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第14話 勝って届かせる

最終日の朝、灯はノートを開いた。

4着。

5着。

3着。

4着。

2着。

4着。

2着。

期末最終開催、7走終了。

数字だけを見れば、B1の線はもう目の前にあった。

けれど、まだ届いたとは言えない。

あと2走。

8走目。

9走目。

ここで落とせば、遠のく。

ここで残せば、届く。

そして、最後に勝てば、届かせられる。

灯は、前日に書いた一行をもう一度見た。

守るだけでは、届かない。

最後は、勝って届かせる。

その文字を見て、胸の奥が熱くなる。

勝ちたい。

今度は、その気持ちを消さなかった。

勝ちたいと思うこと自体が悪いわけではない。

悪いのは、その気持ちだけで線へ寄ること。

勝ちたい気持ちだけで深く入ること。

見えない水面へ、願いだけで艇を入れること。

灯は、ノートの下に書いた。

勝ちたい。

でも、勝ちたいだけで走らない。

勝つために見る。

勝つために待つ。

勝つために、入る。

最終日の控室には、いつもより濃い空気があった。

優勝戦に乗る選手。

一般戦で最後の数字を残す選手。

級別の線を守りたい選手。

もう届かないと分かっていても、次の期へ向けて走る選手。

全員が、それぞれの最終日を持っている。

灯も、その中の1人だった。

B2、風見灯。

今期、B1の線が見えている選手。

届くかどうかは、今日の2走で決まる。

灯は8走目の出走表を書き写した。

1号艇、水原千佳。B1。

2号艇、森川奈緒。A2。

3号艇、藤代香帆。B1。

4号艇、風見灯。B2。

5号艇、相沢莉央。B1。

6号艇、藤崎絵里。B1。

4号艇。

4コース想定。

最終日の最初の走り。

ここで崩れるわけにはいかない。

勝てれば大きい。

2着でも大きい。

3着なら、最終走へつながる。

4着でも完全には終わらない。

けれど、5着以下は痛すぎる。

灯はペンを止めた。

また数字が大きくなっている。

水面より先に、着順の数字が見えそうになる。

灯は、ノートの余白に書いた。

数字は見る。

でも、数字だけで走らない。

水面を見る。

何度も書いてきた言葉。

それでも、最終日の水面では、また書く必要があった。

4号艇。

4コース。

勝ちたい。

でも、まず残す。

3着の水面を逃さない。

展示航走の時間が近づいた。

灯は4号艇のカポックを手に取る。

4号艇。

Fを切った番号。

2勝目を取った番号。

皇怜奈に、線の手前を教わった番号。

壊れた水面でもあり、勝てた水面でもある。

今日は、つなぐための水面。

6艇がピットを離れた。

1号艇、水原千佳。

2号艇、森川奈緒。

3号艇、藤代香帆。

4号艇、灯。

5号艇、相沢莉央。

6号艇、藤崎絵里。

進入は枠なり。

1、2、3。

4、5、6。

灯は4コース。

起こし。

大時計。

線を見る。

でも、線だけを見ない。

1号艇。

2号艇。

3号艇。

5号艇。

出口。

スリット。

展示STは0.16。

置いていない。

越えていない。

1マーク。

水原が先に回る。

森川が差す。

藤代が握る。

灯は4コースから、その外にいる。

藤代の艇が少し外へ流れる。

森川の差しは鋭い。

水原は残す。

灯には、藤代の内が見えた。

入れる。

ただし、頭までは遠い。

2着を狙えば深くなる。

3着の水面ならある。

展示では、灯は無理に突っ込まなかった。

出口を残して、3着争いの位置へ艇を置く。

バックで3番手付近。

2マークでも、無理に2着を追う水面ではなかった。

戻ってきて、灯はノートを開いた。

展示。

4号艇。

4コース。

ST 0.16。

1マーク。

2号艇差し。

1号艇残す。

3号艇が外へ流れる。

3号艇の内が見える。

深く入れば止まる。

3着の水面はある。

本番。

3着を取り切る。

最終走へつなぐ。

灯は、最後の一行をじっと見た。

最終走へつなぐ。

この8走目は、勝って決める水面ではない。

けれど、落とせば最後の水面が遠くなる。

勝ちたい気持ちは、9走目まで持っていく。

ここでは、3着を残す。

本番の時間が来た。

灯は4号艇に乗り込む。

ピット離れ。

進入は展示と同じ。

1、2、3。

4、5、6。

4コース。

起こし。

大時計。

怖さはある。

でも、身体は硬くなりすぎていない。

怖いまま、合わせる。

怖いまま、手前に置く。

スリット。

STは0.15。

展示より少し踏み込めている。

1号艇も2号艇も置いていない。

3号艇も遅れていない。

1マーク。

水原が先に回る。

森川が差す。

藤代が握る。

灯は4コース。

勝ちに行く角度が一瞬見えた。

藤代の外を握り、森川の外へ届けば、2着以上があるかもしれない。

けれど、深い。

5号艇の相沢が外にいる。

6号艇も続いている。

ここで前を見すぎれば、出口を失う。

灯は、展示で見た水面を選んだ。

藤代の内。

森川の後ろ。

水原の出口。

そこへ艇を向ける。

深く入りすぎない。

でも、置かない。

波を踏む。

艇が跳ねる。

出口を残す。

バックストレッチ。

2号艇、森川が先頭。

1号艇、水原が2番手。

4号艇、灯が3番手。

3号艇、藤代が4番手。

5号艇、相沢。

6号艇、藤崎。

3番手。

灯は、その位置を確認した。

勝ってはいない。

2着にも届いていない。

でも、今日の水面ではここを残す。

2マーク。

水原が2番手で回る。

灯は3番手。

藤代が外から迫る。

相沢も後ろから来る。

灯は内を渡しすぎない。

でも、閉めすぎて出口を失わない。

3着を残す。

2周1マーク。

森川が先頭。

水原が2番手。

灯が3番手。

前の2艇は遠い。

3着を守る水面。

灯は、それを見失わなかった。

2周2マーク。

藤代がもう一度来る。

灯は差し場を渡さない。

艇を止めない。

3周目。

手に力が入る。

ここで3着を落としたら、9走目が重くなる。

ここで3着を残せば、最後に勝負できる。

最後の1マーク。

最後の2マーク。

灯は、前を追いすぎず、後ろを怖がりすぎず、3着の出口を見た。

ゴール。

1着、2号艇、森川奈緒。

2着、1号艇、水原千佳。

3着、4号艇、風見灯。

4着、3号艇、藤代香帆。

5着、5号艇、相沢莉央。

6着、6号艇、藤崎絵里。

灯は、モニターを見た。

4号艇。

風見灯。

3着。

勝っていない。

けれど、つないだ。

最終走へ、つないだ。

控室に戻ると、灯はノートを開いた。

4号艇。

4コース。

3着。

勝つ水面ではなかった。

でも、3着を残す水面はあった。

深く入りすぎなかった。

出口を残した。

最終走へつないだ。

残り1走。

勝てば、届く。

書き終えてから、灯はペンを置いた。

残り1走。

その言葉が、急に重くなる。

9走目。

この開催最後の出走。

これで、今期の数字が決まる。

灯は、出走表を見た。

1号艇、北園真帆。B1。

2号艇、香月怜。A2。

3号艇、三浦菜月。B1。

4号艇、西園寺遥。B1。

5号艇、風見灯。B2。

6号艇、瀬尾千晶。B1。

5号艇。

5コース想定。

最終9走目。

B1の線へ届かせるための、最後の水面。

灯は5号艇の欄を見つめた。

1号艇ではない。

2号艇でもない。

5号艇。

外から見る水面。

自分が最初にプロの水面で苦しんだ場所に近い。

遠い場所。

でも、灯にとっては、見える場所でもある。

内の動き。

差し場。

攻め合い。

引き波。

空く水面。

全部を見られる場所。

灯はノートに書いた。

5号艇。

5コース。

最終9走目。

守るだけでは届かない。

でも、勝ちたい気持ちで線へ寄らない。

勝つために見る。

勝つために待つ。

勝つために、入る。

展示航走までの時間、灯はいつもより静かだった。

怖さはある。

当然だった。

勝てば届く。

そう思うだけで、手の内側に汗がにじむ。

でも、怖さを消そうとはしなかった。

怖いまま、合わせる。

怖いまま、手前に置く。

皇怜奈の言葉が胸に残っている。

沈まない場所を見る。

朝倉由芽の言葉も残っている。

準備が壊れても、残す水面はある。

入江真白の水面も残っている。

落ちかけた日に何着で止めるか。

日向まどかの言葉も残っている。

全部、灯の中にあった。

でも、今日の9走目は、誰かに言われて走る水面ではない。

灯自身が選ぶ水面だった。

勝って、届かせる。

そのための水面を、自分で見つけなければならない。

展示航走。

6艇がピットを離れた。

1号艇、北園真帆。

2号艇、香月怜。

3号艇、三浦菜月。

4号艇、西園寺遥。

5号艇、灯。

6号艇、瀬尾千晶。

進入は枠なり。

1、2、3。

4、5、6。

灯は5コース。

起こし。

大時計。

線は遠い。

でも、遠いから見える。

2号艇の香月はA2。

差しが本命。

3号艇の三浦は、出口を残すタイプ。

4号艇の西園寺はカドから攻める。

灯はその外。

ここでただ外を回れば、3着か4着。

悪くはない。

でも、今日の水面はそれだけでは届かない。

勝つ水面を探す。

スリット。

展示STは0.16。

悪くない。

1マーク。

北園が先に回る。

香月が差す。

三浦が外へ握る。

西園寺がカドから攻める。

灯は5コースから、その全部を見る。

香月が差しに入る。

北園の出口が少し重い。

三浦は出口を残す。

西園寺が外へ流れる。

その間に、一瞬だけ水面ができた。

2号艇の外。

3号艇の内。

1号艇の出口。

そこへ艇を入れれば、前へ出られるかもしれない。

ただし、深い。

展示では灯は無理に入らなかった。

出口を残し、バックでは3番手から4番手付近。

2マークで、前の形を見る。

勝つ水面はある。

でも、見えた瞬間に入らなければ消える。

控室に戻ると、灯はノートを開いた。

展示。

5号艇。

5コース。

ST 0.16。

1マーク。

2号艇香月さんが差す。

1号艇の出口が重い。

3号艇の内。

2号艇の外。

一瞬、水面ができる。

勝つ水面。

ただし、深い。

本番。

勝ちたいから入るんじゃない。

勝つ水面が見えたら入る。

灯は、最後の一行をじっと見た。

勝ちたいから入るんじゃない。

勝つ水面が見えたら入る。

その違いを、何度も間違えそうになった。

勝ちたい気持ちで線へ寄ったことがある。

勝ちたい気持ちで深くなりかけたことがある。

Fを切ったことがある。

でも、今日は違う。

勝ちたい気持ちはある。

その気持ちを消さずに、水面を見る。

本番の時間が来た。

灯は5号艇に乗り込む。

ピットに足をかけた瞬間、胸の奥が大きく鳴った。

最終9走目。

これで終わる。

この水面で、今期の自分が決まる。

灯は艇の中で、静かに息を吸った。

勝って、届かせる。

6艇がピットを離れた。

1号艇、北園。

2号艇、香月。

3号艇、三浦。

4号艇、西園寺。

5号艇、灯。

6号艇、瀬尾。

進入は展示と同じ。

1、2、3。

4、5、6。

5コース。

起こし。

大時計。

線は遠い。

でも、怖さはある。

遠いから怖くないわけではない。

勝ちたいから、怖い。

届きたいから、怖い。

灯は、その怖さを手の中に置いたまま、スリットへ向かった。

スリット。

STは0.15。

置いていない。

越えていない。

水面に入っている。

1マークへ向かう。

北園が先に回る。

香月が2コースから差す。

三浦が3コースから出口を残す。

西園寺がカドから攻める。

灯は5コース。

外から見る。

香月の差しが入る。

北園の出口が重くなる。

三浦は外へ流れすぎず、でも内を完全には閉じていない。

西園寺が外へ張る。

その瞬間、展示で見た水面が開いた。

2号艇の外。

3号艇の内。

1号艇の出口。

一瞬だけ。

灯は迷わなかった。

勝ちたいからではない。

見えたから入る。

艇を向ける。

深い。

でも、出口はある。

波を踏む。

艇が跳ねる。

視界の端に、香月の艇がある。

内には北園。

外には三浦。

その間を、灯の艇が通る。

水面が狭い。

でも、道はある。

灯は艇を止めなかった。

出口へ向ける。

バックストレッチ。

2号艇、香月が前。

5号艇、灯が並びかける。

1号艇、北園が残る。

3号艇、三浦が続く。

灯は2番手争い。

まだ先頭ではない。

ここで終わりではない。

1マークで見えた水面に入った。

でも、勝つには2マークまで見なければならない。

2マーク。

香月が先に入る。

灯は外。

内へ入るか。

外を回るか。

香月の出口が少し重い。

北園が内から残そうとする。

三浦も後ろにいる。

灯には、香月の外から出口を先に作る水面が見えた。

差すより、握って先に出口を作る。

深くなれば終わる。

でも、ここで待ちすぎても勝てない。

灯は艇を向けた。

勝つために、入る。

波を越える。

香月の外を回る。

出口。

出口を残す。

艇が伸びる。

バックへ出る。

灯の艇が、香月の前へ出た。

先頭。

5号艇、風見灯。

先頭。

その瞬間、音が遠くなった。

けれど、灯は気を緩めなかった。

まだ2周ある。

勝っていない。

まだ、ゴールしていない。

2周1マーク。

灯は先に回る。

香月が追ってくる。

三浦が3番手。

北園が4番手。

西園寺、瀬尾が続く。

灯は、水面を見る。

前にいる時ほど、怖い。

後ろの艇の音が近い。

勝ちたい気持ちが、今度は守りたい気持ちに変わりそうになる。

でも、守るだけでは艇が止まる。

灯は出口を残す。

2周2マーク。

香月が差し場を探す。

灯は渡しすぎない。

でも、閉めすぎない。

艇を止めない。

3周目。

手が熱い。

胸が苦しい。

でも、目は水面を見ている。

最後の1マーク。

灯は先に回る。

香月はまだ追ってくる。

三浦も3着を守っている。

北園が4番手。

最後の2マーク。

ここを回れば、ゴール。

灯は一瞬、Fのページを思い出した。

4号艇。

4コース。

F。

返還欠場。

あの時は、勝ちたい気持ちと遅れたくない怖さで線を越えた。

今日は違う。

5号艇。

5コース。

最終9走目。

線は越えなかった。

水面を見た。

勝つ水面に入った。

そして、まだ水面を見ている。

灯は最後の2マークを回った。

出口を残す。

艇が前へ出る。

ゴールラインが近づく。

5号艇。

風見灯。

1着。

ゴール。

1着、5号艇、風見灯。

2着、2号艇、香月怜。

3着、3号艇、三浦菜月。

4着、1号艇、北園真帆。

5着、4号艇、西園寺遥。

6着、6号艇、瀬尾千晶。

灯は、モニターを見た。

5号艇。

風見灯。

1着。

最終9走目。

1着。

しばらく、息ができなかった。

勝った。

勝って、届かせた。

初勝利の時とは違う。

2勝目の時とも違う。

これは、ただの1着ではなかった。

B1の線へ、届かせるための1着だった。

控室に戻ると、灯はノートを開いた。

手が震えていた。

それでも、書いた。

5号艇。

5コース。

1着。

最終9走目。

勝ちたい気持ちはあった。

でも、その気持ちで線へ寄らなかった。

1マーク。

2号艇の差し。

3号艇の出口。

1号艇の流れ。

そこに水面があった。

勝ちたいから入ったんじゃない。

勝つ水面が見えたから入った。

2マーク。

もう一度、水面を見る。

先頭。

守って届く水面ではなかった。

勝って、届かせる水面だった。

灯は、最後の一行でペンを止めた。

勝って、届かせた。

その文字を見た瞬間、胸の奥から熱いものが上がってきた。

泣きそうになった。

でも、涙はまだ出なかった。

まだ、終わっていない。

自分の9走は終わった。

でも、沙耶さんの水面が残っている。

優勝戦。

灯は顔を上げた。

モニターには、優勝戦の出走表が映っていた。

1号艇、天堂朱里。A1。

2号艇、雨宮琴葉。A1。

3号艇、月城澪。A1。

4号艇、三島沙耶。A2。

5号艇、皇怜奈。A1。

6号艇、蓮見紗央。A2。

灯は、4号艇の欄を見た。

三島沙耶。

A2。

A1勝負駆け。

優勝戦。

相手は、女帝。

センターの女王。

静かな女王。

スタートの女王。

そしてA2の蓮見紗央。

沙耶は、その中で4号艇だった。

灯は、自分のノートを閉じずに、優勝戦のページを開いた。

自分は勝った。

でも、沙耶さんはこれからだ。

自分はB1の線へ届いたはずだ。

でも、沙耶さんはA1の線へ届かせなければならない。

同じ日。

違う高さの線。

優勝戦の展示が始まった。

天堂朱里は1号艇。

静かだった。

初日のドリームと同じように、そこにいるだけで水面の重さが変わる。

雨宮琴葉は2号艇。

柔らかい。

けれど、差し場を逃さない。

月城澪は3号艇。

センターから水面を壊す人。

三島沙耶は4号艇。

灯の師匠。

皇怜奈は5号艇。

線の手前を支配する人。

蓮見紗央は6号艇。

A2で優出してきた実力者。

進入は枠なり。

1、2、3。

4、5、6。

沙耶は4コース。

展示の1マーク。

天堂が先に回る。

雨宮が差す。

月城が攻める。

沙耶は4コースから、その全部を見る。

灯はモニターを見つめた。

沙耶さんは、どこを見るのか。

勝つ水面なのか。

残す水面なのか。

本番。

優勝戦の空気は、他のレースと違っていた。

灯の9走目とは違う重さ。

自分の勝負駆けとは違う速度。

A1の水面。

その中に、沙耶がいる。

進入は枠なり。

1、2、3。

4、5、6。

起こし。

大時計。

1号艇、天堂。

2号艇、雨宮。

3号艇、月城。

4号艇、沙耶。

5号艇、皇。

6号艇、蓮見。

スリット。

皇が速い。

5号艇から、線の手前に正確に置いてくる。

月城も遅れない。

天堂も動じない。

沙耶も、置かれていない。

1マーク。

天堂が先に回る。

月城が3コースから来る。

センターの女王が、水面を壊す。

雨宮が2コースから静かに差し場を探す。

皇が外から圧をかける。

沙耶は4号艇。

月城の攻めの外。

皇の内。

雨宮の差しの後ろ。

そこにいる。

勝ちに行けば、深い。

月城の攻めに重なる。

皇に外から飲まれる。

雨宮の差し場に絡む。

でも、何もしなければ、蓮見にも迫られる。

沙耶は、艇を向けた。

勝つための角度ではない。

残すための角度。

天堂と月城の勝つ水面。

皇の線の手前。

雨宮の静かな差し。

その全部の後ろに、沙耶は残る水面を見つけた。

灯は、息を止めた。

沙耶さん。

バックストレッチ。

1号艇、天堂が先頭。

3号艇、月城が2番手。

4号艇、三島沙耶が3番手争い。

5号艇、皇怜奈が外から迫る。

2号艇、雨宮琴葉も内で残る。

6号艇、蓮見紗央が続く。

沙耶は3番手。

まだ確定ではない。

皇が来る。

雨宮も差し場を探す。

2マーク。

月城が天堂を追う。

沙耶は3番手の位置。

皇が外から攻める。

雨宮が内を狙う。

沙耶は、両方を見る。

閉めすぎれば出口を失う。

渡しすぎれば3着を失う。

沙耶は、艇を止めなかった。

出口を残す。

皇の攻めを受ける。

雨宮の差し場を渡しすぎない。

バックへ出る。

3番手。

灯は、拳を握っていた。

2周1マーク。

天堂は先頭。

月城は2番手。

沙耶は3番手。

皇が4番手で追う。

雨宮が5番手。

蓮見が6番手。

皇のスタート力は、レース後半でも圧になる。

少しでも沙耶が止まれば、皇が来る。

雨宮も、静かに差し場を探し続けている。

沙耶は、勝てない水面を走っていた。

でも、落とせない水面でもあった。

A1へ届かせるための3着。

2周2マーク。

皇が迫る。

沙耶は内を守りすぎない。

外へ流れすぎない。

出口を残す。

3番手を守る。

3周目。

天堂と月城は前で戦っている。

女帝とセンターの女王。

その勝つ水面は、まだ沙耶には遠い。

でも、沙耶はその後ろで残っている。

残すことを、軽く見ない。

灯に何度も言ってきたことを、沙耶自身が優勝戦でやっている。

最後の1マーク。

皇が最後の圧をかける。

沙耶は渡さない。

最後の2マーク。

雨宮が内を狙う。

沙耶は艇を止めない。

ゴール。

1着、1号艇、天堂朱里。

2着、3号艇、月城澪。

3着、4号艇、三島沙耶。

4着、5号艇、皇怜奈。

5着、2号艇、雨宮琴葉。

6着、6号艇、蓮見紗央。

灯は、モニターの前で動けなかった。

沙耶さんが、3着。

優勝は天堂朱里。

2着は月城澪。

その後ろに、三島沙耶が残った。

勝てなかった。

でも、残した。

それが、沙耶さんのA1だった。

控室に戻ってきた沙耶は、少し息が上がっていた。

灯は立ち上がる。

「沙耶さん」

沙耶は灯を見た。

「勝てなかった」

最初の言葉は、それだった。

灯は、すぐに首を横に振った。

「でも、残しました」

沙耶は、少しだけ目を細める。

灯は続けた。

「天堂さんと月城さんの水面の後ろで、皇さんと雨宮さんに渡さずに、3着を残しました」

沙耶は、少しだけ笑った。

「よく見てたね」

「見てました」

灯は、声が震えるのを感じた。

「私、勝ちました」

沙耶は頷く。

「見てた」

「5号艇から、1着でした」

「うん」

「勝って、届かせました」

その言葉を口にした瞬間、灯の胸に熱いものが込み上げた。

沙耶は静かに言った。

「なら、届いたね」

灯は息を止めた。

正式な発表は、まだ先だ。

級別審査の結果が出るのは、もう少し後。

それでも、灯には分かった。

今日の9走目で、自分はB1の線へ届いた。

沙耶は、優勝戦の3着でA1の線へ届いた。

沙耶はタオルを握ったまま、灯を見る。

「私も、たぶん届いた」

灯の目に、涙がにじんだ。

「沙耶さん」

「まだ正式じゃないよ」

沙耶はそう言った。

けれど、その声は少しだけ柔らかかった。

灯はノートを開いた。

今日の最後のページ。

9走目。

灯は勝った。

優勝戦。

沙耶は3着を残した。

どちらも、まだ正式な結果ではない。

でも、灯には分かった。

自分はB1の線へ届いた。

沙耶さんはA1の線へ届いた。

同じ日。

同じ水面。

違う高さの線。

灯は、ペンを握った。

手はまだ震えていた。

それでも、はっきり書いた。

勝って、届かせた。

その下に、もう一行。

沙耶さんは、残して届かせた。

書き終えた時、涙が一粒、ノートの端に落ちた。

灯は慌てて拭おうとした。

でも、沙耶が軽く止めた。

「それも残しとけば」

灯は顔を上げる。

沙耶は、小さく笑っていた。

「今日の水面でしょ」

灯は、涙を拭かずに頷いた。

「はい」

水面は、今日も次のレースへ進んでいく。

女帝は勝った。

センターの女王は2着を取った。

沙耶は3着を残した。

灯は、5号艇から1着を取った。

それぞれが、それぞれの線を見ていた。

その中で、灯は自分の線へ届いた。

B1。

まだ発表は先。

でも、その文字はもう、遠い憧れではなかった。

灯はノートを閉じる。

胸の中に残っている言葉は、ひとつだった。

勝って、届かせた。

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