前夜
夜、家に戻ったが、凪沙さんに叱られたこともあり、僕は部屋にとじこもり、ひとりへこんでいた。
それに加え、また言葉を気にしながら話さないといけないので、あまり喋る気にもなれない。
九条院さんと五両君に、冴島さんと会うことを伝えないといけないけど、電話はこの部屋にはない。
部屋を出て、電話を使うと凪沙さんに会話を聞かれてしまうし。
携帯電話があればなあ、と初めて思ったが──。
良く考えたら二人の電話番号を、僕は知らなかった。
五両君は転校生なので、クラスの連絡簿にもまだ載っていない。
九条院さんはこっちの電話番号を知っているが、僕は向こうのを聞いてなかった。
いずれにしても夜も遅いし、五両君は施設だ。今から電話は不謹慎だろう。
こんなことを悶々と考えるのも、内心は誰かと話したいのかもしれない。
そんな時、ドアがノックされた。
平太だろうと思った。
案の定、ドアの向こうから彼の声がした。
僕はドアを開け、平太を部屋に入れた。
平太は風呂上がりで、タオルを肩にかけていた。
「私に何の用?」と訊いたら、平太は苦笑いした。
「俺には普通に話していいぞ。母ちゃんには言わないからさ」
「うん、わかった」
僕が小さくうなずくと、平太は床に胡座をかいた。
「お前さ、今日の……冴島さんだっけ? あの人の話、どう思う?」
「おばさんがすぐに帰しちゃったから、良くわからないけど……。今度こそ、何かわかるんじゃないかな、とは思うよ」
「そうか。そうだよな。お前の実家が興信所を通してお前を捜してる、というのももっともらしい話だもんな」
「けど、僕が保護されてからもうすぐ一年だよ。そんなに時間がかかるものなのかな?」
平太は腕組みして、
「手がかりがなければ、結構かかるんじゃないかな? 俺はむしろ、どうやって見つけたのかを知りたいな」と言った。
「僕より先に、冴島さんは五両君を見つけたみたいなんだ。それで五両君を尾行していて、僕も見つけたみたい」
僕のこの言葉は正確にいえば推論だ。冴島さんがサングラスの男だった場合に限る。
平太は少し驚いたようだった。
「敦とお前にやっぱり何か関係があるのかな?」と呟く。
「それと九条院さんも」
「九条院さんも?」
「うん、冴島さんは彼も捜しているみたい」
「じゃあ、敦から芋づる式に発見したってことになるな。運がいいな。冴島さんは」
平太はポンと膝を打った。
「僕の家がわかれば、ここともお別れか……」
僕は部屋を見回した。物こそ少ないが、住み心地の良い部屋だった。
気が早いかもしれないが、ここを離れるのも淋しい気がする。
「俺も淋しいけど、いつでも会えるぜ」
平太が僕の肩を叩く。
「そういえば、記憶が少しだけ戻った九条院さんが、僕の家は品川区だって言ってたよ!」
「おい、本当か? じゃあ、同じ区じゃん」
平太が破顔した。
同じ区なら学校もそのままでいいし、僕もとても嬉しい。
「だけど……」
「香、どうした?」
「このままじゃ実家に戻っても、僕、記憶がないままかもしれない」
「だけどさ、家族と会ってれば、そのうち記憶も戻るぜ」
「そうかなあ?」
「そうだよ」
平太が僕を見て無言でうなずく。
その顔を見ていたら、僕の不安も少し薄らいできた。
「ありがとう、平太」と頭を下げた。
「な、何……言ってるんだよ、お前」
平太は照れ臭そうに鼻を掻いた。
「僕は運が良かったよ。保護されたのが、この家で」
「母ちゃんはハズレだったかもしれないけどな」
「いや、とんでもない。おばさんが厳しいお陰で、僕は色々気兼ねしなくても良かったし」
「まあ、香はうちの家族みたいなもんだ。今後もな」
平太はまた鼻を掻いた。
僕はその顔を見て、自然と笑顔になれた。
互いに離れても、仁科家は僕の家族のようなもの。
僕もそう思っている。
「じゃあ、俺、部屋に戻って宿題をやるよ」
「うん、おやすみ、平太」
「ああ、おやすみ」
平太は片手を挙げ、出ていった。
また、ひとりぼっちになった自分の部屋。
宿題は僕もやっていないが、今日はやる気になれない。
さぼって先生に怒られるのも、最近慣れてきてしまった。
僕は布団を敷き、その上にゴロリと寝転んだ。
明日は凪沙さんから、五両君を連れて来るように言われている。
冴島さんの件は、九条院さんを呼び出すのに好都合だ。
五両君は九条院さんを何故か気に入ってるようだから、店に彼を呼び出す丁度良い理由にもなる。
三人で集まって、それから冴島さんに連絡をする。
僕たち三人の新しいスタートはそこからだ。
五両君は凪沙さんから、少し怒られるかもしれないけど。
まあ、それも自業自得だし、仕方ないかもね。
でも、明日、九条院さんの都合が付かなければ、どうしよう?
……。
その時は、冴島さんに延期の連絡をすればいいだけか。
とにかく、明日は朝一で九条院さんのクラスに押しかけよう。
九条院さんをつかまえないと、五両君を店に呼びにくいし……。
あれこれ明日のことを考えていたら、あくびが出た。
眠くなったかもしれない。
立ち上がり、部屋の電気を消し、布団に潜りこむ。
すっかり体に馴染んだ布団の温もりを感じながら──、
明日は僕たちに良いことがありますように。
そう祈り、僕は眠りについた。




