表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
九条院家の存亡(旧バージョン)  作者: 天川一三
2011年後編
72/107

僕は男なんです

 七瀬さんの姿が見えなくなり、歩道の真ん中で仁王立ちしていた僕は、ようやく息をついた。

 麗ちゃんの体なんだけど、本人になりきるのも楽じゃないな……。

 なんだか一日分のエネルギーを使いきったような感じだ。

 強ばった顔をほぐすために、笑おうとしたが上手く笑えなかった。


 気を取り直し、空を仰ぐと、茜色に色づいた大きな雲が浮いていた。

 その下をねぐらに帰るのか、鳩が数羽飛んでいる。

 それを目で追いながら、大きく深呼吸をして、やっと気分が落ち着いてきた。


「おい……、香」

 後ろから平太の声がする。すっかり彼のことを忘れてしまっていた。

 僕は急いで振り返った。

 平太は相変わらず少し緊張した面持ちで、そこに立っていた。

「平太、ご免ね」

 何を平太に謝っているのか自分でもよくわからなかったが、平太の顔を見るとそうせずにはいられなかった。

「いや、俺は別にいいけど……。なんかさ……」

 平太はポリポリと鼻の脇を指で掻く。

「なんか、何、平太?」

「俺、香と会ってから、初めてお前のこと恐い、って思ったよ」

 意外な平太の言葉に僕はのけ反った。

「えええー、そんなに僕恐かった?」

「弁護士の長瀬さんに突っかかるしさ。なんか、今日の香は別人のようだったぞ」

 平太は僕の顔をじっと見つめた。

 麗ちゃんになりきったつもりだったけど、七瀬さんより平太のほうがそれを敏感に感じとったようだ。


「あのさ、平太、ちょっといい?」

 僕は平太の腕を引き、店のテラス席へと連れていった。

 壁の穴をふさいだ黒い板の前を通り、霧原君がいつも使う端っこの席に二人で腰かける。

 テーブルの上は掃除をしていないせいか埃っぽかった。スカートも汚れたかもしれない。

 今日は掃除するために来たんだから、話をすぐに済まさないと。

 向かいに座る平太は、いつもと比べてどこかよそよそしい。

「コーヒーでも淹れてくるわ、俺」と立ち上がりかけたので、袖をつかんで引き止めた。

 平太は仕方なく、また腰を椅子におさめた。

「なんだよ、香。話があるなら、早く言えよ」

「うん、わかってるよ。……でさ、僕、未来から来たって平太に言ったよね」

「ああ、その未来では天皇は東京にはいないんだよな?」

「なんだ、覚えてるじゃん。話を聞いてないのか、と思ってたよ。でさ、さっきの七……、いや長瀬さんも僕らと同じ未来から来たんだ」

「はあ!?」

 テーブルに頬杖をついていた平太は、がくりと顔を落とした。


「長瀬さんは僕らの邪魔をしに来たというか、僕を抹殺するために来たんだよ」

「ちょ……、ちょっと待て、香。お前がタイムマシンで過去に来たのは、信じてやってもいいかな、とは思うけど……。そりゃ、作り話にしてもあんまりだろ?」

「作り話じゃないよ。まあ、平太には信じがたいことかもしれないけど、僕は本当のことを平太だけには全部話しておきたいんだ」

「……」

 平太は黙りこくってしまった。

 でも、今日の話はここからなんだけどな。

 僕は意を決して、また話し始める。


「さっき、平太は僕のことを別人みたいだった、って言ったけど──」

 平太は無言で僕の目を見て、うなずく。

「実はこの体は、本当は僕のものじゃないんだ。僕は元は男だったんだ」

 ちょっと早口気味に言い、平太の様子をうかがう。

 と──、平太はテーブルに突っ伏し、短く刈った頭のつむじがこっちを向いていた。

 そのつむじが小刻みに揺れている。

 そして、僕の耳に断続的に聞こえてくるのは、平太の忍び笑いだった。

 僕の話があまりに突飛すぎて、平太がおかしくなっちゃったかな?

 身を乗り出し、肩を叩こうとした途端、平太ががばりと顔を上げた。

「はははははははっ、香ぅ、お前、何言ってるんだぁ?」

 平太は大笑いを始めた。

「何って、今、言ったとおりだよ」

「はははっ、で、それが本当のことだって言うんだよな?」

 平太は目尻にたまった笑い涙を指でぬぐった。

「うん、そうだけど」

 僕は一も二もなくうなずく。


「そうか。けど、これでお前の話が全部作り話だって、俺は確信できたぞ。未来からやってきたまでは良かったけど、元は男だったはあんまりだぜ」

 平太は椅子を蹴り立ち上がった。

「だって、そうなんだもん」

 僕は平太を見上げ抗議した。

「俺はお前の着替えを前に手伝わされたけど、どう見ても女じゃん。男だったなんて、あり得ねえよ」

「だからあ、この体は僕のじゃなくて、麗ちゃんのなの」

「もういい、もういいから。とりあえず、この話はここまでだ。笑ったら喉かわいたから、ジュースでも持ってくるわ」

 平太は手を挙げ、店に歩いていった。

「僕は本当のこと、全部言ったからね……」

 その姿に向かい、僕は小さくつぶやいた。


 まあ、信じてもらうどころか、前に話したことまで台無しになっちゃったようだけど……。

 元から平太は信じてなかったようだし……。


 平太からオレンジジュースを受け取り、それを喉に流しこむ。

 その味はちょっとだけほろ苦いような気がした。


 コップを置き、天を仰ぐ。

 見上げた空一面、すっかり朱色に染まっていた。

 それを眺めながら、平太といる間はずっと日比野香のままでもいいかな、と思った。

 すぐに別れることになっても、そうでなくても──。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ