたらしい花たちは小ぶりだが確かに美しい。白、黄色、薄紫、オレンジ、水色。それを囲む鮮やかな若葉。
オリヴィアの片手に収まるほどの量だが小さなテーブルを彩るには十分な量だ。そよそよと風に吹かれて揺れる姿はまるで踊っているみたいだ。
「⋯ほら、言った通りだったでしょう?」
「⋯はい」
「?なぁに?」
「なんでもないよ」
明らかにふたりでコソコソと話をしていたのに隠されてしまった。でも楽しそうな父を見ると悪い話ではないのだろう。
お父様と公爵様がこんなに仲が良かったとは知らなかったわ。親友の息子でもあるのだし、自分が知らないところでも交流していたのかもしれない。
(私のような者に婚約を申し込むくらいだもの。お父様と繋がりがないほうが可笑しいわね)
自分の考えに頷く。
オリヴィアはちらりと目の前に座る麗人を盗み見た。彼は綺麗な顔でサラが淹れてくれた紅茶を優雅に飲んでいる。真顔で目を伏せる姿は背景も相まってまるで有名な絵画のようだ。
ドキドキすると言うよりはその精巧さに目を奪われてしまう⋯そんな美術品を前にしたような感覚がオリヴィアの胸に広がった。
ー⋯怖いくらいに美しい人だ。
オリヴィアは手のなかにある紅茶の表面に目を落とした。そこには彼とは不釣り合いなほどに平凡な自分が不安そうにこちらを見つめている。
やはり美しい彼の隣には同じように美しい人が似合う。それこそカトリーヌのようなー⋯。
「それにしても先触れも出していないのによく私たちが帰ってきたのが分かったね」
父の言葉にオリヴィアは思考の渦からはっと顔をあげた。
「えっと、ちょうど自室の窓から馬車が玄関先に止まるのが見えたんです。だから⋯」
「なるほど。だから慌てて階段を下りてきたんだね。公爵様が鍛えていて良かったね」
「お父様!」
オリヴィアは慌てて父の言葉を遮ると思わずイーサンを見た。ぱちりと目が合ってかぁっと頬が熱くなるのを感じる。耳に残るイーサンの息遣いを思い出して思わず叫びたくなるのをぐっと堪えた。
動揺を悟られないようになんとか姿勢を正す。
「⋯淑女としてお恥ずかしい姿をお見せしてしまったことは反省していますわ」
帰ってきた父たちを出迎えるために急いで玄関に向かっていたオリヴィアは、既にエントランス居た父たちを見つけてた瞬間固まってしまった。
ー⋯そこにいたのはやはりイーサンだった。
銀髪に男性らしい切れ長の瞳、すっと通った鼻。幼い頃の面影はほとんどなくなっているが、そこにいたのはイーサン・アディンセルで間違いない。
そう思った瞬間、オリヴィアの頭に浮かんだのはやはりカトリーヌの姿だった。オリヴィアの頭にけたたましい警鐘が鳴り響く。
大人になった彼を遠目から見かけることはあっても、こんなに近くまで近寄ったことはなかった。
だって⋯そんなことしたらまたー⋯。
くらりと目眩がする。
後ろでサラが叫ぶ声が聞こえた気がしたが、気がついた時にはスカートの裾を踏んでいた。
あ、と思った時には身体が空を舞っていたのだ。驚きに目を見開くイーサンと目が合う。
その瞬間でさえ、オリヴィアの喉は引きつけを起こしたみたいに醜い声を上げていた。
彼の青い瞳に自分が映っている。そんなことが何よりも恐ろしいー⋯。
反射的にギュッと目を瞑って、全身を襲うであろう痛みに覚悟を決める。
そんなオリヴィアを待ち受けていたのは想像もしていなかったものだった。
温かな体温、頬にあたる硬い筋肉、速い鼓動、耳を掠める荒い呼吸、仄かに香った深い森を連想させる瑞々しい香り。
イーサンの腕のなかにいると気がついた時、オリヴィアは先ほどまでの恐怖を全て忘れた。
初めて感じる異性の存在に頭が真っ白になって、気がついたら心配する父に身体を揺さぶられていたのだ。
「階段で躓くなんて、そそっかしい子ども時代でもあまりなかったからねぇ。私も肝が冷えたよ」
「⋯本当にごめんなさい」
落ち着いた今、あの時は分からなかった感覚が鮮明に思い出されて居た堪れなさに涙さえ浮かんでくる。
恥ずかしさのあまり耳が燃えているみたいに熱い。
だって異性にあんなに強く抱き締められたのは初めてだったんだもの。アンディ様と婚約していたときでさえ、あそこまで強く抱き締められたことはなかったわ。
彼はいつもオリヴィアの腰に遠慮がちに腕を回すだけだったから。
「階段から身を投げ出した時はどうなることかと思ったけど、公爵様が抱きとめてくださって助かった。どうやったのかは全っ然分からなかったけど。とりあえず二人に怪我がなくて何よりだ。オリヴィア、ちゃんとあとで公爵様にお礼しなさいね」
「勿論です。公爵様、本当に有難うございました。あとでお礼についてお話させてください」
「構いません」
イーサンの素っ気ない返事にオリヴィアは口ごもった。声音に若干の不機嫌さを感じるのは気のせいだろうか。
(構わないということはお礼は不要ということかしら⋯?)
表情が変わらないせいで意図が読み辛い。
伯爵令嬢のオリヴィアができるお礼なんて公爵である彼にとってはたかが知れているだろうし、不要と言われても納得できてしまうのが悲しい。
とりあえずあとでもう一度確認してみましょう、と心の中で呟いた。
「そういえば公爵様がうちに遊びに来ていた頃は、二人でよくこのガゼボで一緒に過ごしていたね」
「そうでしたね。⋯懐かしいわ」
「最初の頃は二人とも距離があったのにいつの間にか仲良くなってから驚いたよ」
「仲良くなったというか、私が公爵様とお話したくて一方的に押しかけていたというか⋯」
「おや?そうだったのかい?」
「公爵様はあの頃から落ち着いていらっしゃいましたから、何だかお兄様ができたみたいで嬉しかったんです」
「ははは!そういえば昔、ウィリアムに『オリヴィア嬢から息子のことをお兄様って呼んでもいいか訊ねられたぞ』って言われた覚えがあるなぁ」
「⋯確かにウィリアム様にお聞きしましたね」
「その割には『お兄様』って呼んでいるところを見たことがない気がするけど?」
「だって本人に断られてしまったんですもの」
オリヴィアの言葉にイーサンのカップを持つ手が止まった。
こちらを真っ直ぐに見つめられて思わず肩が跳ねる。
羞恥心で霧散していたはずの恐怖心が再びじわりとオリヴィアの中で存在を主張し始めた。
「⋯兄ではないので」
「そ、それは。⋯そうですけれど」
冷たい声にオリヴィアは慌てた。
そんなつもりはなかったのだが、もしかしてあてつけの様に聞こえてしまったのだろうか。
おろおろと視線を彷徨わせるオリヴィアにイーサンはその美しい目を細めた。猛禽類の様な鋭い視線に、オリヴィアは何だか分からないが彼の地雷を踏み抜いてしまったのだと悟る。
一触即発の二人の雰囲気にルーカスは呆れたようにため息をついた。
「公爵様。そう怒らないであげてください。ただの昔話ですよ」
「⋯⋯怒っていませんが?」
いやいや!絶対怒っているでしょう!?とオリヴィアは心の中で絶叫した。
あまりの恐ろしさに、心のなかに『一.彼を怒らせてはいけない』と太文字でメモしたくらいだ。
怒った彼に勝てる気がしない。結婚した暁には粛々と生活することにしよう。
顔を青くするオリヴィアに、イーサンは何かに耐えるように薄い唇を噛み締めると唐突に席を立った。
「⋯そろそろいいでしょう。オリヴィア嬢をお借りしても?」
「え?今ここで?」
「⋯⋯なにか問題でも?」
「いいえ何も」
もっと他にもタイミングあっただろう!?というルーカスの叫びは言葉にせずとも伝わったらしい。
開き直ったイーサンの態度にルーカスは今度こそ本当に呆れてしまった。
イーサンの唐突な行動に固まっていたオリヴィアだが、彼が自分のもとに向かってくるのがわかると可哀想なほど顔を青くした。
縋り付くようにこちらを見る愛娘に曖昧に微笑む。
頑張れ、というメッセージは正確に届いたらしい。
「手を」
差し出された手を凝視する娘の心境を思うと胸が痛いが、仕方ない。遅かれ早かれ二人の時間を作る約束だったのだから諦めてもらおう。
時間をかけてイーサンの手を取った娘がエスコートされながら見慣れた庭園に向かう姿を見送る。
まるで母親に捕獲された悪戯っ子のようだとは口にしなかった。




