第68話:保奈美の存在(神宮寺麻里)
その瞬間、はっきりと理解した。
――直也の家においては、保奈美ちゃんが絶対なのだ。
彼女が泣きつけば、直也はその言うことを聞いてしまう。
それは義兄としての責任とか理屈ではなく、もっと根源的な何かに根ざしている。
私にはどうにも抗えないものに見えた。
だから、莉子があの日、あれほど強引に直也に抱きつき、キスまでしたのだ。
彼女は最初から分かっていた。
直也を巡る一番のライバルは――他の誰でもない、保奈美ちゃんだと。
乾坤一擲の賭けで直也にアピールし、彼のすぐ近くに居場所を確保した。
その覚悟は、恐ろしいほど鮮烈だった。
けれど――。
その莉子ですら抗しきれないほどの強さを持つ存在。
それが保奈美ちゃんなのだ。
天使のように笑う子。
直也が他の女子高生の友人に人気を集めたとき、子どもっぽく嫉妬していた子。
そんな印象は、もう完全に消えていた。
サンタローザの丘での情景が脳裏に蘇る。
直也を抱きしめ、涙で彼を救ったあの姿。
あれは偶然なんかじゃない。必然だったのだ。
私は唇を噛み、料理が並べられたテーブルの縁に目を落とした。
どうすればいい。
どうやって直也との関係を構築し直すべきなのか。
胸の奥に、焦燥感がじわりと広がっていった。
※※※
「じゃあ、そろそろ乾杯しようか」
直也がグラスを手に取った。
私は思わず口を挟んだ。
「何に対して乾杯するの?」
直也は少し考えてから答えた。
「GAIALINQプロジェクトの始動……そしてそのブランディングのためにRICOが参画してくれたこと、かな」
なるほど、と心では思いながらも、その場に小さな緊張が走った。
「それで、保奈美ちゃんはいいの?」
今度は亜紀が問いかけ、玲奈も静かに頷く。
保奈美ちゃんは、笑顔を浮かべて答えた。
「直也さんにとって大切なことだから、それは私にとっても大切です」
その一言で、場が一瞬和らいだ。
さらに彼女はグラスを手にしたまま、深々と頭を下げた。
「――だから、直也さんを、皆さんどうか助けて、支えてください。お願いします」
思わず息を呑む。
その姿は、まだ高校生のはずなのに、まるで誰よりもしっかりと “家族の代表” のように見えた。
そこで、莉子が軽い調子で言った。
「まるで奥さんになったみたいだね」
空気がざわめく。
「莉子」
直也が即座に制止した。
けれど彼女はどこ吹く風といった様子で、真っ直ぐに直也を見た。
「直也くん。
こないだの約束は守ってくれるんだよね?」
その言葉が落ちた瞬間、私も、亜紀も、玲奈も――声が揃ってしまった。
「「「はぁ?」」」
視線が一斉に直也へ向かう。
テーブルの上のグラスが小さく揺れ、料理の香りさえ遠くに感じた。




