サングラスの男
お嬢様だって? 僕が?
僕は自分の周りを見回した。
レジ周辺にいるのは僕だけ、というか、閉店間際で他の客はいない。
人違いじゃないかな?
その旨を伝えようとしたら、男の胸ポケットに目が止まった。
眼鏡のつるが片方、ポケットから出ている。
ちらりと見えるレンズには濃い色が付いている。
僕は男の顔を見上げた。
この男がサングラスをかけると……。
頭の中でモンタージュを組み立てて出た結論は──。
夕方のサングラスの男に似てる!
「お嬢様、どうされました?」
男がレジのほうへ身を乗り出したので、僕は咄嗟に身を引いた。
男は思い詰めたような表情で、僕を見ている。
夕方しくじってるし、まさか、ここで僕を殺す気じゃ!?
僕が悲鳴を上げそうになった時、男の肩を平太が叩いた。
「お客さん、何のご用ですか?」
男は振り向き、平太を見た。
「いえ……、このお嬢さんにちょっと用がありまして」
男がスーツの下に手を滑らせた。
これは!
拳銃かナイフを出すつもり!?
邪魔者は消すつもりだ!
「平太逃げて!」
僕は叫んだ。
その声で店のみんなが僕に注目した。
平太はきょとんとした顔で僕を見ている。
男も同じような表情だ。
そして、平太の手には、男から差し出された──、
名刺が乗っていた。
「名刺から逃げるのかよ、俺?」
「いや……、見知らぬおじさんから物もらっちゃいけない、って言わない?」
我ながら苦しい言い訳だ。
耳まで赤くなりそうだ。
他の客がいなかったのが、不幸中の幸いだった。
「お前、この間の事故で頭もぶつけたんじゃないか?」
平太の言葉に、僕は、「へへっ」と笑って誤魔化し、
「ところで、そのおじさんはどなた?」と名刺をのぞきこんだ。
「新橋興信所の、さえじまさん?」
平太が名刺の名前を読み上げた。
「はい、私、新橋興信所の冴島と申します」
男が頭を下げた。かなり気合いの入ったお辞儀で、僕と平太も思わず頭を下げた。
「僕に何の用ですか?」と冴島さんに訊いた。
「僕?」
冴島さんは眉間に皺を寄せ、怪訝な顔をした。
あっ、いけない!
さっき、凪沙さんに男言葉を禁止されたばかりだった。
「それで、私に何のご用でしょうか?」
僕が言い直すと、横で平太がくすくすと笑った。
なんだか、やりにくいなあ。
「実は私、ある方に頼まれて、お嬢さんをお捜ししていたのです」
それを聞いた途端、平太が、
「母ちゃん!」と凪沙さんを呼んだが、すぐそこに彼女も平吉さんも来ていた。
「私、この子の保護者で仁科凪沙と申します。あちらでお話をうかがいましょう」
凪沙さんは平太から名刺を取り上げ、男にテーブルを指し示した。
「それで、どなたがこの子をお捜しなのですか?」
僕の横に座る凪沙さんは、相手の素性を探るような目で冴島さんを見ている。
冴島さんは背筋を伸ばし、それに答える。
「申し訳ありませんが、クライアントの名前は今の段階ではお教えすることはできません」
「それは困りました。相手がわからないのでは、こちらもあなたを信用する訳にはいきません」
軽く頭を下げる冴島さんに、凪沙さんははっきりと言った。
「お気持ちはわかります。しかし、こちらも守秘義務がありますので、何卒ご容赦ください」
冴島さんはまた頭を垂れた。
「母ちゃん、まあ、いいじゃん。とりあえず話を聞こうよ。香の素性がわかるかもしれないんだし」「そうだぞ、凪沙。これは願ってもない機会かもしれない」
テーブルの横に丸椅子を並べた仁科家の男二人が横から口を挟んだ。
「今、何と言われました? このお嬢さんの名前を?」
冴島さんが平太に訊ねた。
「香だけど」
「かおるさん?」
「そう、こいつの名前は日比野香だよ」
冴島さんが驚いたような顔で僕に向き直った。
「お嬢様! その名前は間違いありませんか?」
「はい、僕……、いや、私の名前は日比野香です」
冴島さんは難しい顔で、何かを考えているようだった。
しばらくして、冴島さんは
「記憶喪失なのですね?」と僕に訊いた。
「あら、ご存じなんですか?」と凪沙さんが僕より先に訊き返した。
「いえ、名前が違っているので、そうじゃないかと思っただけです」
「それでも、顧客の名前は教えていただけないのですよね? それが、この子の本当の名前かもしれないのに」
凪沙さんは厳しい表情で冴島さんを睨んだ。
「申し訳ありませんが、今は無理です」
苦々しい表情で冴島さんは首を振った。
「でしたら、今日のところはお引き取りを」
凪沙さんは立ち上がった。
「ちょっとお待ちください。もう少しお話をお願いできませんか?」
冴島さんが引き止めた。
「もう閉店です。この子の本当の名前を教えていただけるよう、クライアントの方にお伝えください。そうしたら、お話をうかがいましょう」
僕は黙って、二人のやりとりを聞いていた。
冴島さんの顔もじっくり眺めたが、夕方のサングラスの男に似てるというだけで、その他の記憶はない。
冴島さんはお客さんに依頼されて僕を捜索しているだけなので、僕は彼を知らなくて当然のようだ。
人捜しとかやるのを興信所って言うんだ。
冴島さんは、つまり探偵ってことかな?
そういえば風貌もそれっぽい感じがする。
人を見る目もどこか鋭いし。
僕が観察していると、冴島さんは諦めたのか、腰を上げた。
「じゃあ、今日のところは失礼します。大変お騒がせしました」
冴島さんを見送り、僕は扉までついていった。
扉を開けかけた時、冴島さんが呟くのが聞こえた。
「あと一人見つけないと……」
この男がサングラスの男だとしたら、一人はおそらく五両君なのだろう。
それで、もう一人が僕。
共通点を考えれば、あと一人は──。
「もう一人は九条院家にいます」
僕の言葉に、店を出た冴島さんが足を止めた。
「知っているのですか? もう一人の記憶喪失者を?」
やっぱり、そうだった。
僕はうなずく。
「その方はどちらに?」
「九条院家です」
冴島さんが手で顔を覆い、
「灯台下暗しとはこのことか」と呟き、含み笑いをした。
「なんでしたら、僕が三人を明日ここに集めますけど」
「そんなことできるのですか?」
冴島さんが僕の肩を掴んだ。
店の中から誰か見てるかもしれないので、すぐに身をよじりその手を払った。
「あっ、すみません……」
冴島さんがおずおずと手を引っこめる。
「できます。明日三人をここに集めたらお呼びしますから、連絡先を教えてください」
冴島さんが電話番号を告げたので、僕はそれを記憶した。
「とりあえず、明日三人でここに集合します。その後にみんなで別の場所で落ち合いましょう」
「わかりました」
冴島さんは大きくうなずいた。
「じゃあ、明日」
去っていく冴島さんに手を挙げた。
ついに現れた僕たち三人の過去への手がかり。
果たして僕の正体は何者なのだろう?
そして、僕たち三人の繋がりは何なのだろうか?
期待と不安が入り混じった気持ちで、僕は夜空を仰いだ。




