01. 幼なじみが負けヒーローなんて認めません!
「ふぁ〜……」
体を起こし、ぐーっと伸びをする。昨日は徹夜で漫画を読んでいた。最近絶賛流行中の恋愛漫画――『王花恋』。
そのストーリーは、実に王道で、平民として生まれた主人公・アリアがその身に秘められた特別な力で人々を救い、やがて王族の一人と結ばれるというもの。
キャラクターは魅力的で展開も悪くないものの、ご都合主義感は否めない。なにより、この漫画のヒーロー役である男が個人的にあまり好みではなかった。
――人気なのも分かるんだけど、なんか腑に落ちないんだよなあ。
とはいえ、もちろん良かった部分もある。"推し"も出来たことだし。
まだ眠い目を擦り、体を起こす。つまらない現実の始まりに体が重く感じた。
「はあ……私の周りにも、イケメンが降ってこないかな〜」
そんな甘い想像を抱きながら、目を開け――
「……は?」
思わず、声が漏れた。
※※※※※
――ここは王立魔術学園。
王国の由緒ある貴族たちや、魔術に秀でた者だけが入学を許される、格式高い学院である。
王家の血を引く者や公爵家の令嬢など、国の未来を担うエリートたちが通うこの場所には、どこか煌びやかな雰囲気が漂っていた。中にはごく普通の平民もいるが、彼らもまた、優れた魔術の才能を認められたエリートなのだ。
「キャー!!!」
「ヴィオレッタ様よ!」
「おはようございますわ! 今日もとてもお美しいですわ!」
その中でも令嬢としても生徒としてもエリート中のエリート、さらにはトップクラスの美貌まで兼ね備えた、この学園の有名人。それが、この私――ヴィオレッタなのである。
「あら、ごきげんよう」
そう言って軽く手を振る。すると、周囲から面白いくらいの奇声が上がった。……なにこれ、アイドル?
周囲にはそれはそれは可愛らしい女の子たちが並び、我先にと私を教室へ案内してくれる。扉まで開けてもらい、私はただその中へ足を踏み入れ――
「うわあ!2-A組、まんまじゃない!」
思わず喜びの歓声を上げた。スキップをするかのような軽い足取りで教室内へ入り、ぐるりと辺りを見回す。
「あ、この黒板のイラストもある!」
興奮のあまり、ぽっけをごそごそと探り、スマホを取り出して写真を――
「……あ」
そこで、はっと我に返る。そうだ。ここにはスマホなんてないんだった。
――ヴィオレッタこと中山美沙は、なんと異世界転生していた。
それも昨日読んでいた恋愛漫画『王花恋』の世界に。
あり得ない……なんてことは、あり得ないのかもしれない。
今まさに体験しているこの感覚は、どう考えても現実そのものだった。朝に食べた食事の味も、肌に触れた感触も、漂う匂いも、感じる温度も、そのすべてが生きているとしか思えないほど鮮明に感じられる。
「……まあ、夢だとしても、それはそれでいいか」
これだけリアルな妄想ができる自分の頭の良さに、むしろ感謝したいくらいである。せっかく来たからには、思いっきりなりきって、この世界を堪能してやろうじゃない……!
――そう。
この世界で私がなりきっている人物ヴィオレッタは、『王花恋』においてヒーロー役である王家の男の婚約者として登場する公爵家の令嬢だ。
そして同時に、主人公アリアと男の仲を引き裂こうとする――いわゆる悪役令嬢と呼ばれる立場のキャラクターでもある。
容姿は誰もが認めるほど美しいが、その中身は最悪極まりない。傲慢で、性格が悪く、平民であるアリアを見下しては自分の好きな人から遠ざけようと嫌がらせを繰り返す。まさに、絵に描いたような悪役令嬢だった。
「おはようございますわ、レオンハルト様」
「…ああ、おはよう。ヴィオレッタ」
整えられた金髪に、切れ長の瞳がこちらを向く。その美貌は、あらゆるものを屈服させるほどの魔力を持っているかのようだった。真紅のように美しい赤い瞳が、真っ直ぐに私を映し出す。
レオンハルト・アレクシス・ローゼン
彼こそがまさに恋愛漫画『王花恋』におけるメインキャラクターであり、恐らく主人公アリアと結ばれることになる、いわゆる「ヒーロー」という立場の男だ。
王族の血縁者という身分に加え騎士としても優秀で、この学園でも知らない者はいないほどの人気者である。性格はやや傲慢で、プライドも高い。けれど、それも裏を返せば、自分の意思を貫き人を引っ張っていく強さがあるということなのだろう。
――まあ、要するに俺様系王子。それが、レオンハルトという男だった。
そして、そんな彼の婚約者こそが私が今なりきっているヴィオレッタなのである。
「きゃー!」
「ヴィオレッタ様とレオンハルト様、どちらも直視できないくらい美しい……!」
「あの二人、本当に運命よね」
「マジで推しカプ……!」
挨拶を交わしただけだというのに、クラス中が沸き立つ。
確かにこうして間近で見ると分かるが、見れば見るほど、このレオンハルトという男は「王子様」という言葉をそのまま人の姿にしたような美貌をしている。漫画で見るより、遥かに美しい。
その姿にうっかりガン見しそうになるのを何とか堪えながら、私は必死にヴィオレッタを演じ続けていた。
(顔はいいのよね、顔は)
逆に言えば顔だけなのである、この男。
『王花恋』を読んでいて、私がレオンハルトに惹かれた部分は容姿だけだった。
それ以外の、まるで小学生男子かのように好きな子に冷たく当たる態度も、謙虚さの欠けらも無い自己中な言動も、何もかもがいけ好かない。
(でも作中でも現実世界でも、"人気キャラ"だったのよね…)
私にはどうしてこんな男が人気なのか全く理解できなかった。それに、こんな男よりもっと素敵な――
「お、おはよう」
可愛らしい声に思考が中断され、その声の主に目を向けて、思わず固まった。
自信なさげにもじもじとして、それでも真っ直ぐこちらを見つめる少女。幼さの残る顔立ちにはあどけなさが滲み、その表情からはわずかな緊張が見て取れた。
けれど、その見た目に反して、彼女の中には簡単には折れない強い精神が宿っていることを、私は知っている。そんな彼女の姿に、ヒーローも読者も惹かれていくのだから。
――この目の前の少女こそ『王花恋』における主人公であり、ヒロイン。その名を、アリアという。
(待って!???!?!、アリアまじ!?!本物!?!!??え、可愛すぎ抱きしめたい。ちょっと不安そうなのも、それなのに頑張って私に声かけるのも健気で良い子すぎ偉い!!!)
脳内でお祭り騒ぎが止まらない私を置いて、いつの間にかクラスは静まり返っていた。
周りからはじっと観察するような目が向けられている。
(あぁ、そうか…)
――アリアは、クラス内で孤立していた。そして、その理由は大きく二つ存在する。
ひとつは、彼女が転校生であること。
この魔術学園は、貴族――いわゆるお嬢様やお坊ちゃまと呼ばれるような身分の者たちが多く通う名門校だ。アリアのように魔術の才を認められた特待生が入学することも珍しくはない。
とはいえ、これまで貴族社会とは縁のなかった彼女が、そう簡単にその輪へ馴染めるはずもなかった。
そして、もうひとつの理由。 それは、私ことヴィオレッタの存在である。
ヴィオレッタは、学園内でもトップクラスの家柄を持つ誰もが知るお嬢様だ。
そんな彼女の目の敵にされてしまっているアリアに、わざわざヴィオレッタと敵対してまで近づこうとする者は少なかった。
「……えっと、私の顔に何かついてる…?」
アリアが不審そうに尋ねる。
……おっと、いけない。ついつい見すぎてしまった。
危うく「サインください」などと言い出すところだったが、生憎今の私はヴィオレッタである。下手に今の立ち位置や距離感を壊すわけにはいかない。
「あら、自意識過剰なんじゃない?」
髪を払い、鼻で笑う。
ヴィオレッタらしい仕草を意識してそう言うと、アリアは少し目を見開き、恥ずかしそうに俯いた。
(うわぁ...本物だ……!)
原作通りの反応に興奮する気持ちと、目の前の少女を傷つけてしまったという罪悪感。その二つに板挟みになっていると、
「どうしたの?二人とも」
初めて聞く声が割り込んできた。
その声に私の心臓は面白いくらいに跳ね上がる。ドクドクと血流が勢いを増し、顔に熱が集まっていくのを感じる。
穏やかな声色に、アリアを守るように立つその姿。そんな人物は、『王花恋』において一人しかいない。
「……カイル」
――カイル・バルハイン。
彼はこちらを向いてにっこりと穏やかに微笑んだ。
(やばい。本物だ。本物のカイルが、目の前にいる)
「早くしないと次の授業が始まるよ」
「っ、え、ええ。そ、そうだったわね」
震え声になりながら、私は慌てて自身の机に戻った。
「さあ、行こうアリア」
そう言い、カイルは立ち尽くしていたアリアの手を引いて教室を出ていく。そんな2人の後ろ姿を見て、私は呆然と立ち尽くすしか無かった。
――未だに心臓の鼓動が鳴り止まない。
声を聞いたのは初めてだが、漫画で読んでいたときと何一つ変わらない。仕草も、表情も、アリアへの接し方も、全部、私の知っているカイルがそこにいた。
「...はあ、死ぬ」
『王恋歌』の登場人物の一人であるカイルはアリアの幼なじみであり、彼女が心を許している数少ない人物の一人である。
誰よりも彼女を気にかけており、いつも自分よりアリアを優先し、その事をアリア本人から指摘されるほど。優しくて、健気で、好きな人の幸せを自分よりも優先してしまう、それがカイルという人物なのだ。
――ああ。好きだ。
そう、カイルは『王恋歌』における、私の一番の推しであった。
「……おい、行くぞ」
「え、ええ」
なんだ、いたんだ。
相変わらず無愛想で、素っ気ない。少しは先ほどのカイルの態度を見習ってほしいものである。
(はあ……あの二人、早くくっつかないかな)
『王花恋』では、最終的に誰と結ばれるのかはまだ明らかになっていない。けれど、一巻の表紙を飾っているのはレオンハルトであり、物語も主にレオンハルトとアリアの二人を軸に進んでいる。
アリアはレオンハルトとカイル、二人の少年から好意を寄せられている、ということになる本人はまだ自分の恋心に気付いていないものの、二人の接し方は対照的だった。
自分の好意を隠し、あくまで友人としてアリアに寄り添うカイル。対してレオンハルトは、積極的にアリアと絡みに行き、そのたびに良くも悪くも彼女を振り回している。
(明らかに、レオンハルトとくっつく流れなのよね……)
一巻の表紙を飾っているのもそうだし、アリアの感情を揺さぶるのも彼であることが多い。
(絶対カイルの方がいいのに! というか、幼なじみよ? アリアももっとカイルの男としての良さに気付きなさいよ!)
幼なじみ枠というのは、どうしてこうも報われないことが多いのだろう。ずっと相手のそばにいて、相手の幸せを願って、自分の恋心さえ胸の奥にしまっている。その健気さが仇となって、最終的には現れたばかりの男にかっさらわれるのだ。
先ほどの二人を思い返しても、誰がアリアの隣に相応しいかなんて明白なのに。
(……さっきの二人、尊かったな)
カイルがアリアに向けた、あの優しい眼差し。アリアもまた、そんなカイルの言葉には自然と心を許していた。あれはもう、どう考えても両想いではないか。
……いや、待て。
ふと、ある考えが頭をよぎる。
私は今、ヴィオレッタだ。『王花恋』において、ヴィオレッタはアリアの恋路を邪魔する悪役であり、本来ならばレオンハルトの婚約者という立場にいる。
つまり――
(今の立場を利用すれば、アリアとカイルをくっつけられるんじゃない?)
レオンハルトをアリアから遠ざける。そして、その間にカイルとアリアの距離を縮めさせる。
いくらレオンハルトが王族で、騎士としてどれほど優秀だろうと、アリアを見てきた年月ではカイルには敵わない。
幼い頃から彼女のそばにいたのは、カイルなのだから。
(そうよ!)
私は拳を握りしめた。
幼なじみが負けるなんて、許さない。悪役令嬢だろうが何だろうが、この立場、使えるものは全部使ってやる。
――私が必ず、カイルを勝ちヒーローにしてみせる!




