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第1話 クソ実家脱出RTA

「なんだ、このクソ雑魚(ザコ)の体ァ!!」


 目が覚めたら突然『トリスタン』なんて西洋人みたいな名前で呼ばれるようになってるし、人格否定みたいな罵詈雑言を初対面の西洋人たちに吐かれ、与えられる飯までクソショボい。


 社畜を極めている俺の限界飯より酷い、野菜の残りカスが申し訳なさそうに沈んでいるスープが一皿だけ。しかも飯は、犬の餌みたいに床に置きやがるときた。


 こいつら、マジでナメてんな……


 ターンッと勢い良く皿を床に投げ置かれ、中身がぐわんぐわん揺れているのを見た瞬間、俺の中の何かがブチ切れた。皿を掴み、一番偉そうにしてるおっさんの顔面に叩き込んだ……ところまでは良かった。


 その後はお察しだ。ろくに飯を食えてなかったと思しき体はヒョロッヒョロに痩せ細り、力なんてない。見事に返り討ちに遭い、意識が落ちる前に俺はクソ雑魚の体を嘆いた、というわけだ。



* * *



 次に意識が戻ったとき、俺はなぜか鬱蒼とした雪深い森の中にいた。森の中なのになぜか粗末なベッドがあり、俺はその上で寝かされていた。よく凍死しなかったなと感心しながらも、不思議と寒さはなかった。


「僕のこと、雑魚なんて言わないでよ」


 人が傍にいたことに気づかなかった。俺は警戒して声の方へと視線を向けると、淡い空色の髪に空色の瞳をした二十歳前後くらいの青年が立っていた。


 コイツ、すげぇ色の髪だな……


「あの……どちら様?」

「僕はトリスタンだよ。トリスタン・メルシア」

「トリス……タン?」


 今俺が、態度の悪い西洋人共から呼ばれているのと同じ名前の男。間違いなく何か関係があると考え、質問をしようと口を開くより早くトリスタンは言葉を続けた。


「あなたが誰かはわからないし、何をしたのかもわからないけど、ありがとう。これでもう……僕は生きなくて済む」

「……は?」


 トリスタンはふっと口元を緩めて、安心したように笑む。俺は彼の言葉が飲み込めなかった。ショックを受けたとかではなく、一気に二つの不可解な情報が押し寄せたからだ。


 何をしたのかわからない?

 俺は何もしてないし、コイツのせいでもない?

 生きなくて済むって、どういう意味だ?


「あんた、頭は大丈夫そうか?」

「うーん……どうかな。たぶん頭は正常だと思うんだけど」


 マジで自信なさそうじゃねぇか……

 てかコイツ、西洋人なのに日本語ペラペラだな?

 あの西洋人共も日本語だったし……クソ、またわけわからん情報増えやがった。


「あの、あなたの名前を聞いても?」

「あぁ、そういや名乗ってなかったな。俺は栗野マサキ、マサキの方が名前な」

「マサキ……」


 姓と名前の順番に違和感があったのか、マサキという響きが耳慣れなかったのか、トリスタンは不思議そうに目を丸くしていた。


「それより、ここがどこだかわかるか?」

「……それが僕にもわからなくて。気づいたらマサキが僕の体を使って、僕の代わりをしてくれてて。マサキが父さんに殴られて視界が真っ暗になったと思ったら、ここにいたんだよね」

「お、おぅ……」


 何言ってるかさっぱりわからん……!

 けど俺がトリスタンの体の中にいて、知らないうちにトリスタンとして動いてたって意味か?


「父さんに殴られて……ってことは、あのおっさんがあんたの父親なのか?」

「そう」

「嫌われてんのか?」

「すごくね。継母と再婚してから、さらに僕に冷たくなったんだ。腹違いの弟がいて、そっちがかわいいみたい」


 どうやらトリスタンは継母が現れてから、父親からの扱いが悪くなったらしい。なんてことはない、よくあるとまでは言わないが珍しいというほどでもない話だ。けれどそれ以上に気になったのは、トリスタンがヘラヘラと笑っていることの方だった。


「へぇ。で、トリスタンはそれに抵抗しなかったのか?」

「小さい頃は少ししたかな。けど、殴られると痛いから諦めちゃった。そしたら寝室が屋根裏部屋になって、食事の量が減って、でも同じ部屋で……床で食べることは絶対だった」


 なるほど……あの場にいたのは家族か。

 で、虐待して押し込めて、憂さ晴らしに笑い者にしてるってわけだな。


 幼い頃から刻みつけられた痛みと恐怖は、成長したって消えることはない。トリスタンがこの環境に甘んじているのも、完全に支配されて『逃げよう』という発想すら奪われてしまった結果なのだろう。


 胸糞悪いな。


 それが、俺とトリスタンが初めて出会った瞬間だった。しばらくトリスタンと話すうちに、俺は少しずつ状況を飲み込んでいき、そもそもここは西洋のどこかの国ではなく異世界なのだと理解した。


 そのときになって初めて、俺の頭に『転生者』という言葉がよぎった。


 生前……とは思いたくないが、俺は世界を飛び回る営業マンというやつだった。成果を出せば出すほどに認められ、成果報酬として給料まで増える。スマホ画面に映る貯金残高をウッキウキで眺めながら、まさに「これが俺の天職だ!!」と調子に乗って社畜を極めていた。その結果、不摂生が祟って俺は死んだ……と思っている。


 確証はない。ちなみに、出張先のホテルでエナドリキメて報告書を打っていたのが最後の記憶だ。


 にしてもこれが俺の来世……転生先ってんなら、ガチャ完全に外したってことじゃねぇか……!


 と、嘆いても仕方ない。覚醒してしまったのだから。俺はこれから、トリスタンの代わりにトリスタンをやるしかなくなったのだ。とはいえ、三十二歳の俺が、今更十七歳の青年をやるのは少し抵抗があった。



* * *



 このままここにいても無意味だと考えた俺は、隙を見て家を出ることにした。一方的にボコられたままなのは癪ではあるが、ハッキリ言って復讐はコスパが悪い。


 よって俺は、教会に泣きついた。こういうのは慈善事業家や福祉に助けを乞うのが手っ取り早い。


 トリスタンがまだ比較的若いこと、体の痩せ細り具合と暴行の痕跡から、神官が見るに見かねて、一時的ではなくきちんと保護してくれた。慈悲深くて本当に助かる。十七歳なら、下手したら自助で何とかしろと蹴り出されてもギリ文句が言えない。


 その後教会は、ベッドと机しかない狭くて簡素ではあるものの、わざわざ俺のために部屋を用意してくれた。暴行の痕が相当酷くくっきりと残っているおかげで、今はとりあえず体を休めて食事をしっかり摂るようにと言ってもらえた。少しの間は楽させてもらえそうだ。


「これであのクソ家族ともおさらばだな」


 一人になれたことで、小声でトリスタンに話しかける。さすがにひとりごとの激しい精神的に危ういヤツ判定は受けたくない。


『すごい……マサキってなんでもできるんだね』


 頭の中に、トリスタンの声が感嘆の吐息と共に響く。物凄く感動してくれているのはわかる……わかるのだが、感動の方向性が想定していたものと違って、なんだか肩透かしを食らっていた。


「おいおい、あんたなぁ……」


 もっと「自由だー!」みたいなのはないのか?


「家出て教会に泣きつくだけなら、別にあんたでもできたことだからな?」

『ううん、そんなことない。僕は一人で生きられる自信なんてないから、家から出られなかったと思う』


 んー……十七歳……っていうと、高校二年か三年か。

 まぁ、確かにそうなるヤツはそうなるかもなぁ。


「気持ちはわからなくもないな……そもそも俺は、家を出るのは今回初めてってわけじゃないし」


 トリスタンの言葉で思い出した。俺の実家は神社で、将来神主となって継ぐように言われていた。けれどそれがめちゃくちゃ嫌で、奨学金とバイト代で大学へ進学し、家を出たのだ。


 そのときに、自分一人でやっていけるだろうかという不安は少なからずあった。もし俺とトリスタンに差があったとすれば、それはきっと『このままは絶対に嫌だ』という強い反抗心くらいかもしれない。


「トリスタンは忍耐強い性格が、裏目に出ただけだな。対して俺は、あんな生活を耐えられるほど我慢強くない。なんてったって、秒で皿を親父に叩きつけた人間だからな」

『……ふふ、そうだった』


 父親に残りカススープの皿を叩きつけた瞬間を思い出したのか、トリスタンは小さく息を吐くように笑っていた。けれどその瞳は、十七歳の青年とは思えないほど生気のようなものが感じられなかった。

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