南門で止めた空欄の紙
Arc2は、王都の財布を巡る戦いだ。
私たちが追うのは、医療予算の横流しルート。
守るのは、帳簿の数字ではなく、その数字で生きる現場の人たちだ。
CHS-26――逃亡阻止記録。これは「主担当を取り逃がさなかった証明書」。
LEK-26――漏洩被害一覧。これは「誰が先回りで潰されたか」を示す票だ。
王都南門で、医療予算主担当の馬車を止めた。
「監査院命令。移動停止」
主担当は笑った。
「遅いよ。もう必要な紙は全部処分した」
私はLEK-26を開く。保全予定先が、監査実行前に三件も空になっていた。
「処分じゃない。漏洩です。先回りで抜かれてる」
ユリウスが補足する。
「あなたの移動は任意じゃない。監査妨害疑義で拘束する」
主担当の顔色が変わる。
聴取室で突き合わせると、漏洩経路は一本に収束した。中立派補佐官の承認端末を経由している。
私はペンを置いた。
敵は王太子派だけじゃない。中立の席にも穴が開いている。
だが本当に怖かったのは、そこではなかった。
馬車を止めた時、荷台には帳簿より先に、薬品納入の仮受領票が積まれていた。何かを持って逃げるというより、何かを“無かったこと”にする準備をした人間の荷姿だ。
私はその束を一枚ずつ確認する。署名欄は空白、保全印もなし、日付だけが妙に整っている。あとから差し込むための紙だ。
「これ、差し替え用ですね」
ミラが小さく言った。
「ええ」
私は答える。
「しかも病院現場の保全先を知っていないと用意できない種類です」
つまり漏洩は単なる噂話ではなく、具体的な保全先情報まで流れているということだ。
聴取室へ移してからも、主担当はしばらく黙っていた。だが沈黙は強さではない。王都で黙る人間は、たいてい“どこまでなら言っても切られないか”を測っている。
「あなた自身が抜いたんですか?」
私が訊くと、相手は鼻で笑った。
「抜く? そんな汚い仕事は現場にやらせるさ」
その一言で十分だった。
自分の手でやらないのが、王都の上手な違反だ。命令は抽象で、責任は末端へ落とし、記録だけは綺麗に整える。
私はLEK-26の余白へ追記する。
『保全先情報の事前漏洩あり。差し替え紙準備から逆算して内部承認者の関与濃厚』
ユリウスが横から言う。
「漏洩線の優先度を上げる。逃亡阻止より先に、どこから漏れたかを固定する」
「はい」
私は頷く。
Arc2の怖さはここだ。上流へ近づくほど、敵は一枚の帳簿ではなく、こちらの手順そのものを覗き始める。どこを保全するか、誰に会うか、どの順で押さえるか。その順番が漏れれば、証拠は先回りで空になる。
窓の外で、南門の検問鐘が鳴る。王都の日常は平然と続いている。けれどその日常の裏で、病院の棚から薬が消え、保全先の箱から紙が消え、誰かの仕事だけが跡形もなく抜かれていく。
私は主担当の顔を見る。
この人間を捕まえること自体には、大きな達成感はなかった。たぶん彼は末端より上で、上流より下だ。切られる前のちょうどいい位置にいる。だからこそ、ここで止めるだけでは足りない。
「監査官」
私はユリウスに向き直る。
「この人を押さえた意味は、供述より“どこまで知っていたか”の範囲確認です」
「同意する」
「なら、次は補佐官端末の通信記録。そこを先に」
ユリウスは短く頷いた。
私はそこで、やっと少しだけ肩の力を抜く。
逃げる足は止めた。
でも本当に止めたいのは、こうして先回りで現場を削る仕組みそのものだ。
私は最後に、私用欄へ一行だけ書き足した。
守りたいのは名誉だけじゃない。
病院で働く人が、明日の不足を“いつものこと”として飲み込まなくて済む状態だ。
聴取が一段落したあと、私は押収した仮受領票を改めて机に並べた。
差し替え用の紙は、どれも空欄だ。けれど空欄の置き方に癖がある。署名欄を広く取りすぎているもの、保全印欄だけ不自然に狭いもの、日付の行間が詰まりすぎているもの。実際の現場で書類を回したことがない人間ほど、“あとで埋めれば同じになる”と思って枠だけを真似する。
「現場でこれを使えば、すぐバレます」
ミラが言った。
「でも、夜中に一度通れば、それで終わりです」
私は頷く。王都の不正は大雑把ではない。たいていは“朝まで持てばいい”のだ。朝になって既成事実になれば、あとで崩すには何倍もの手間がかかる。
だからこちらも、朝までに止めるしかない。
ユリウスが主担当へ問う。
「差し替え紙は誰の指示だ」
相手は笑う。
「そういうのは、現場判断だよ」
「現場判断で王都南門を越える馬車に同型の紙を積むのか」
返答はない。
私はそこで一枚を持ち上げ、裏面を指で弾いた。薄い。王都中央病院で使う正式用紙より、明らかに紙質が安い。
「監査官、これ、正式在庫じゃなく簡易在庫用の束です」
「つまり」
「正式保全先を空にしたあと、暫定帳簿だけ揃えて“現場は回っている”と見せるつもりだった」
主担当の目が一瞬だけ泳いだ。それで十分だった。
現場を支える気はない。
崩れていないように見せる時間だけが欲しい。
私はその事実に、静かに怒っていた。薬が足りないことより、足りないまま“足りている顔をさせる”仕組みのほうが嫌だった。
王都ではよくある手口だ。足りないなら足りないと出す代わりに、帳簿だけ合わせて現場に耐えさせる。耐えた現場は“回った”と記録され、次の月も同じことが繰り返される。
私はLEK-26の末尾へもう一行追加した。
『漏洩の目的は証拠隠滅だけでなく、供給不足を帳簿上で隠すための代替紙準備にある』
ミラがその文を読み、ゆっくり頷く。
「これなら病院側の実害と繋がります」
「繋げないと、また“数字だけの話”にされますから」
私は答えた。
窓の外では、王都の空が少しずつ白んでいた。朝が来れば、人はまた薬を求める。帳簿ではなく、実際の棚にある物を。
だからこの聴取は、ただ一人を止めるためじゃない。
“足りないのに足りていることにされる”流れそのものを止めるための入口だ。
ユリウスが書類を閉じる。
「次は通信記録だ。ここで止まるな」
「はい」
私は即答した。
追うべき相手は、主担当の背中だけではない。
その背中に空欄の紙を積ませた順番そのものだ。




