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ラスプーチンとサンジェルマン

 窓の外に広がる光景を見ている。

 三十三階の最上階から街を見下ろすと、爽快感とほんの少しの全能感を覚える。


 僕は今、九条院フィナンシャルグループ本社ビルにいる。

 このビルは僕らがこんな姿になってしまう元凶となった、あの忌まわしい事件が起きた場所だ。

 麗ちゃんの目論みどおり、九条院グループの破滅は、見た限りでは確かに防げたようだ。

 今の世界は、華族制度も施行されることなく、日本経済も順調だ。

 全てが上手くいっているように思えるが、肝心な麗ちゃんがいない……。

 少し遠くに、かつての世界では無かった皇居が見える。

 麗ちゃんと二人で見た、過去の皇居がとても懐かしい。


「麗、記憶が戻ったから、ここからの景色も格別だろう。お前は子どもの頃から、ここから下を眺めるのが好きだったからな」

 九条院のおじさんが机から声をかけてくる。

「うん、とても気分がいいし、懐かしい気がする」

 僕がそう答えると、おじさんは満足そうに何度も頷いた。

「すぐに理事長が来るからな。しばらくそこで眺めてなさい」


 しばらくして、九条院科学振興財団の理事長がやって来た。

 僕も見たことがない顔で、生真面目そうな老紳士だった。

「社長、今日は何の御用でしょうか?」

 理事長は、僕がいることを少し気にしているのか、ちらちらとこっちを見ている。

「忙しいところすまないね。今日はこいつが用事があるようなので、一つ話を聞いてやってくれないか」

「麗お嬢様、お体の具合が治られたのですね」

 理事長が僕に一礼するので、僕もつられて返礼した。

 理事長は僕のことを知っているのかな?

「私は会議があるので、ここで二人で話しなさい」

 おじさんが出て行き、僕らは応接用のソファーに向かい合わせで座った。


「お嬢様、この度は、ご快気おめでとうございます」

「ありがとうございます。理事長さん、ところでいきなり本題に入って良いですか?」

「はっ、何なりとこの行天ぎょうてんにお申し付けください」

 どうやら理事長の名前はぎょうてんと言うらしい。

 どんな字かは見当が付かないが、それはいいとして、とにかく本題だ。


「えーと、理事長さんは、日本のマンゴスチ……じゃなくて、日本のラスプーチンと言われる人物を知ってる?」

「日本のラスプーチンですか?」

「うん、そう。その人は財界のフィクサーらしいよ」

「財界のフィクサー……、ラスプーチン……。フィクサーと言われる人物は色々おりますが、ラスプーチンと呼ばれている人物は心当たりがありませんが」

「えっ、知らないの? だって、シグマが財団の人から聞いた、って言ってたよ」

「シグマとは柴久万博士のことでしょうか?」

「そう、アンチエージング研究所のシグマだよ」

「博士からですか……。ちょっとお待ちください」


 理事長は腕組みをして、ソファーに深く腰を沈めた。

 僕はその間、理事長の綺麗な白髪を眺めていた。

 しばらくすると、理事長は胸の内ポケットからスマートフォンを取り出し、いじり始めた。

「もうしばらく、お待ちください。研究員に一斉メールで訊いてみますので」

 これでわからなかったら、また麗ちゃんへの手がかりが途絶えるので、僕は祈るような気持ちで返答を待った。

 すると、すぐにスマートフォンから着信音が──。


「お嬢様、知っている研究員がいたようです」

「理事長さん、読んで、読んで!」

「はい、では早速。ええと──、日本のラスプーチンについては、私がアンチエージング研の柴久万博士にお話しした覚えがございます。正確に申し上げますと、ラスプーチンというのはその人物のフィクサー的な面を揶揄した呼称で、もう一つ、私たちの間でその人物は『日本のサンジェルマン』とも呼ばれております。柴久万博士はサンジェルマンのことをご存じなかったので、おそらくラスプーチンのほうだけ憶えておられたのではないかと思います。手短ではありますが、以上です」

 とりあえず知っている人物は見つかったようだけど、今ひとつ話がわからない。


「サンジェルマンって何? 理事長さん」

 理事長は眉間に皺を寄せ、スマートフォンを睨みながら答える。

「さあ、私は辛うじてラスプーチンは知っておりますが、サンジェルマンが何を意味するかはわかりません。名前からして、フランス人ではないかとは思うのですが」

「フランス人なの?」

「日本のサンジェルマンですから、日本人だとは思いますが、あとはこの研究員にお訊きください」

 理事長はスマートフォンの住所録を見ながら、メモを書き、僕にくれた。

「この電話番号にかければいいの? 仕事中でもいいのかな?」

「お嬢様でしたらお構いなく。それでは、私はこれで失礼してよろしいでしょうか?」

「うん、どうもありがとう!」

 立ち上がってお礼をした時、言葉遣いがかなりラフだったことに改めて気付いた。

 まあ、これはそのうち千春さんが直してくれるのだろう。

 理事長を目で見送ってから、机の電話に急いだ。

 相手は知らない人なので、ちょっとドキドキした。


「あのー、僕……じゃなくて、私、日々之、じゃなくて九条院麗と申しますが、米良めらさんはいらっしゃいますか?」

『はい、私が米良ですが』

「あっ、米良さん! あのー、先ほどはラスプーチンの件ありがとうございます。それで先ほどの話をもっと詳しくお訊きしたいのですけど」

『ああ、あの件ね。ちょっと今は実験で手が離せないんだけど』

「そうなんですか。うーん、どうしようかなあ?」

『じゃあ、九条院のお嬢様は今晩はご用事がありますか?』

「夜は家にいますけど」

『では、仕事が終わったらお嬢様のお宅に伺います。財団の研究所は割と近いんですよ。九条院のお嬢様に会えるなんてラッキーだし。夜の七時くらいでよろしいでしょうか?』

「はい、構いません。よろしくお願いします」

『じゃあ、今晩伺います! ひょーっ』


 そこで電話が切れた。最後の『ひょーっ』は何なのだろうか?

 まあ、とりあえず向こうから来てくれるのはありがたい。

 それまでに千春さんのパソコンで『サンジェルマン』でも調べてみよう、と僕は思った。


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