変な転校生
翌朝、平太と一緒に学校に向かった。
朝の仁科家では、交わしたのは挨拶くらいで、特にしゃべり方を無理に変えるような会話もなく、いつもどおりだった。
凪沙さんが、なんとなく僕の行動を監視しているような気がしたけど。
「香さ、学校でも男言葉でしゃべるのか?」
横を歩く平太が声をかけてきた。
「うん。そのつもりだよ」
「去年は記憶喪失で一時的に頭がどうかなっちゃった、ってことでみんな納得してたけど、今度は大丈夫かな?」
「また、僕の頭がおかしくなった、って思われるかもね」
「いいのか? それで」
平太が不安げに僕を見下ろす。
僕は平太に向き直り、笑う。
「これが本来の僕だからね。随分と気が楽になったよ。本当は制服も男子のを着たいくらいさ」
平太は苦い物を噛みつぶしたように嫌そうな顔をした。
「げっ、それだけはマジ、やめてくれ」
ふふふ、と彼に微笑みながら、後ろ手にカバンを持ち、数歩バックステップで歩いた。
そこへ「危ない!」と平太の声が飛ぶ。
えっ、と思った時には、どんと肩に衝撃──、と同時に「あ、痛!」と誰かが声を上げた。
慌てて振り返ると、制服姿の男子がつんのめって、歩道に転んでいた。
制服はうちの高校の詰め襟でなく、紺のブレザーだった。
その男子生徒は膝をさすりながら立ち上がり、凄い形相で僕の肩を突いてきた。
「気をつけろ! どこに目を付けてんだ!」
よろけそうになるのを踏みとどまり、その男子を見る。
どことなくあどけない顔つきの、僕より少しだけ背の高い男子だった。
吠え猛る犬のような凶暴な形相が、その顔にどこか不釣り合いな気がした。
「ごめんなさい!」
慌てて頭を下げて謝った。
「ほんと、朝っぱらから災難だぜ」
男子はまだ憎々しげにぼやいていたが、僕が顔を上げると、
「おっ、お前、良く見るとなかなか可愛いじゃん」と珍しい物でも見つけたように表情がころりと変わった。
「謝ったし、もう行こう」平太が僕の手を引いて、早足で歩き始める。
僕は小走りで彼に従う。
その後を、男子がまたついてきた。
「お前、御殿山高校の生徒だろ。俺も今日から、そこに転入なんだ。名前教えろよ」
「無視だよ。無視。後ろ見んな」と平太が囁く。
僕は平太の言うがまま、うつむくようにして、男子のほうを見ないようにした。
それでも、その男子はしつこく僕につきまとった。
「お! 無視かよ。まあ、いいや。ぜってー、クラスと名前つきとめるからよ」
なんて、ねちっこいんだ、と僕が思っていると、平太が立ち止まり、
「しつこいぞ、お前! 朝からうざいんだよ」と正面切って、男子に言った。
「なんだ! お前こそよ!」と男子は平太の胸ぐらを掴む。
二人は数秒ほど睨み合った。
が、男子はすぐに手を放し、「まあ、いいか。今日は俺の記念すべき転校初日だしな」と片眉を上げ、大袈裟に肩をすくめた。
見ていてそれは、どこか板についてない演技のようでぎこちなかった。
平太は男子をまだ睨んでいたが、僕の前で喧嘩をするのをためらわれたのか、掴まれた胸もとをはらい、また僕の手を引いて歩き始めた。
今度は男子はつきまとってこなかった。ズボンのポケットに両手を突っこんで、後ろからじっと僕たちを見ていた。
なんか気味の悪い男子だ、と思ったが、なんとなく心に引っかかるものを感じた。
あの顔──、どこかで見たことがあるような気がする。
思い出そうとしたが、そうするにも、ちょっと前まで記憶喪失だった身だ。
僕はすぐにあきらめた。
「いやな野郎が転校してきたな」
平太が忌々しげにつぶやく。
「そ、そうだね」と生返事で答える僕。
「いいか、関わり合いになるなよ」
「うん。注意するよ」
なんだか、また災難が一つ増えたような気がする。
朝からちょっとだけ憂鬱になってきた。
何か冷たいものが、手の甲に触れたような気がして、空を見上げた。
灰色の空から落ちてくるしずくが、僕の額をぽつぽつと濡らす。
「いけね! 降りだした。急ごう」と平太が強く手を引く。
僕と平太は走って校門へと向かった。




