智晶さんとの再会
僕らはすぐに九条院邸を出て、米良さんの車で智晶さんの家へ向かった。
ところが、また何かあっては困ると千春さんも付いてきてしまった。
急いで出たので、僕はすぐに目に付いた学校の制服、千春さんはエプロン姿のままだ。
夕食の準備は大丈夫なのかなあ?
もしかしたら、九条院のおじさんは今日は遅いのかな?
そんな千春さんはといえば後方座席でピリピリしたオーラを撒き散らしている。
「お嬢様、私たちはこれからどちらへ行くのですか?」
「えーとね、僕の友達のところだよ」
「まあ、お嬢様、本当に記憶が戻ったのですね。安心しました。学校のお友達ですね?」
「ああ……、うん。そうかな。うん、そうそう」
千春さんは「良かったわ」と独り言を言って、緊張感のオーラは消えた。
隣で運転する米良さんは、
「えっ? 学校の友達?」と不思議そうに呟いたが、それだけで突っ込んではこなかった。
「ねえ、米良さん、智晶さんの家はどこなの?」
「ああ、それなら白金ですよ」
その言葉に千春さんがはしゃぐ。
「すごい、シラガネーゼじゃないですか! お嬢様のお友達」
「千春さん、何それ?」
「あら、お嬢様、ご存知ないんですか? 白金といえば都心の超高級住宅地ですよ。シロガネーゼといえばセレブに決まってるじゃないですか」
「高級住宅地? 白金が……?」
少し考え込む。
そういえば、タイムマシンで僕と麗ちゃんが過去に行ったせいで、歴史が変わっているのだった。
元の時代の都心はゴーストタウン化で、そんなに高級住宅地でもなかったのでピンと来なかったのだ。
そんな会話をしているうちに、辿り着いた白金のタワーマンション。
真下から見上げると、かなりの高層マンションのようで、夜じゃ全体像がよくわからない。
ともあれ、米良さんに連れられエントランスからロビーに入った途端、千春さんがはしゃいだ。
「すごーい! お嬢様、エスカレータがありますよ、エスカレータが! デパートでもないのに! ヘリオス・フォーもこんなマンションに住んでるのかなあ?」
あまりの浮かれように同行者として恥ずかしい限りだ。
それにヘリオス・フォーってさ……、あのジャリタレ・グループなの?
誰かに見られてはいないかと、慌てて周囲を見回すと、ホテルのフロントみたいなのがあって、清楚な女の人がこっちを見てた。
米良さんが、その女性の方へ歩いて行き、話を始めた。
あの女性は、普通のマンションだったら管理人さんみたいなものなのだろう。
米良さんが戻ってきて、
「九条院さん、さあ、上がりましょう」と言うので、
千春さんはどうしたものかと考えてたら──。
「お嬢様、お邪魔でしょうから、私はロビーでお待ちしております。気にせず、ごゆっくりなさってください」と言い、豪華なソファーの方に向かった。
そして、僕と米良さんは並んでエスカレータで二階へ。
「ねえ、米良さん。ロビーの女の人は管理人さんなの?」
「はい。大雑把に言えば、そんな感じですが、コンシェルジュですね」
「ああ、コンシェルジュね。はいはい」
初めて聞く言葉だったが、九条院家令嬢の建前、知ったかぶりをした。
エスカレータは二階までしかなく、僕らはエレベータに乗り換え最上階へと昇った。
◇◆◇
エレベータを降りると、正面に街が一望できるような大きなガラス窓。
そこから見える夜の街は、灯りで満ち溢れている。
何もかもがキラキラして見える。
僕のいた元の時代とは大違いだ。
あまりの眺めの良さに窓に張り付いて夢中で見ていたら、米良さんから呼ばれた。
「お嬢様、さあこちらへどうぞ」
ワンフロアに二室しか無いようで、ドアは二つ。
僕はその一つに入る。
僕にとっては、別れてからそれほど経っていないのだけど、異常なまでに胸が高鳴り、鼓動が早まる。
思わず前髪をわさわさといじってしまう。
アイボリー調に統一された明るい玄関は、一軒家のように広く、とてもマンションとは思えない。
僕が緊張しながら、待ってると奥から米良さんが、
「九条院さん、叔母は足が悪いので、どうぞご遠慮なくこちらへ」
いよいよ、智晶さんだ……。
嬉しいような……。怖いような……。
一歩一歩奥へと進んでいき──。
そして、リビングに踏み入る。
そこには車椅子の老女がいた。
短くまとめた髪は、雪のように白い総白髪。
その小さな顔が僕の方に向けられた。
「九条院のお嬢様ですよ。智晶おばさん」
米良さんが、智晶さんの耳元に話しかける。
だが、彼女は無言でキョトンとして、僕を見つめている。
もしかしたら目が悪いのかなと思い、僕は彼女に近づく。
と──、彼女はいたずらっぽい目で微笑んだ。
「あら、香じゃない」
「おばさん、違いますよ! 九条院家の麗お嬢様ですよ。今日はおばさんに『日本のサンジェルマン』について訊きたいとお見えになったのですよ」
米良さんは焦って訂正しているが、彼女は間違ってなんかいない。
僕の目からはいつしか涙が溢れ、それを止めることができなかった。
「智晶さん。遅くなって、本当にごめんね」
震える声を絞り出す。
「香、堅いこと言わないの。あなたは来てくれた」
その言葉に、思わず彼女を抱きしめる。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。突然いなくなっちゃたりしてさ」
智晶さんの手が僕の頭を優しく撫でてくれた。
ひとしきり僕が泣くと、彼女はそっと囁いた。
「ありがとう、香。ここに来てくれて。今日はいっぱいお話ししましょ」
僕は智晶さんから離れた。
米良さんが事情を飲み込めず、横に突っ立ている。
「智、あなたはお邪魔だから、あっちでテレビでも見てなさい」
その言葉に、ちょっと不服そうな顔をしながらも、米良さんは隣の部屋に消えた。
幾筋かの皺を携えた目が、暖かく僕を見つめる。
智晶さんはそれからゆっくりと話し始めた。
「私……、いや香の前だから、僕の方がいいかな? この話し方も久しぶりね。上手く喋れるかしら」
くすくすと智晶さんは笑う。
それから、咳を一つして、きりりと表情を引き締め続ける。
「僕はね、香がいなくなった星が流れるあの夜、お別れの言葉が言えなかった事をずっとずっと後悔していたんだ。香の話を冗談半分にしか聞いてなかった自分を愚かだと思ったよ。だから、あの夜の事は生涯絶対に忘れないと誓ったんだ。もう一度、神様の思し召しで香と会えるその日まで」
「ごめんね、智晶さん。こんなに遅くなっちゃって……」
智晶さんの手が僕の手を握る。
「いいんだよ。それが神様の思し召しだから。それより、香、その格好は何? どこの学校の制服?」
「ああ、これは……」
改めて自分の格好を確認した。
これは、この時代の麗ちゃんが通ってた学校の制服なんだろう。
「まあ、香はあの時のままだし、その制服でもいいよね。あはは」
楽しそうに笑う智晶さん。
「ねえ、智晶さんは僕が昔のままの姿でも驚かないの?」
「うん、驚かないよ。だって、そういう人をもう一人知ってるから」
「それって、もしかして……」
「僕のクラスメイトだった九条院令君さ。イケメンだったけど相当変な奴だったよね」
「それで、智晶さんは、麗ちゃんじゃなかった……、九条院さんと、僕がいなくなった後も会ってたんでしょ?」
「いや、卒業してからしばらくは会ってないよ。僕は歌劇団に入ったし」
「じゃあ、どこで九条院さんと?」
智晶さんは目を細め、しばらく考え込み、
「あれは……、確か……、僕が歌劇団を辞めるちょっと前、横須賀の米軍基地の社交パーティーに呼ばれて行った時かな? でも、その時はまだ二十半ばだったから九条院君も若くて当たり前だったから気にもしなかったよ」
僕の知らない麗ちゃんの話だ!
僕は思わず先を催促する。
「その時の九条院さんは何をしてたの?」
「経営コンサルタントみたいなのをやってるって言ってたよ。それで僕が興味を示したら、クラスメイトのよしみで何かあったら相談に乗るよ、って言ってくれたんだ。そして、僕が歌劇団を引退して、会社を始めて、時々……、年数回くらいかなあ? 仕事の関係で会ってたんだけど、三十、四十、五十になっても彼は高校時代の容貌のままなんだ。こっちは皺も増えてきて、白髪も生え始めたのにね。真剣に不思議に思い始めた頃、彼と連絡がつかなくなっちゃったんだ。けど、いつまでも若いって不思議だよね。だから、僕は彼のことをヨーロッパのサンジェルマンみたいだって人に話したんだ」
「えっ! じゃあ、九条院君の連絡先は今はわからないの?」
焦る僕の問いかけに、智晶さんは胸の前で手を合わせ答える。
「いや、わかってるんだ。でも、それはどこにあるかも謎の秘密結社のような組織なんだ。その名前は……」
やっと掴んだ麗ちゃんの居所……。
「その名前は……?」
「クロノスクラブ。僕が知ってるのはここまでさ」




