主婦、沼る
40代半ばの主婦、めぐみ。
優しい夫と能天気な娘。
2人を送り出すと慌ただしくパートに出かける毎日だった。
パート帰りのスーパーの壁に映るくたびれた40代の主婦。
どこにでもいるおばさん。
彼女の印象はこんなところだろう
若さという輝きも無くなり、疲れが顔に出ている
。
40代に入った頃からだろうか、寝ても疲れる、いや、息をしているだけで疲れを感じるようになったのは、、、
都内にある築40年の賃貸アパート。
古い家だ。
スーパーの袋を床に置き、乱暴に玄関の扉を閉める。
「疲れた」
いつもの独り言だった。
特段不満はない。
だが、このまま歳をとっていくだけなのか?と絶望感がないわけではない。
ただ新しい事を始めるには、少し遅すぎる気もしていた。
娘は昨年から私立中学に入学した。
娘の第一志望のお嬢様学校だ。
夫だけの仕事でやっていけるほど裕福ではない。
自分のわがままだけを通せる環境ではないのだ。
夫はよくやってくれている。
不満を言ったらバチが当たる環境だ。
そう自分に言い聞かせて、めぐみは晩御飯の支度をはじめた。
「推しとかがいたら良いんじゃない?」
麻美が焼き鳥をつまみながら言った。
彼女は同郷の友達で20代後半から韓国アイドルにハマり、ツアーで様々な国を飛びまわっていた。
2人は月に一度、居酒屋で近況報告をしているのだ。
この日も麻美は楽しそうに推しのアイドルと会った話をしていた。
「推しがいないし、お金もなーい」
めぐみは呆れながらビールを飲む。
麻美は独身貴族で推しに人生を捧げていた。
そんな彼女に呆れながらも、そこまで熱をかけられるものがあることをめぐみは羨ましく思っていた。
「まぁ見てみなよ!今ハマってるコのDVDあげるからさ!」
麻美が熱心に話し始める
ーTHE ROOTー
ボーカル4人、パフォーマー10人。
結成8年目の人気グループだ。
14人それぞれ個性的なメンバーで、個人でも俳優やバライティ番組で活動しているようだ。
「私の推しはショウくんなんだよね!
ダンスめちゃくちゃカッコいいの!」
麻美が金髪の男の子を指さす。
「へえ?」
めぐみは相変わらず興味なさげに焼き鳥を食べていた。
「ハマったら一緒にライブ行こうよ!
今度念願の東京ドームだよ??」
「ハマったらね!とりあえずこのDVDはせっかくだから見てみるよ。寝ないといいけど。」
麻美の興奮を抑えるようにめぐみはヘラヘラと笑った。
家に帰っためぐみは1人で麻美から貰ったDVDを再生していた。
2枚組のDVDは1枚目がバライティ番組の収録で2枚目がライブ映像だった。
「とりあえず、バライティから見るか。」
ポツリと呟き再生ボタンを押す。
寝起きドッキリ期間だ。
メンバー提案のドッキリらしく、他のバライティと比べると作りは甘い。
「これはファンの子が見て可愛いー!って言うやつだな」
めぐみは冷めたように笑い早送りボタンを押そうとした。
その時だった。
ターゲットの男の子がドッキリの小道具のおもちゃの蛇を寝ぼけてパクりと口に入れる映像が流れた。
爆笑する声がテレビから流れてくる。
ターゲットの男の子だけはなぜ笑われているか分からないといった様子だ。
寝ぼけ眼で、少し恥ずかしそうに彼は言った。
「お腹空いてたから、、」
紫の髪の毛に垂れた目、その目はキラキラと輝いて見えた。
「なんだ。この子は。」
めぐみは久しぶりの感情に戸惑いながら2枚目のDVDを再生した。
大きな会場が映し出される。
会場は超満員。
こちらに熱気まで伝わって来そうだった。
画面が暗転し、花火の音と共に14人がステージに現れた。
一曲目が始まった途端、めぐみはテレビから目が離せなくなっていた。
さっきまで、ふわふわとした頼りない顔で寝ぼけていた彼が鋭い眼差しで踊っている。
指先から髪の毛まで、全てに神経があるような、そんな彼の動き。
気がつけばめぐみはライブ終わりまでずっと彼を目で追っていた。
9月東京ドーム
「凄い人だ!黒い服の人多くない?!」
めぐみは人混みに目を白黒させていた。
「ドームだからね、前のライブはコロナだったから人数半分しか入らなかったんだよ」
麻美は慣れた様子で会場へ向かう。
「ところで、メンバーの名前覚えられた?」
麻美はにやりと笑った。
「麻美の推しとボーカルは分かるよ!あと、あの髪の毛紫の人」
めぐみはまだ慣れない人混みにもみくちゃにされながら答えた。
「あぁルル!ねぇ?推しになりそ?」
「それは、わかんない」
めぐみはそっけなく答えたが心は踊っていた。
超満員の東京ドーム。
麻美が当てた席はアリーナだった。
「え?近い!」
明らかにテンションが上がっているめぐみを見て、麻美は笑いを堪えている。
「だって10年以上ぶりだよ?ライブ来るの」
めぐみは慌てて言い訳をする。
「しかも推しのね」
麻美は揶揄うようにめぐみに微笑んだ。
「まだ推しじゃない!」
めぐみは必死に否定したが、バカらしくなって笑ってしまった。
その瞬間、会場が暗転する。
悲鳴のような歓声が響き渡る。
「めぐみ!終わったよ!帰るよ!」
麻美の声で現実に戻る、
「あ、終わった?」
めぐみは素っ頓狂な声を出した。
「え?泣いてる?」
麻美が顔を覗き込む。
「あ、本当だ、、泣いてたわ」
2人は顔を見合わせて笑う。
「出来ちゃった、、」
めぐみがボソりと呟く。
「何が?」
まだ騒めきが残る会場で麻美が声を張り上げる。
めぐみは感情を抑えきれずに大きな声を出した。
「推し!!」
耳の奥がおかしい。
夢なのか、現実なのか、ふわふわとした感覚の中、めぐみは「推し」という沼に足を踏み入れた。
「あー!幸せ!推しのイベント当たったー!」
あの日からめぐみの生活は一変した。
推しのsnsをチェックする為に30分早起きする
朝の家事の時間を削るわけにはいかないのだ。
「ちょっと待って!私推しにミンスタでメンションされてるじゃん!」
ミンスタは最近流行りのSNSだ。
先日のイベントの写真をアップしたところ、それが偶然推しの目に留まったようで、メンションされていたのだ。
「はぁやばい!!これって認知されたってこと!?
ふぁーー!ルルが私のミンスタ見たって事!?」
めぐみが喜びながら卵を冷蔵庫から出そうと勢いよく立ち上がったその時だった。
視界がぐらりと揺れた。
「あれ?」
次の瞬間、めぐみの意識は闇に沈んだ。
「お客様?お客様??」
聞き慣れない声に目を開ける。
目の前には川とどこまでも続く、美しい夕焼け。
そして、、
「三途の川は大変混雑しております」
という立て看板を持った作業着姿のおじさんが、立っていた。
50代後半くらいだろうか?
無精髭にふくよかなお腹、眉毛は下がっていて、心なしか申し訳なさそうな顔をしている。
「初めてのお客様ですか?」
男がこちらに顔をずいっと近づけた。
「え??」
めぐみはたじろぎ後退りする。
「私、三途の川の管理をしております、佐藤、と申します。ええ。」
佐藤は慣れた手つきで胸ポケットから手帳を取り出しパラパラとめくり始めた。
「あなた、まだ残ってるじゃないですか、、」
佐藤はため息を付きながら続けた
「あと40年と2ヶ月!残ってるんですよ。」
「えーと、、何が?残ってるんですか?あと、、何処ですかここ?」
めぐみが困惑していると、佐藤はやれやれと言った様子で手帳に目を向けた。
「山崎めぐみさん。44歳、旦那様と娘さんがお一人。
死亡予定は40年と2ヶ月後の84歳となっております。
なので今回は間違えて来られた、、と言うことですね。
いやぁ、困りましたねぇ。」
めぐみは理解出来ず言葉を失ったが佐藤はお構いなしに続けた。
「あなた好きなアーティストのsnsでメンションされた?
それで興奮されてましたね?
ええと、何でしたっけ? ああ!そうです!
認知です!認知されてるってはしゃいでましたねぇ。ええ!ええ!」
佐藤は目を細めて遠くを見つめる。
「最近多いんですよ?
推し活されててこちらに来てしまわれる方。ええ。
先月もライブの後に73名ほどお越しになりましてねぇ、おほほほほ」
「推し活で?間違えて?」
めぐみはまだ混乱していた
なぜ佐藤は自分のことがわかるのか、そして推し活とどう関係あるのか、先程から三途の川と言っていたような、、。
めぐみの思考がまだ纏まらないうちに佐藤が続けた。
「えーと、好きなアーティストはTHEROOTのパフォーマー、、?ルルくん29歳。
ずいぶんとお若い方を応援されてるんですねぇ!ええ!
ああ、でも私、知っていますよ!
このグループのぐるぐる回るダンス。
私もいつかやってみたいって思ってましてねぇ。
でもこのお腹でしょう?
出来るかな?なんて言って、、」
「ちょっと待ってください!」
めぐみは声を張り上げた。
「はい?」
饒舌だった佐藤は不満そうな顔でめぐみを見つめる。
「佐藤さんのお話はもう大丈夫です。それよりここはどこなんですか?」
めぐみはなるべく冷静になれるよう、ゆっくりと話かけた。
佐藤はやれやれといった感じで肩をすくめながら答えた。
「こちらは、三途の川の管理をしている部署ですね。ええ。
先程も申し上げたとおり、推し活?でしたっけ?
そのような活動で間違えこちらに来られる方が多いのでね。
勝手に川を渡られたら困りますのでね?
私が管理してるんですよ。ええ。
川を渡った先がいわゆる「あの世」ってヤツですな。ほほほ。」
佐藤は何が楽しいのか、先程から「ほほほ」と笑っている。
しかし突然、真面目な顔をして咳払いをした。
その様子はまるで役所の人間のようだ。
先程は気が付かなかったが、佐藤の後ろにはプレハブ古屋があり、その後ろには2階建の役所のような建物があった。
めぐみがそれを見つめていると、佐藤はため息を付きながらプレハブから1枚の書類を持ってきた。
「とりあえず、今日のところはお帰り下さい。
これにご署名をお願いします。
間違えて来られた方専用の書類になります。ええ。」
めぐみは書類に目を通す。
ー誓約書ー
⚪︎きちんとしたお迎えが来るまで二度と三途の川には来ないと約束致します。
⚪︎帰りの扉は1人で通り、他の人は通しません。
⚪︎扉を通るとこちらの記憶は自動的に消えるシステムになっております。万が一、記憶が残っていた場合には決して他言は致しません。
めぐみの横で佐藤が続けた。
「こちらの最後まで読んで頂いたら、サインしていただいて、あちらの青い扉からお帰りください。ええ。」
佐藤の指刺す先には不自然に青い扉があった。
「全く、以前は迷い込まれる方は若い方ばかりだったんですよ?
それが今では40代、50代の方も多くてですね、、。
皆さんお元気ですねぇ。ほほほ。」
佐藤は夕焼けを目を細めて見ていた。
めぐみはもうこの出来事を理解することを諦め、夢でも見ているんだろうと自分を納得させていた。
そして素早くサインをして、佐藤にそれを渡す。
「はい。確認致しました。
お迎えが来るまでもう来ないでくださいね?
こちらも人手不足で大変なんですから。
推し活もほどほどに。ええ。」
佐藤は下がった眉毛を一層下げて、ゆっくりと扉を開いた。
「お母さん!」
娘の声で我に帰る
「あれ?」
見慣れたキッチン、冷蔵庫は開きっぱなしだ
「お母さん口開けて白目で立ってたんだよ!」
娘は心配そうな顔でめぐみを覗き込んでいる
めぐみはまた状況が理解出来ず、周りを見渡す
「まだ具合悪いの?」
心配そうな娘の声
まだ状況が理解出来ていないが、とりあえずここは現実のようだ
「大丈夫」
めぐみは自分に言い聞かせるように言うと開けっぱなしの冷蔵庫から急いで卵を取り出した




