保護制度の必要経費
告発者保護法案の前倒し審議は、王都では珍しく朝一番に設定された。
朝一番の議題は、王都で最も露骨な優先順位の表れだ。どうでもいい案件は夕刻に押し込まれる。朝に置かれるのは、止めたいか、急いで潰したいか、そのどちらかしかない。
私はPRT-31を机の中央へ置く。
保護制度必要性整理票。告発者保護がなぜ必要かを、感情ではなく損失と実害で示すための票だ。
一、Kiteのような内部通報者が消されかけた実例。
二、病院横流しで削られた薬品と現場損失。
三、証言が潰れた時に再調査へかかる追加コスト。
中立派議員の一人が紙をめくりながら言う。
「保護制度は理解する。だが乱用されたらどうする」
私は一拍置いて答える。
「乱用の可能性はあります。でも、今は保護不在の乱用が現実に起きています」
その場の空気が少しだけ止まった。
王都では“もし悪用されたら”という言葉が便利に使われる。まだ起きていない被害を大きく見せ、すでに起きている被害を後ろへ押しやるための言い方だ。
だから私は、起きた損失を先に並べる。
PRT-31の二枚目には、病院の不足一覧を添えた。小児病棟、救急、感染隔離室。削られたのは抽象的な予算ではなく、今夜必要だった薬剤だ。
ユリウスが補足する。
「保護制度不在の結果、証人は沈黙し、記録は空になり、補填コストは倍化した。すでに制度コストは払っている」
その言い方は強かったが、正確だった。
制度を置かないことにも、ちゃんと値段がある。
私はそこへさらに表を重ねる。RST-31。証言消失再調査表。失われた証言を埋めるために何日、何人、どれだけの追加工数が必要だったかを示した一覧だ。
「保護制度は優しさではありません」
私は言う。
「再調査の無駄を減らすための、王都運営上の必要経費です」
それを聞いて、別席の議員が皮肉っぽく笑った。
「ずいぶん冷たく言う」
「冷たく言わないと、王都では通りません」
私は答える。
本当は分かっている。告発者保護は、人が潰されないために必要だ。けれど王都で法案を前へ出すには、それだけでは足りない。人の尊厳を守る話を、行政コストの話に翻訳しなければ机に乗らない。
その現実が嫌いだ。
でも嫌いだからといって、そこで手を止めたらもっと嫌な結果になる。
ミラが後方席でメモを取りながら、私にだけ聞こえる声で言った。
「セリナさん、今の言い方、少し痛そうでした」
「痛いですよ」
私は小さく返す。
「でも、痛い言い方でしか守れない順番があるので」
議場では、ようやく審議続行の空気が整い始めていた。満場一致ではない。けれど“最初から退ける話ではない”という位置まで来た。
それで十分だ。
王都の法案戦は、最初の一歩が一番重い。
必要だと皆が知っていても、必要だと公に認めるには別の勇気がいるからだ。
私はPRT-31を胸元へ引き寄せる。
婚約破棄を覆したかった自分が、いま王都で保護制度の必要経費を説明している。
少し可笑しくて、少し苦い。
でもたぶん、ここまで来たからこそ言えることもある。
守るべき人がいる、では足りない。
守らない時に、どれだけ王都が腐るかまで言い切らないと、この街は動かない。
なら私は、それを言う側に回る。
審議の小休止で席を立つと、後方の傍聴席にいた病院事務員の女性と目が合った。彼女はすぐに目を伏せたが、私が通り過ぎる瞬間、小さく言った。
「再調査票、昨日も三枚書きました」
それだけで十分だった。
制度がないというのは、何も起きないことじゃない。
同じ不足を、違う紙で何度も書き直すことだ。言えなかった証言の穴を、残った人間が時間で埋めることだ。
私は振り返らずに答える。
「今日、そこに値段を付けます」
王都では、値段の付かない痛みは後回しにされる。だから私は、後回しにされてきた痛みを一度ぜんぶ工数へ変換している。
冷たい作業だと思う。
でも、その冷たさを通らないと、誰もこの街で守られない。
議場へ戻る前、私はRST-31の端を整えた。
この票は、失われた証言を惜しむための紙ではない。
失わせた結果を、王都に払わせるための紙だ。
私はRST-31の三列目を指でなぞる。再調査に必要だった人員数、空いた病床、後ろ倒しになった監査日程。証言が一つ消えるだけで、関係のないはずの部署まで遅れを被る。
王都は大きい。
だから一つの沈黙くらい飲み込める顔をする。
でも実際には、その一つの沈黙がいくつもの現場を静かに狂わせる。
そのズレを、今日は議場の上へ引きずり出したかった。




