七瀬さんふたたび
平太と学校からの下校途中、僕は今日のやり取りについて思い返していた。
智晶さん、霧原君ともに電話番号を聞き出すことに成功し、タイムマシンを呼び出す際には立ち会ってもらうことを快諾してもらえたのだが……。
智晶さんは遊びか冗談だと思ってるようだし、霧原君は機械的な受け応えで理解しているのかどうかも定かでない。
二人は本当に来てくれるのだろうか?
僕はよく晴れた空を仰ぎながら、首を傾げた。
平太は先ほどから僕の横で、色んな映画の名前とあらすじを挙げて、「面白そうだろ」とか「すごそうだろ」とか話しかけてくる。
どうやらゴールデンウィークに上映する映画みたいで、僕が興味を示すかどうか反応を探っているようなのだが、考え事をしているので、適当にあしらっていた。
どちらかといえば、平太が話す映画のことより、彼が割と映画について詳しいことのほうが、僕には意外だった。
喫茶店に下る坂道を少し進むと、喫茶店の前に男の人が立っているのが見えた。
まだ距離があるので、顔はよく見えないが、なんとなく見覚えのある姿だった。
歩きながら目を凝らしてみる。
麗ちゃんの視力は裸眼でもすごくいい。
「あっ!」
僕の小声に、平太が反応する。
「香、どうした?」
僕は足を止め、平太の腕を引き、歩道の街路樹に身を寄せた。
「いきなり、なんだよ?」
僕は口に指をあてがい、平太を黙らせたが、この距離じゃ必要なかったかも。
平太は通りの様子と僕を見比べ、怪訝な顔をした。
「誰かいるのか? この先に」
僕は二度うなずいた。
「誰だよ?」
「ええと、七……じゃなくて、長瀬さん」
「長瀬さん? 誰だっけ、それ?」
「ほら、お店の前の法律事務所の」
「ああ、あのおっさんか!」
平太はテンポ良くカクカクと何度も首を振る。
「平太さ、ちょっとお願いがあるんだけど──」
手招きして平太の耳を寄せる。
「平太、先に行って、ちょっとあの人を呼び止めておいてくれない?」
「はあ? 一緒に行けばいいじゃん」
「いいからさ、お願い!」
顔の前で拝んだ。
「ああ、なんだかわかんないけど、わかったよ。じゃあ、行くな」
平太は頭を掻き、歩いていく。
僕は木の陰から、その様子をうかがった。
平太が話しかけると、男は平太のほうを向き、後ろ頭がこっちを向いた。
僕はその隙に、店の前まで足を忍ばせ走った。
男の後ろに立ったが、平太に気を取られ、まだ僕には気づいていないようだ。
僕は背後から男の肩を叩いた。
男が振り返る。
その顔は、やはり七瀬さんだった。
七瀬さんは僕の顔を見た途端、闇夜に鬼でも見たかのように表情が強ばった。
だが、それも一瞬で、すぐに穏やかな顔つきに戻り、微笑む。
「いきなり肩を叩かれたので驚いたら、なんだ、ここのお嬢ちゃんじゃないですか」
慌てたことを悟られないようにでもしているのか、必要以上にゆっくりとしたしゃべり方だった。
「こんにちは、七瀬さん」
僕の言葉に、七瀬さんの片眉が跳ね上がる。
「お嬢ちゃん、いや、日比野さんでしたか。もう忘れちゃったんですか? 私は長瀬ですよ」
「あれ、そうでしたっけ? ごめんなさい」
僕はわざとらしく謝り、頭を下げた。
長瀬さんは「いえいえ」と手を振り、僕から目をそらした。
「それにしても、お店は大変なことになっちゃいましたね」
無残な店の壁を、七瀬さんは眺め、ひとつため息をついた。
僕の目に前に立つ男は、間違いなく七瀬さんだったので、それは演技にしか見えなかったけど。
「ところで、長瀬さんはどちらへ事務所を移したんですか?」
「ああ、実はあそこは仮住まいだったんですよ。新しいビルが建つまでの。今日はその後始末でこっちへ来たんです」
当たり障りのない答えだ。さすが九条院の元社長秘書だけあって、頭が切れる。
「で、今はどちらに?」
「港区のほうです」
うーん、僕レベルじゃなかなか尻尾がつかめない。
麗ちゃんだったら、違うんだろうけど──。
ん! 麗ちゃんだったら!?
そうだ! 七瀬さんは僕を記憶喪失の麗ちゃんだと思ってるはずだ!
でも、どうすれば、七瀬さんの正体を暴くことができるだろう?
考えていると、七瀬さんが僕に訊ねてきた。
「ところで、日比野さんはご記憶のほうはまだ戻らないんでしょうか?」
どうやら先方も探りを入れているようだ。僕は少し考えてから答えた。
「はい、相変わらずなのですが、最近少しだけ思い出すことがあるんです」
平太が何か言いたそうな顔をしたので、僕が目で合図をすると、黙ったまま小さくうなずいた。
七瀬さんは、まだとぼける気満々なのだろう、一向にボロを見せない。
「おや? それはどんなことでしょう?」
「それはですね、私が家の窓から芭蕉の木を見る場面なんですけど、その木はぽつんと家の前に立っているのです」
「ほう、芭蕉の木ですか」
七瀬さんはおもむろに腕組みをした。その顔色は変わらないが、穏やかな表情は能面のように、どこかよそよそしく感じる。
「で、私はその家であなたを見たような気がします」
七瀬さんの周り、少しだけ温度が下がるような錯覚がした。
彼は僕のことを、冷たい目でじっと見ていた。
「それは私と会ったことから、記憶が入り混じったのでしょう。現在と過去の記憶の境界が曖昧になっているんでしょうね」
「そうかしら? 私は何度もあなたと会った気がするのですけど」
わざと麗ちゃん口調に似せてみた。飽きるほど聞いてるクセに、いざ真似をすると、上手くできてる気がしない。
「そうだとしても他人の空似ですね。私は全く憶えがない」
どうやら七瀬さんは、とことんシラを切り通すつもりらしい。
平太は何が起きているのかわからず、強ばった顔で突っ立っている。かなり緊張しているようだ。
次の一手をどうするか、僕は急いで考えた。
だが、先に動いたのは七瀬さんだった。
「あのう、悪いのですが、これから私はクライアントの所に行かなければいけませんので、そろそろ失礼いたします」
逃げるとは卑怯なり──。
思わず、そう言ってやりたかった。
とはいえ、僕の命を狙っていたのが、七瀬さんだという証拠はどこにもない。
「それにしても、お店は残念でしたね。とんだ災難でしたな」
そう言い捨て、踵を返す七瀬さん。
その言葉に僕はついにキレてしまった。
「災難って、あなたのせいじゃないんですか? 七瀬さん!」
七瀬さんは振り向かなかった。
「日比野さん……、だから、私は長瀬ですよ。それと……、子どもとはいえ、見当違いな言いがかりはやめて欲しいですね」
七瀬さんは坂を下り始める。
平太が「どうする?」というような顔で僕を見る。
この場では七瀬さんを言い負かせないと、既に僕はあきらめていた。
最後にもう二度と会うこともないだろう、彼に言葉を投げた。
「私がタイムマシンで未来に戻ったら、必ずや、九条院グループを再興させてみせますから!」
麗ちゃんになりきったつもりで吐き出した言葉。
七瀬さんは何事もなかったかのように、体を揺すり歩いていく。
僕は歩道を数歩駆け、立ち止まる。
そして、徐々に小さくなる彼の背中を、いつまでも睨み続けた。




