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九条院家の存亡(旧バージョン)  作者: 天川一三
2011年前編
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サングラスの男

 お嬢様だって? 僕が?


 僕は自分の周りを見回した。

 レジ周辺にいるのは僕だけ、というか、閉店間際で他の客はいない。


 人違いじゃないかな?


 その旨を伝えようとしたら、男の胸ポケットに目が止まった。

 眼鏡のつるが片方、ポケットから出ている。

 ちらりと見えるレンズには濃い色が付いている。

 僕は男の顔を見上げた。

 この男がサングラスをかけると……。

 頭の中でモンタージュを組み立てて出た結論は──。

 夕方のサングラスの男に似てる!


「お嬢様、どうされました?」

 男がレジのほうへ身を乗り出したので、僕は咄嗟に身を引いた。

 男は思い詰めたような表情で、僕を見ている。

 夕方しくじってるし、まさか、ここで僕を殺す気じゃ!?

 僕が悲鳴を上げそうになった時、男の肩を平太が叩いた。


「お客さん、何のご用ですか?」

 男は振り向き、平太を見た。

「いえ……、このお嬢さんにちょっと用がありまして」

 男がスーツの下に手を滑らせた。

 これは!

 拳銃かナイフを出すつもり!?

 邪魔者は消すつもりだ!


「平太逃げて!」

 僕は叫んだ。

 その声で店のみんなが僕に注目した。


 平太はきょとんとした顔で僕を見ている。

 男も同じような表情だ。

 そして、平太の手には、男から差し出された──、

 名刺が乗っていた。


「名刺から逃げるのかよ、俺?」

「いや……、見知らぬおじさんから物もらっちゃいけない、って言わない?」

 我ながら苦しい言い訳だ。

 耳まで赤くなりそうだ。

 他の客がいなかったのが、不幸中の幸いだった。


「お前、この間の事故で頭もぶつけたんじゃないか?」

 平太の言葉に、僕は、「へへっ」と笑って誤魔化し、

「ところで、そのおじさんはどなた?」と名刺をのぞきこんだ。

「新橋興信所の、さえじまさん?」

 平太が名刺の名前を読み上げた。

「はい、私、新橋興信所の冴島と申します」

 男が頭を下げた。かなり気合いの入ったお辞儀で、僕と平太も思わず頭を下げた。

「僕に何の用ですか?」と冴島さんに訊いた。

「僕?」

 冴島さんは眉間に皺を寄せ、怪訝な顔をした。


 あっ、いけない!

 さっき、凪沙さんに男言葉を禁止されたばかりだった。

「それで、私に何のご用でしょうか?」

 僕が言い直すと、横で平太がくすくすと笑った。

 なんだか、やりにくいなあ。

「実は私、ある方に頼まれて、お嬢さんをお捜ししていたのです」

 それを聞いた途端、平太が、

「母ちゃん!」と凪沙さんを呼んだが、すぐそこに彼女も平吉さんも来ていた。

「私、この子の保護者で仁科凪沙と申します。あちらでお話をうかがいましょう」

 凪沙さんは平太から名刺を取り上げ、男にテーブルを指し示した。


「それで、どなたがこの子をお捜しなのですか?」

 僕の横に座る凪沙さんは、相手の素性を探るような目で冴島さんを見ている。

 冴島さんは背筋を伸ばし、それに答える。

「申し訳ありませんが、クライアントの名前は今の段階ではお教えすることはできません」

「それは困りました。相手がわからないのでは、こちらもあなたを信用する訳にはいきません」

 軽く頭を下げる冴島さんに、凪沙さんははっきりと言った。

「お気持ちはわかります。しかし、こちらも守秘義務がありますので、何卒ご容赦ください」

 冴島さんはまた頭を垂れた。


「母ちゃん、まあ、いいじゃん。とりあえず話を聞こうよ。香の素性がわかるかもしれないんだし」「そうだぞ、凪沙。これは願ってもない機会かもしれない」

 テーブルの横に丸椅子を並べた仁科家の男二人が横から口を挟んだ。

「今、何と言われました? このお嬢さんの名前を?」

 冴島さんが平太に訊ねた。

「香だけど」

「かおるさん?」

「そう、こいつの名前は日比野香だよ」

 冴島さんが驚いたような顔で僕に向き直った。

「お嬢様! その名前は間違いありませんか?」

「はい、僕……、いや、私の名前は日比野香です」

 冴島さんは難しい顔で、何かを考えているようだった。


 しばらくして、冴島さんは

「記憶喪失なのですね?」と僕に訊いた。

「あら、ご存じなんですか?」と凪沙さんが僕より先に訊き返した。

「いえ、名前が違っているので、そうじゃないかと思っただけです」

「それでも、顧客の名前は教えていただけないのですよね? それが、この子の本当の名前かもしれないのに」

 凪沙さんは厳しい表情で冴島さんを睨んだ。

「申し訳ありませんが、今は無理です」

 苦々しい表情で冴島さんは首を振った。 

「でしたら、今日のところはお引き取りを」

 凪沙さんは立ち上がった。

「ちょっとお待ちください。もう少しお話をお願いできませんか?」

 冴島さんが引き止めた。

「もう閉店です。この子の本当の名前を教えていただけるよう、クライアントの方にお伝えください。そうしたら、お話をうかがいましょう」


 僕は黙って、二人のやりとりを聞いていた。

 冴島さんの顔もじっくり眺めたが、夕方のサングラスの男に似てるというだけで、その他の記憶はない。

 冴島さんはお客さんに依頼されて僕を捜索しているだけなので、僕は彼を知らなくて当然のようだ。

 人捜しとかやるのを興信所って言うんだ。

 冴島さんは、つまり探偵ってことかな?

 そういえば風貌もそれっぽい感じがする。

 人を見る目もどこか鋭いし。


 僕が観察していると、冴島さんは諦めたのか、腰を上げた。

「じゃあ、今日のところは失礼します。大変お騒がせしました」

 冴島さんを見送り、僕は扉までついていった。

 扉を開けかけた時、冴島さんが呟くのが聞こえた。

「あと一人見つけないと……」


 この男がサングラスの男だとしたら、一人はおそらく五両君なのだろう。

 それで、もう一人が僕。

 共通点を考えれば、あと一人は──。


「もう一人は九条院家にいます」

 僕の言葉に、店を出た冴島さんが足を止めた。

「知っているのですか? もう一人の記憶喪失者を?」


 やっぱり、そうだった。

 僕はうなずく。


「その方はどちらに?」

「九条院家です」

 冴島さんが手で顔を覆い、

「灯台下暗しとはこのことか」と呟き、含み笑いをした。


「なんでしたら、僕が三人を明日ここに集めますけど」

「そんなことできるのですか?」

 冴島さんが僕の肩を掴んだ。

 店の中から誰か見てるかもしれないので、すぐに身をよじりその手を払った。

「あっ、すみません……」

 冴島さんがおずおずと手を引っこめる。

「できます。明日三人をここに集めたらお呼びしますから、連絡先を教えてください」

 冴島さんが電話番号を告げたので、僕はそれを記憶した。


「とりあえず、明日三人でここに集合します。その後にみんなで別の場所で落ち合いましょう」

「わかりました」

 冴島さんは大きくうなずいた。

「じゃあ、明日」

 去っていく冴島さんに手を挙げた。


 ついに現れた僕たち三人の過去への手がかり。

 果たして僕の正体は何者なのだろう?

 そして、僕たち三人の繋がりは何なのだろうか?

 期待と不安が入り混じった気持ちで、僕は夜空を仰いだ。


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