第七十六話 ルクス侯爵
第七十六話 ルクス侯爵
「ボクたち、これからどうなるんだろうね」
城内の応接室で、ミレーヌが不安そうに僕へ話しかけてきた。
僕は出された果物のジュースを一口飲み、ミレーヌに微笑む。
「どうやら敵だとは思われていないみたいだから、大丈夫だと思うよ」
「それなら、ボク安心したよ」
ミレーヌが小さく息を吐く。
だけど、僕たちを取り巻く空気は、まだ完全に安全とは言えなかった。
応接室といっても、窓の外からは遠くの怒号や鐘の音が聞こえてくる。
壁は厚く、調度品も整っているのに、この部屋の外が戦場であることを忘れさせてはくれなかった。
「どうだかね」
僕とミレーヌの会話を聞いていたセシルさんが、椅子の背にもたれながら肩をすくめた。
「お偉いさん達にとっては、あたい達なんて信用できない風来坊だからね。今だって軟禁されてるようなもんじゃないさ」
世間の辛酸を舐めたセシルさんらしい言い方だ。
「いきなりやってきて信頼しろと言う方が無理だろう」
シグレさんが落ち着いた声で言う。
「それはそうだけどさ。このジュースが毒入りじゃないから大丈夫かな、程度だよ」
「なるようになるんじゃないか?」
クヌートは果物ジュースの入った杯を眺めながら、いつもの調子で言った。
「いざとなったら、金目の物を拝借して空を飛んで逃げるさ」
「クヌート兄さま……」
フェリシアが困ったように兄を見る。
こんな状況でも、クヌートは金銭面を忘れないらしい。
ルクス侯爵がそれなりの報酬を払ってくれることを、僕は切実に願った。
「あの人たちに猜疑心があるのは確かです」
フェリシアが静かに言った。
「でも、敵対するような心の精霊は見えませんでした。すぐに害するつもりはないと思います」
クヌートと同じように精霊魔法が使えるフェリシアがそう言うなら、少しは安心していいのかもしれない。
僕達が一応の歓待を受けていると、扉が静かにノックされた。
応接室に入ってきたのは、先ほど手紙を届けに行ったカチュアさんだった。
青い鎧にはまだ煤がついている。
それでも彼女は騎士らしく背筋を伸ばし、僕達に恭しく一礼した。
普段そんな礼を向けられる経験のない僕達は、少し戸惑ってしまった。
けれどシグレさんだけは、片手を胸に当てて完璧な答礼を返す。
こういう時、シグレさんからは時々、育ちの良さのようなものを感じる。
「ルクス侯爵閣下が、特別に感謝の言葉をおかけになります」
カチュアさんは静かに告げた。
「非公式の会見ですので、こちらへお越しになられました」
非公式の会見。
つまり、重臣達の目に触れないところで会うということだろう。
侯爵家の重臣達の前で、下賤な冒険者と直接会うわけにもいかない。
そういうことなのかもしれない。
僕達は慌てて立ち上がる。
やがて、護衛の騎士達に守られて、一人の少女が応接室へ入ってきた。
ドレスを着た、まだ幼さの残る少女だった。
僕よりずっと年下に見える。
けれど、護衛達に囲まれて歩くその姿には、確かに領主としての重みがあった。
薄い金色の髪を丁寧に結い、淡い色のドレスを身にまとっている。
その小さな肩に、この燃える城と、多くの人の命が乗せられているのだと思うと、胸が少し痛んだ。
この世界に来てから、僕は最低限の作法を習っている。
というより、自然に身についていた。
フレーベル国では、高位の貴族に対して両膝を地面につけ、右手を胸元に当てて膝まずく。
僕達はそろってその礼を取った。
意外なことに、クヌートとフェリシアも同じように膝をつく。
てっきり、人間の作法になど従わないと言うのかと思っていた。
でもこれも、ハーフエルフとして生きてきた二人の処世術なのだろう。
相手を無駄に怒らせない。
それだけでも、生きるためには必要なことなのかもしれない。
少女は僕達を見渡し、少し緊張した面持ちで口を開いた。
「役目大儀です。私が国王陛下よりルクス侯爵領を封じられた、ティニー・ルクス=サザー=カリアです」
相変わらず、貴族の名前は長い。
たぶん、サザー家の血を引き、カリアという家名も持つ、ルクス侯爵領の領主ティニー。
そう理解しておけばいいのだろう。
この国では、女性でも爵位を継ぐことがある。
ただ、実際にこうして見ると不思議な感じがした。
女侯爵と呼ぶのではなく、彼女も普通に侯爵なのだ。
「第五砦守備隊からの上申書を、わざわざ届けてくれたことを感謝いたしますわ」
ティニー侯爵はそう言うと、年相応の柔らかい笑みを見せた。
その瞬間、カチュアさんが小さく咳払いをする。
ティニー侯爵は、慌てたように表情を整えた。
高貴な身分の人は、公式の場はもちろん、こんな非公式の場でさえ素直に笑うことも難しいのだろうか。
年相応に笑うと、本当にただの可愛い女の子に見える。
それなのに、彼女は侯爵として振る舞わなければならない。
不憫だと思った。
「今回の卿らの働きに対し、閣下より報奨金が下賜される。受け取るがよい」
カチュアさんがそう言うと、控えていた騎士が彫刻の施された小さな箱を前へ持ってきた。
箱の中には、金貨の入った革袋が納められている。
それが僕に手渡された瞬間、後ろにいるクヌートの気配が少しだけ明るくなった気がした。
少なからぬ報酬だ。
これなら、クヌートも文句は言わないだろう。
僕は革袋の重みを感じながら、一歩前に出た。
「侯爵閣下に、ご報告したい事があります」
「ボクたち、これからどうなるんだろうね」
城内の応接室で、ミレーヌが不安そうに僕へ話しかけてきた。
僕は出された果物のジュースを一口飲み、ミレーヌに微笑む。
「どうやら敵だとは思われていないみたいだから、大丈夫だと思うよ」
「それなら、ボク安心したよ」
ミレーヌが小さく息を吐く。
だけど、僕たちを取り巻く空気は、まだ完全に安全とは言えなかった。
応接室といっても、窓の外からは遠くの怒号や鐘の音が聞こえてくる。
壁は厚く、調度品も整っているのに、この部屋の外が戦場であることを忘れさせてはくれなかった。
「どうだかね」
僕とミレーヌの会話を聞いていたセシルさんが、椅子の背にもたれながら肩をすくめた。
「お偉いさん達にとっては、あたい達なんて信用できない風来坊だからね。今だって軟禁されてるようなもんじゃないさ」
世間の辛酸を舐めたセシルさんらしい言い方だ。
「いきなりやってきて信頼しろと言う方が無理だろう」
シグレさんが落ち着いた声で言う。
「それはそうだけどさ。このジュースが毒入りじゃないから大丈夫かな、程度だよ」
「なるようになるんじゃないか?」
クヌートは果物ジュースの入った杯を眺めながら、いつもの調子で言った。
「いざとなったら、金目の物を拝借して空を飛んで逃げるさ」
「クヌート兄さま……」
フェリシアが困ったように兄を見る。
こんな状況でも、クヌートは金銭面を忘れないらしい。
ルクス侯爵がそれなりの報酬を払ってくれることを、僕は切実に願った。
「あの人たちに猜疑心があるのは確かです」
フェリシアが静かに言った。
「でも、敵対するような心の精霊は見えませんでした。すぐに害するつもりはないと思います」
クヌートと同じように精霊魔法が使えるフェリシアがそう言うなら、少しは安心していいのかもしれない。
僕達が一応の歓待を受けていると、扉が静かにノックされた。
応接室に入ってきたのは、先ほど手紙を届けに行ったカチュアさんだった。
青い鎧にはまだ煤がついている。
それでも彼女は騎士らしく背筋を伸ばし、僕達に恭しく一礼した。
普段そんな礼を向けられる経験のない僕達は、少し戸惑ってしまった。
けれどシグレさんだけは、片手を胸に当てて完璧な答礼を返す。
こういう時、シグレさんからは時々、育ちの良さのようなものを感じる。
「ルクス侯爵閣下が、特別に感謝の言葉をおかけになります」
カチュアさんは静かに告げた。
「非公式の会見ですので、こちらへお越しになられました」
非公式の会見。
つまり、重臣達の目に触れないところで会うということだろう。
侯爵家の重臣達の前で、下賤な冒険者と直接会うわけにもいかない。
そういうことなのかもしれない。
僕達は慌てて立ち上がる。
やがて、護衛の騎士達に守られて、一人の少女が応接室へ入ってきた。
ドレスを着た、まだ幼さの残る少女だった。
僕よりずっと年下に見える。
けれど、護衛達に囲まれて歩くその姿には、確かに領主としての重みがあった。
薄い金色の髪を丁寧に結い、淡い色のドレスを身にまとっている。
その小さな肩に、この燃える城と、多くの人の命が乗せられているのだと思うと、胸が少し痛んだ。
この世界に来てから、僕は最低限の作法を習っている。
というより、自然に身についていた。
フレーベル国では、高位の貴族に対して両膝を地面につけ、右手を胸元に当てて膝まずく。
僕達はそろってその礼を取った。
意外なことに、クヌートとフェリシアも同じように膝をつく。
てっきり、人間の作法になど従わないと言うのかと思っていた。
でもこれも、ハーフエルフとして生きてきた二人の処世術なのだろう。
相手を無駄に怒らせない。
それだけでも、生きるためには必要なことなのかもしれない。
少女は僕達を見渡し、少し緊張した面持ちで口を開いた。
「役目大儀です。私が国王陛下よりルクス侯爵領を封じられた、ティニー・ルクス=サザー=カリアです」
相変わらず、貴族の名前は長い。
たぶん、サザー家の血を引き、カリアという家名も持つ、ルクス侯爵領の領主ティニー。
そう理解しておけばいいのだろう。
この国では、女性でも爵位を継ぐことがある。
ただ、実際にこうして見ると不思議な感じがした。
女侯爵と呼ぶのではなく、彼女も普通に侯爵なのだ。
「第五砦守備隊からの上申書を、わざわざ届けてくれたことを感謝いたしますわ」
ティニー侯爵はそう言うと、年相応の柔らかい笑みを見せた。
その瞬間、カチュアさんが小さく咳払いをする。
ティニー侯爵は、慌てたように表情を整えた。
高貴な身分の人は、公式の場はもちろん、こんな非公式の場でさえ素直に笑うことも難しいのだろうか。
年相応に笑うと、本当にただの可愛い女の子に見える。
それなのに、彼女は侯爵として振る舞わなければならない。
不憫だと思った。
「今回の卿らの働きに対し、閣下より報奨金が下賜される。受け取るがよい」
カチュアさんがそう言うと、控えていた騎士が彫刻の施された小さな箱を前へ持ってきた。
箱の中には、金貨の入った革袋が納められている。
それが僕に手渡された瞬間、後ろにいるクヌートの気配が少しだけ明るくなった気がした。
少なからぬ報酬だ。
これなら、クヌートも文句は言わないだろう。
僕は革袋の重みを感じながら、一歩前に出た。
「侯爵閣下に、ご報告したい事があります」




