第1話 神託は下る
よろしくお願いします〜
大明皇国 麓村。
見渡す限りの水田には青空が映っていた。
麓村の名の通り、村の近くには大きな石山がある。あぜ道を歩く十代後半の少女が一人。本の頁を捲っている。
「ふぅん。隣国の都にはこんなのがあるのね」
黒髪に黒の眼。雪のように白い肌に、血のように赤い唇。容姿だけだと絵の中から出てきたかのような美しさだが、田園に妙な親和性があった。
「んなことしてるとまた田んぼに落っこちるぞ、玉麟!」
背後から声をかけてくるのは同じ学び舎の少年。玉麟と呼ばれた少女は振り返った。
「煩いわねぇ。あんたよりは転けてないのよ、伯言」
玉麟は顔を上げて辺りを見渡した。
田園には両親がいる。手を振ってきて、玉麟も振り返した。学び舎へと足を進める。
この村は平和だ。
五十年間に及ぶ侵略戦争を除けば。
敵は隣国、迦迪爾帝国。第八王朝ハルザーン朝、大君パーディンシャーが治める国。
大明皇帝は西に追いやられ、南部にある玉麟の村も、そう遠くないうちに侵略されるだろう。
実際、迦迪爾帝国の将軍達は我が物顔で麓村を歩いている。
学び舎の近くに行くと、伯言は玉麟の手を引っ張って物陰に隠す。声を潜めて彼女は問うた。
「どうしたの?」
「危ないから隠れてろ」
「領主の側近じゃない。龍門堂 玄礼」
「違う。その隣だ」
精悍な顔をした青年、玄礼の隣には見知らぬ壮年のカディール人の男がいる。足元で老婆が額を地につけて頭を下げていた。
「どうかお許しを……」
「何を言っておる。税は納める。突然のことだろう」
老婆は縋るように玄礼を見上げた。
「お国にはもうお納めしました。龍門堂様もそれはご承知のはず」
「なぁ、言われておるぞ」
玄礼の目は一瞬揺らいだ。しかし、すぐに逸らした。
「……存じ上げません」
「そんな!」
老婆は顔を覆って泣き始めた。ここ最近税の取り立てが厳しい。その上今年は不作、冬はもう間近だ。
「出せぬというのなら……」
振り上げられた迦迪爾人の男の手には鞭がある。玉麟は駆け出した。こんなの見ていられない。
「おやめください!」
「はぁ?」
立ちはだかった少女を見て、老婆は腰を抜かしたらしい。
「あ、あぁ、玉麟……」
玉麟は膝をついて頭を地に伏せ、必死になって言葉を選ぶ。
「天龍の御翼の下、在君の御光に代わってご挨拶申し上げます。この者は未だに領地のことを知らず、不敬を働いてしまいました。この度はどうぞお許しを」
「ほぅ。田舎者の割に挨拶だけはなっておるな。挨拶は大事だぞ。なぁ。属国は我ら大国に頭を下げ、天龍の庇護を申し出る。良いことだな」
玄礼は静かに頷く。男は鼻で笑った。
「もう良い。後で徴収しておけ、行くぞ。全くこんな僻地に飛ばしおって……」
玉麟は頭を上げて砂を払った。膝をついたまま、玄礼に問いかける。
「龍門堂様。どうしてあの者の下に……」
青年は玉麟を見た。が、何も言わない。無言で去っていくだけだ。伯言は老婆の傍にいた。
「大丈夫か?婆さん」
「あ、あぁ……天龍様にお祈りしないと」
天龍教。この世を作った天龍様の教え。
数珠を繰り返し擦り寄せ鳴らす音が、玉麟の神経を逆撫でした。
こんな屈辱。こんな凌辱。こんな、痛み。
許されてなるものか。認められてなるものか。
神は何をしている。何故救わない。
何故、こんな苦しみを味あわねばならない。
生きていると言うだけで。
生きていると言うだけで、忌まわしき隣国を、侵略者を讃える言葉を述べねばならない。
「許せない……!」
肩を震わせて、唇を噛んだ。赤い唇が更に色を増していく。我に返った老婆は、穏やかにお礼を言った。
「玉麟や、ありがとうねぇ」
優しい声に、必死に顔を作りながら振り返る。
「……ううん。お婆ちゃんは大丈夫?」
「あぁ。伝説に出てくる聖女様みたいだったよ」
「そんなんじゃないよ。天龍様が乱世に送るっていう龍の娘、なんて」
「きっと送ってくださるからね。この国は救われるんだから」
玉麟の手をしわくちゃの温かい手が覆う。本当に?本当に、聖女なんているの?見下ろした視界に伯言の声がかかる。
「そういや、天龍の御翼の下〜って何なんだ?」
「迦迪爾帝国に占領された属国が、迦迪爾人へ言う挨拶よ。天龍様の空の下、我が国の王に代わって挨拶するって意味。大君とか言わないのは、謙遜の証って言われてる」
「どこでそんなん知ったんだよ。さっきの本か?」
「そう。迦迪爾人が捨ててったから読んだの」
老婆は目を見開いた。
「読めるのかい?」
「この国にも、あの国の言葉で書かれた書物が増えてきてるから。慣れておかないとと思って」
伯言はため息をついた。
「これからこういう事は増えるんだろうな……」
「そうね。皇国の中央政府と地方政府の連携はもう取れてないようだし」
「なんでそう思った?」
「侵略されてるのに、軍一つ出してくれない。もしかしたら侵略されてるのも知らないのかもしれないわ。税だってこんな風になるまで誰も分からかった」
学び舎の鐘が鳴った。二人は顔を上げる。
「やべぇ!行くぞ!」
「それじゃあねお婆ちゃん!気をつけて帰って!」
天龍様のご降臨を願う、年一回の祭りまで、あと一日。張り紙を見て二人は足を速める。
「こんな調子で祭りなんて出来んのかねぇ」
「劇の準備をしてるんだから、無いと困るわよ」
「確かになぁ」
まだセリフはうろ覚えだけど。天龍の娘の聖女役。黒い服を着て薙刀を振る。今日で覚えきらないとなぁと、玉麟は学校に急いだ。
「……りん、玉麟!起きて!」
熱い。肌がぐっしょりと汗で濡れている。布団に手をかけるのは母だ。何とか身体を起こす。
「……え、もう朝?」
「違う!逃げるぞ!」
飛んできたのは父の声。……家が、燃えている。
「迦迪爾が……東夷の連中が来やがった!支度しろ!」
「何で……」
「早くしなさいッ!」
玉麟は自分用の水とご飯をありったけ詰め込み、迦迪爾語の書かれた本は全て火に焼べる。ほうほうの体で家を出た。瞬間、崩れる。
「西に逃げるぞ!ここはもうだめだ!」
だめって、何が。呆然としている玉麟を母は馬車に押し込む。ゆっくりと走り出した。
「西に行くって……貴方、誰か頼りになる人でも……」
「いないが、俺達は生きなきゃなんねぇんだ!」
玉麟の世界に、地獄が生まれていく。家族に手を伸ばそうとして転げた者。水を乞う子供。その背後で、はぐれた子を探す母。兵士に殺され、手を落とすもの。
どうして、何がダメだったの、何がいけなかったの。明日を願うことはそんなにダメだった?明日の劇を楽しみにしたのは、そんなにいけないことだった?
……どうして誰も、助けてくれないの。
村が離れていく。麓村。青い空、緑の田んぼ。
それが全部、赤色になっていく。いやだ、認めない。返してよ。私の村、私の場所。
思考が追いつかないまま、玉麟は水瓶の蓋を外して鞄に染み込ませた。
「玉麟?どうしたの?」
玉麟は馬車を降りると、母の止める手を振り払って村に走る。火がついても大丈夫なように、近くの田んぼに鞄を投げて、兵士の目を駆け抜け祭り用の火薬を見つける。
「これは確か、たくさんの変わった色がつく花火……」
玉麟は村のおじいさんの調合を見ていた。火力が少々高いのがねっくだと笑っていた彼は、火薬の傍で死んでいる。
「これで、全部めちゃくちゃにするね」
私の人生すらも。玉麟は導線を引き終えると、村の教会の裏口から中に入った。聖女が持っていたという薙刀と、黒い衣がある。すすを拭って着替えた。
肩を揺らして階段を駆け上ると、天龍像が見えてきた。お前がやらないのなら、私がやってやる。
「私が……私が、聖女になってやる……!」
玉麟は最上階の屋根によじ登ると祭り用の花火が炸裂した。同時に糸を引っ張る。大きな龍の人形が高く登った。暗闇だと充分に本物っぽく見えるだろう。
あぁ、村を叫びが埋め尽くしている。
心地良い、迦迪爾の悲鳴だ。
すぅ、と息を吸った。
甘露の門は開かれた。
耳ある者は聞け。目があるものは見よ。
ここより先は、人に戻れぬ修羅の道。
「……き、聞け!」
声が震える。皆見てる。燃え盛る炎が喉を焼く、肺を埋め尽くす。あぁ、火刑みたいだ。
「我が名は朱玉麟!」
誰も救ってくれぬのなら、神すら見もしないのなら。ならば私が救ってみせよう。聖女は待つのではなく、なるものであると。見せつけてやる。劇のうろ覚えのセリフを叫んだ。
「生まれいずるは宙の海。龍の眼の瞬きに応え現れた、天龍の娘である!」
これこそが、朱玉麟の虚妄なる託宣である。
大明皇国 華朝第三十巻 神明史書は、同書の中でも屈指の名篇として知られている。
理由として挙げられるのは、偽聖女の朱玉麟の波乱万丈の一生と、その末期である凄まじい裁判模様が描かれているため。
「聖女 朱玉麟を、外患誘致、及び聖女を偽った罪として火刑に処す」
敵国の侵略を跳ね返し、祖国を奪還した手腕は全て虚偽であり、外患誘致をしたとして、玉麟は火刑に処されることになった。
最も有名な一節として、以下のものが挙げられる。
『火刑を聞き朱玉麟は、とびきり美しく微笑んだ』と。
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