昼休みの三つどもえ
教室に入り、どこかいつもと違う感じがしたら、天瀬さんが僕の席に座っていた……。
一難去って、また一難とはこの事か。
平太は天瀬さんに「おはよ」と挨拶し、隣の自分の席につく。
まあ、彼は昨日の僕と天瀬さんの事情を知らないので、今の状況が変なことだと気づかないのも無理はない。
僕が脇に立つと、天瀬さんはおもむろに立ち上がり、「おはよう、香」と律儀に頭を下げた。
さらさらの黒髪に付けられた朱色の髪留めが、ぴょこんと踊った。
「お……、おはよう」と僕もつられて頭を下げた。
朝から何の用だろう? とちょっとドキドキしながら天瀬さんを見ていると、「それではまた後ほど」とにっこりと笑い、自分の席に戻っていった。
彼女が自分の席につくのを見届けて、僕も座った。
「天瀬、どうしたの?」と平太が訊いてくる。
「さあ?」と僕は首を傾げた。
どういうつもりでここにいたのか、僕のほうこそ訊きたいくらいだ。
予鈴が鳴りホームルームが始まる前、廊下側の最後尾席が空いているのに気づいた。
最初から余りの席だったが、すっぽりと主のない、その椅子を見ているとなんとなく嫌な予感がしてきた。
担任の早川先生が入ってきた。
若くてどこか熱血教師っぽい風貌の彼の後、素直そうな男子生徒が少し遅れて姿を現した。
「げっ! マジかよ」と平太が露骨に嫌そうな顔をする。
黒板の前に立つ男子生徒は登校中に出くわした、あいつだったのだ。
だが、黙って立っている分には、人が良さそうな少年に見える。
先ほどの出来事は人違いじゃないか、と思えるほどだ。
早川先生が黒板に名前を書く。
五両 敦
「彼は、ごりょうあつし君といって、今日からこのクラスで一緒に勉強することになった。まあ、新年度も始業して間もないから、最初からいたのと変わらないけどな。じゃあ、五両君から、なにか一言」
早川先生は彼の背を手で押した。
五両君は転校初日なのにおどおどすることもなく、教室をゆっくりと見回し始めた。
その途中、どうやら僕を見つけたようで、一瞬だけ口もとを緩めたように見えたが、すぐに表情を戻し、視線を次の列へと移した。
たっぷりと時間をかけ全員を見回した後、「五両です。よろしく」とだけ言い、軽く頭を下げた。
前の席の井原さんが隣の女子に、「背は高くないけど、まあまあかな」と囁いているのが聞こえた。
その五両君は先生から席を指示され、カバンを手に廊下側のあの空席へと歩いている。
そして、席の座り心地を確かめるように身を少しよじった後、彼の視線が迷わず僕のほうを見た。
彼の姿を追っていた僕の視線ともろにぶつかる。
今度は彼は明らかに笑った。にやりと白い歯を見せて。
背筋に冷たいものが走り、僕は慌てて視線をそらした。
授業が始まり、五両君のことはなるべく見ないようにしよう、と心がけたのだが、朝も感じたように彼の姿にはどこか気になるものがあった。
あの顔、どこかで見たような──。
あの顔、絶対見覚えがある気がする──。
授業中、何度かちらりと五両君のほうを見たが、その度に彼と目が合った。
もしかして、ずっと僕のことを見てる?
視線が気になり、そわそわと落ち着かない感じで午前中の授業は終わった。
今日は弁当がないので、学食に行こうか、売店でパンを買おうかと悩んでいたら、五両君が猛然とこっちに近づいてきた。
それを見た平太が、「おい、早いとこ教室を出よう」と僕の右手を引っ張ると──。
「香に気安く触らないで!」
その平太の手をぴしゃりと誰かがはたいたと思ったら、天瀬さんだった。
そこへ、「おい、お前、俺と昼飯に行こうぜ」と五両君が僕の肩に手を乗せた。
その手を、また天瀬さんが無言ではたき落とす。
「なにすんだ、この女!」
五両君はもう朝と同様の喧嘩腰だ。
なんてキレやすい人なんだ。
平太、五両君、天瀬さんの三つどもえだ。
三人は互いの顔を睨み合っている。
僕はその真っ只中で、みんなの顔を交互に見回していたが──。
僕の困った顔を見て、平太がむんずと五両君の腕を掴み、
「五両、俺が学食案内してやるよ」と引きずるように連れていった。
五両君は「やめろよ、お前! 何すんだ」と抵抗していたが、背が高く体格もいい平太にはあらがえず、そのまま廊下に連行されていった。
天瀬さんは汚い物でも見るような目で、その様子を見送った後、
「男って野蛮で嫌ですね」と僕に同意を求めてきた。
「そうかな? 僕はそうは思わないけど」と何気なく答えた僕を、天瀬さんは「僕?」と口を開いたまま凝視している。
しまった! と最初は思ったが、今日から男言葉で通そうと考えた矢先だった。
今さら訂正することもないのだ。
開き直り、もう一度言った。
「僕は男は野蛮だとばかりは思わないよ」
天瀬さんは黙っている。
でも、ちょっと様子が変だ。
両手を胸の前で組み、目もなんだか輝いているような。
彼女の固まりようになんだか怖いような気味悪いような気がしてきて、僕は椅子に座ったまま後ずさりをした。
床と擦れた椅子が、踏みつけられた鳥の断末魔のような嫌な音を立てた。
天瀬さんの口が再び開く。
「香ってそういうキャラでしたの? 背は足りないような気はしますけど、香ならOKだと思います」と僕の両手を掴む。
彼女に手をいいように振られながら、僕は思った。
それって、どういうこと?
天瀬さんの後ろ、窓の外で雷が一つ鳴り響いた。




