10.惑い
内唇を小さく噛みしばらく眺めていると、名を呼ばれる。
「シャノン。ダメ?」
優しい響きに促され顔を上げると、密に揃った金の睫毛が自分のすぐ目の前で瞬き、その奥の瞳が不安そうに揺れた。
それを見てしまうとダメだった。
――ずるいっ!
これが好戦的な態度や思惑があるような強い意思を見せていたのなら、毅然としてこちらも問いただすことはできただろう。
だけど、実際はそれとは反対にまるで私の気持ちが優先だと伝える優しい双眸は、私に近づいた目的のものが何であるかはっきりしない今、問いただすことが怖くなった。
「ダメ、というか」
「俺はシャノンのことが好きだ。誰よりも深く知り合いたい」
「深く」
「そう。そのためには外にも一緒に出たいんだ。もちろん、無理はしてはほしくないけど」
疑っている段階でも私を大切に想っている恋人のそれで、話せば話すほど突き止めたい気持ちはなくなってしまう。
今みたいに考えたこととは真逆の提案をされただけで、こんなにも動揺してしまう。
だとしたら、問いただしたところできっと私はウィルフレッドの言うことを信じてしまう。信じたいと思ってしまう。
それがわかるだけに、私は唇をきゅっと引き結んだ。
「シャノン?」
訝しむような声に、慌てて口を開く。
「そう、ね。少し考えてみる」
言葉を濁しつつも、私は小さく笑みを浮かべた。
彼の目的が私の魔女の知識なら、それを得るまではどこまでも本物の恋人であるかのように振る舞うだろう。
――あれだけ関係を知られたくなさそうだったのに、これからも一緒に過ごす提案、しかも誰に見られるのかわからないデートの提案をされるとは思わなかったけど。
それでも、魔女の知識の話をしていたこと、目的をもって近づいてきたことは確実である。
エーリックの付き合ったらとの提案に、嫌そうに否定していたのもこの耳で聞いている。
付き合っているのに、隠しているのはなぜか。
ウィルフレッド自身がやましい気持ちがあるからではないか。だから、今も未来の話をするのだろうか。
私の性格上、出たいと言うこともないと思ってなのかもしれない。
「この提案は負担?」
「ううん。ずっと気を遣わせていたのかと思って」
ほら、どこまでも私の意思を聞いてくる。決して無理に進めない。
――こんなの、あの話を聞かなければわかるわけないじゃない。
常に穏やかで、大人の余裕を兼ねそろえていて、世間の常識に疎い私を厭わず、むしろ私のペースを尊重して付き合ってくれる優しい人。
怒ったこともなく、声を荒げることもなく、常に冷静に話を聞いてくれる。言い合ったことさえない。
私にはよくできた恋人だった。
でも、違う。
そう何度も言い聞かせないと、この関係が偽りであるなんてすぐに忘れてしまいそうなくらい、ウィルフレッドは完璧だった。
格好良くて、誰もが憧れる騎士職に就いていて、常に私の気持ちを優先させてくれる。
収入も安定した人気者で、ものすごく優しい人。
自慢するような相手はいないから誰かにこの関係を話したことはないけれど、私の自慢の恋人だった。
――昨日から、ぐるぐると嫌になるなぁ。
そんなに悩むほうじゃないのだけどなと、初めてのことに動揺する。
本来、もういいと思ったらあっさりと切り捨てられるほうだ。
もともと守りたいものとそうでないものがはっきりしている。私が大事にしたいのは魔女の知識でここでの生活だ。
もちろん人との関わりも大事だと思っている。だけど、その二つにずかずかと土足で入り荒らすような人物は深入りしないしさせない。
だから、今回のことも騙していたのねと怒ることもできるし、本来の私はそうしていたはずだ。
なのに、なぜか私はそこまで怒りを抱くことができないでいた。
同じことばかり考えては、肯定したり否定したりと、どよんと気持ちが落ち込むこと自体に嫌気が差す。
多分、私に恨みがあるだとか、嫌いだとかいったことはない様子だったことが、私の攻撃的な気持ちを萎えさせているのだろう。
騙された、偽りだと何度も自分に言い聞かせても、面と向かうと普段の優しさと相まって拒絶の思いが弱まってしまう。
情けなくて顔をしかめると、会話の上で私が傷ついたと思ったウィルフレッドがぶんぶんと首を振った。
「そうじゃない。俺はシャノンのいろんなことが知りたい。まだまだ互いに知らないことも多いから、たくさんの経験の中で関係を深めていきたいんだ」
私をまっすぐに見つめ、きゅっと手を握ってくるウィルフレッドの双眸は騙している人のそれとは思えないほど熱っぽい。
心のどこかでまだ信じたい気持ちのほうが勝って、対面していても粗を探すと同時に否定する要素も探してしまうことをやめられない。
――騙されてはダメよ!
このまま流されたい気持ちに私はブレーキをかけた。




