第一話・北の暗雲
秋、十月。
シュヴスでは人事が行われ、臨時職だった指揮権保有官がなくなった。
代わりに、それらの官位にあった者達が正式に指揮官となった。
法務及び財務部長・イウリア=ハーヴェイ
財務部副部長・ライアン=ザウ
内務部長兼女官頭・マリファ=ノゥダス
領軍総指揮官(将軍)・ベレニセ=リュフュス
領主専任護衛官(令外官)・ロイ=ベル=サヘイラス
護衛官補佐(見習い)・リュト=ジェット
領主専任雑務官・ダニエル=ノゥダス
主要役職の任命、各役職の大量移動。
それらの混雑が終われば、穏やかな時間が訪れる。
領主以下の幹部級は、忙しいばかりだが。
領主エリーサと護衛官ロイのいざこざは、幹部(含む見習いと雑務官)達にとっては、暇つぶしだった。
※※※
ガシャンッ。
すでに慌てることもなくなった女官達が、静かに割れたグラスを片づける。正確には奴隷の少女が。
グラスを投げつけたフォーラは、整った眉を吊り上げて唇をかみしめる。
「リグジッドのことどころか、最近では会っても下さらない……ッ!」
それが誰のことか、女官達は分かっている。その理由も。
だが、誰も口には出さない。口にすれば、自分が消されるからだ。
「蛮族の小娘にはお会いになるのに!?」
蛮族の小娘というのは、ナティーシャのことだ。
ここ数ヶ月、フォーラは王太子のことでロナードと話そうとしているが、仕事を理由につっぱねられ続けていた。
だというのに、ナティーシャが話したいと言えばそれをあっさりと受け入れる。
あまりにも露骨な態度に、ロナードの内心はすぐにわかりそうなものだが、フォーラは自分のことしか見えていなかった。
この一ヶ月、フォーラは自室でワインを飲みながら暴力的に愚痴を吐くのが日課になっていた。
それを、部屋の隅で奴隷の少女は聞いていた。
奴隷である為に、誰にも気にとめられないのを理由に。
その瞳に、濃い侮蔑の色を宿しながら……。
第一妾妃フォーラ=セナ=ラフェダの生家、ラフェダ伯爵家は北の国境に接する領地を有している。
ディノールト王国ではなく、ガーロフ王国に接している。港を持たないが、通商路として栄えている。
ガーロフは内陸で山岳民族ダラヴが作った国。ラフェダ伯爵家は、隣接しているガーロフの貴族と親しくしている。その為、伯爵領ミルドにはガーロフの人が多く住んでいる。
奴隷なども多く『仕入れ』られる。
その経路で、少女はフォーラの下に来た。
ダラブ民族特有の朱色の瞳が、少女の生まれを明確にしていた。
親交があるラフェダ伯爵家出身のフォーラの下に、ガーロフの商人がやってくるのも珍しくはない。
中でも、王家とも交流のある商家がフォーラのお気に入りだった。正確には、その商家の名を背負ってやってくる商人が、だ。
「お久しゅうございます、フォーラ様」
「本当に。さぁ、もっとこっちにおいでなさい」
濃い朱色の瞳の青年は、にこやかにフォーラに近寄る。
フォーラは、美貌の青年にうっとりしたような視線を向けて、すり寄る。
「今日は、ご注文の品を……」
「まぁ……」
そっと差し出したのは、いくつもの形の違う小さな入れ物だ。
一つを手に取って中身を確かめたフォーラは、嬉しそうに笑う。
「いつも御贔屓にしていただいておりますので……」
袖から出した小さな袋をフォーラの手のひらに落として、にっこりと笑う。
「?」
「これはですね……」
肩に手を置いて引き寄せ、耳元に唇を近付けるようにして青年がささやく。
ささやかれた言葉に、フォーラは瞳を輝かせる。
今までの笑顔とは比べ物にならない。どこか、わずかに狂気をはらんでいるようにも見えた。
いくつかの会話を楽しんで、夕食をフォーラの好意でいただき、青年はそろそろと腰を浮かした。
だが、青年の腕に手を這わせてフォーラが引きとめる。
「……ねぇ」
「いかがされました?」
「私、コレを使ったことがないの。だから……」
「フォーラ様……」
媚びるような誘うような瞳を向けるフォーラに、青年は困ったような嬉しいようなあいまいな笑みを浮かべる。好意と欲情が、隠しきれないと言わんばかりに。
しばらくして、二人の姿が寝室に消える。
再び、青年が姿を現すのは日付も変わった深夜。一人で、離宮の裏にやってきた。
着崩した衣服をまとい、けだるげに前髪をかきあげて、一本の木の下で立ち止まる。
「……ずいぶん、お楽しみだったようね?アロルド」
「よしてくれ。あんなのを相手にさせられて、辟易してるんだ」
木の上にいる人物が、商人の青年をアロルドと呼んだ。それに、昼間の姿は嘘かのようにガラの悪い口調と態度で返す。
そこには、フォーラへの侮蔑が多分に込められていた。
「……というか、お前はなんでそんなんになってんだ?」
「どういう意味?」
「潜り込むのに、どうして奴隷だなんて偽ってんだよ」
「あぁ、それ?その方が都合が良いからよ。それに、血統主義で身分主義的な第一妾妃は、貴族出身者以外の女官はそばに置かないのよ」
「だったら……」
「ガーロフで、あたしに名前を貸す貴族はいないわ」
言いながら、木の上から降りてきたのは奴隷の少女だ。
アロルドと同じ色の瞳を皮肉気に煌かせて、うっすらと笑う。
少女の言葉に反論できなかったアロルドは、苦虫をかみつぶしたような表情で腕を組む。
事実だとその態度が肯定していた。
「まぁ、第三妾妃のところじゃなくて良かったわ」
「扱いは向こうの方が良いだろう?」
「確かにね。でも、第三妾妃は勘が良すぎるわ。扱いが良すぎて、情報がつかめないのよ。そもそも、第三妾妃のところは、あまり口数は多くないわ。それに、第二王子以外は王位に全く興味がないそうよ」
「それ、もう一人から?」
「えぇ。でも、もういないわ」
「ばれたか?」
「いいえ。ただ、故郷に帰されただけよ。第三妾妃が、私財で身分を買ってね」
「……つまり、わざわざ市民位に上げた奴隷を手放したのか?」
「そう。噂通り、お人好しな人物らしいわ」
「だが、それだけでは後宮で生きていけないだろう」
「そうね。頭が良くて勘が良いのは本当。だって、帰す時にそいつに言った言葉、なんだと思う?」
「?なんだ?」
「『他国よりも自国の内情を確かなものとするのが先決、と伝えておきなさい』、ですって」
「見透かされてるなぁ。見事に」
「王に言ってるかどうかは分からないけどね」
「その辺は、明日にでも俺が探っておく」
「任せたわ」
「………全く。少数民族出身の顔と体だけが取り柄の妾妃、と良く言えたな。あいつらは」
そう告げた面々を思い出して、アロルドはため息をつく。
少女はその様子にふふっと楽しそうに話す。
「?どうした?」
「ねぇ、アロルド。南方諸島にいる民族の中で、最も規模の小さいロアヌ一族が、自治領の領主をしていられるのはどうしてだと思う?」
アロルドの眉が寄り、首を傾げる。
それに少女はますます楽しそうに笑って、話し出す。
それは長く、古い話。
奴隷の少女が知っているはずのない、歴史。
南方諸島の民族が、特に人を見る目に長けるその理由……。




