悪女 VS 悪女(後編)
「……わたくしの手に入らないのなら、いらないわ」
マリアンナが投げつけたナイフが向かった先は、ヴィオレットではなくリアムだった。
まさか、自分の想い人を狙うとは。誰も予想をしていなかった。
ローマンの防御魔法は、一人にしか掛けられない。
しかも、子供らにいたずらをされ、すでに効果がなくなっている。
再度掛け直すには、少し時間がかかるのだ。
ヴィオレットへの攻撃を警戒していたため、ローマンの対処が遅れた。
おそらく、ナイフには例の毒が塗ってあるだろう。
少しでも体に傷が付けば、命にかかわる。
咄嗟に地面へ伏せたリアムの前に、誰かが立った。
胸でナイフを受けとめた、エルザだった。
エルザは、マリアンナの行動をずっと観察していた。
ヴィオレットへ攻撃の隙はいくらでもあったのに、いつまで経っても仕掛けてこない。
わざわざ待ち伏せまでしていたのに、なぜ?
そう考えたとき、攻撃目標がヴィオレットではないことに気づいた。
リアムが危ない。体が自然に動いていた。
己の身を顧みず、リアムへ駆け寄る。
マリアンナがナイフを投げつけたのと、リアムの前にエルザが立ったのは、ほぼ同時だった。
◇
「エルザ!」
胸にナイフが突き刺さったままのエルザは、仰向けに倒れていた。
リアムはすぐに抱き起こす。
「マイア、治癒魔法を頼む!」
「リアムに当たらなくて、良かった……」
意識はあった。エルザが凶器を抜こうとナイフへ手をかける。
見たところ血は出ていないが、ナイフを抜けば出血が始まるかもしれない。
毒も恐ろしいが、大量出血も怖い。
「エルザ、触るな! いま、治療してもらうからな」
「大丈夫だよ。ナイフは刺さっていないから」
ベールを外したエルザは、微笑んでいる。
首には、布が何重にも巻かれていた。
「何を言っているんだ! 刺さっていないわけ───」
「ほら、全然血が付いていないでしょう?」
あっさりとナイフを引き抜いたエルザは、刃先をリアムへ見せる。
エルザの言う通り、血は一滴もついていなかった。
「本当は、舞台みたいに血糊も仕込もうかと思ったんだけど、手に入らなかったから止めたの」
「血糊……」
首と同じように腹にも腕にも体中に布を巻き、胸にはたくさんの詰め物をしていたとエルザは語る。
これは、ヴィオレットのドレスがエルザには大きかったからこそ、できたこと。
「だって、狙われているとわかっているのに、何も対処しないのはおかしいでしょう?」
「そうだな……」
真顔で問われたら、リアムとしても肯定するしかない。
ただ、事前に教えてくれれば良かったのに、と心の中でつぶやく。
ともかく、エルザにケガはなかった。
安堵でリアムは急に力が抜けた。
エルザの隣に座り込むと、「ついに、ボロが出たわ!」と無邪気にはしゃぐ姿が見えた。
◇
マリアンナは連行されていった。
取り調べでは、一貫して殺意を否定。
しかし、ナイフから毒が検出されたと告げられると、一転して正当防衛を主張し始めたのだ。
いわく、自分は以前から陰でいじめられていた。
今回現場にいたのも、ヴィオレットから無理やり呼び出されたため。
このままでは、一生下僕のような扱いを受ける。
精神的に追い詰められていたから、元凶を排除するしかなかったのだと。
子供らに依頼をしたのは、少しでも仕返しがしたかったから。
あくまでも、狙ったのはヴィオレットのみ。
リアムへの攻撃は、手元が狂ったからとされたのだった。
◆◆◆
マリアンナの起こした事件は、社交界にあっという間に広まった。
被害者が前皇帝の側妃。加害者が前皇弟の息女だったことで、貴族間では様々な憶測・噂話が流れる。
ヴィオレットが悪女と名高かったこともあり、加害者のマリアンナへ同情的な声が多く上がった。
ヴィオレットの容態は、重傷と公表されている。
当然のことながら、(エルザへ)事情聴取はできない。
ナイフに同じ毒が塗られてはいたが、これだけで殺人罪に問うのは難しく、皇帝暗殺の件でも状況証拠の一つに過ぎない。
皇帝暗殺計画の関与を示す供述も、具体的な証拠も見つからなかったことで、殺人罪でも殺人教唆罪でもなく、ヴィオレットへの傷害罪の適応が濃厚となっていた。
◇
エルザは落ち込んでいた。
マリアンナを罪に問うことはできたが、ヴィオレットの罪状が変わるわけではない。
いずれ逝去が発表され、陰で刑が執行されるのだ。
アルフィにはマリアンナの関与も含め、今回の件に関しての裏事情は何も話していない。
だから、「母上の過去の行いのせいで、エルザを危険にさらしてしまった。すまぬ」と謝られたときは、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
実行犯は処刑されるのに、陰で誘導した者はただの傷害罪で済んでしまう。
あれだけ頑張っても、自分の力ではこれが精一杯。
スッキリしない終わり方に、エルザの気持ちは一向に晴れない。
リアムたちから帝都へのお出かけに誘われても、以前のようにウキウキした気分にはなれなかった。
馬車に乗っていても暗く沈んだままのエルザを見かねて、リアムが口を開く。
「今は納得できないかもしれないが、戴冠式が終わったら状況が変わる。だから、元気を出してくれ」
「リアムの言う通りだぞ。あの女が自分の仕出かしたことに震え上がる姿が、フフッ、今から想像できる」
「……リアムもローマンも、嘘を言っていない?」
「これは、全部本当のことだ。いつ自分が処刑されるかと、毎日ビクビク暮らしていくことになるだろうな」
「ローマン、さすがにそれは言い過ぎだと思うわよ」
でも、もしかしたら、女帝が力を貸してくれるのだろうか。
エルザは希望を持つことにした。
◇◇◇
「さあ、時間がないから、さっさと行くぞ!」
馬車を降りたリアムは、勢いよく歩き出した。
これまでは、どちらかといえば後ろからついて歩いていたのに。
今日は、妙に気合が入っている。
後ろで、ローマンが苦笑していた。
「ブレスレットを買いに行くんだろう?」
「ええ、友人たちへのお土産にしたいの」
巻貝のブレスレットは、トールキン帝国へ行ったら絶対に買おうと思っていたもの。
『帝都恋物語』に登場する重要アイテムである。
「友人って、女性か?」
「……そうだけど、それがどうかした?」
「いや、別に。何でもない!」
挙動不審なリアムを見ていると、昨日離宮へ来た者の言葉が嫌でも思い出される。
さっきの自分の態度は、不自然ではなかったか。
この後も平静を装えるか。
自信はまったくないが、やるしかない。
エルザは、こっそり気合を入れた。
◇
いくつか聖地巡礼をし、最後に訪れたのは旧城壁だった。
この上からは、帝都の街が一望できる。
もちろん、物語にも登場する。
「これを、エルザにやる」
リアムが懐から取り出したのは、ブレスレットだった。




