第48話:谷川莉子
――スマホが震えた。
表示された名前を見て、動悸が激しくなる。
「……直也くん?」
通話ボタンを押すと、すぐに聞き慣れた声が耳に届いた。
けれど、その声は普段より少しだけ硬かった。
『莉子。……今、大手町の本社を出るところなんだ』
「え?」
私は思わず椅子から背筋を伸ばした。
声の調子で、ただ事じゃないと分かる。
『莉子。フェリシテのカラオケ対決、知ってるか?』
「……うん、ニュースで見た」
アパレル業界全体がざわついている、あの“茶番”のこと。
『1曲目が各社終わった時点で、五井物産は絶望的な状況らしい。
社長から直々に頼まれた。……オレが助っ人で出る』
「――はぁ!?」
思わず声が裏返った。
直也くんが? なんで? GAIALINQと何の関係もないのに?
『分かってる。莉子の言う通り、本当に馬鹿げてる。けど、このままじゃ会社全体の業績に波及しかねない。
そうなったらGAIALINQにも間違いなく影響が出る。
だから――どうしても勝ちたいと思っている。
莉子……“打ち上げ花火”、をオレと二人で歌ってくれないか?』
※※※
胸が一気に重くなる。
あの歌――私と直也くんの、大事な歌。
YouTubeに上げたあの日から、どれだけ多くの人に届いたか。
努力して積み上げてきた軌跡そのものだった。
「……やだ」
口から出た言葉は、自分でも驚くほどストレートだった。
『……莉子』
「そんな茶番で……私たちが大切にしてきた歌を使うなんて。
せっかくここまで積み上げてきたのに、全部台無しにされたらどうするの?
直也くんだって、百も承知してるんでしょ? それでも……それでも私に頼むなんて……!」
言いながら、涙がにじみそうになる。
分かっている。
直也くんは、ずっと私を信じて、後押ししてくれた。
それがなければ今の私はいなかった。
だからこそ、どうして。
どうしてよりによって、こんなふざけた舞台に呼ぶの。
『……莉子。もし嫌なら、それをオレは尊重する。
でも、それでも――助けてほしいと思って、連絡したんだ』
「……ずるい」
私は唇を噛みしめた。
「どうしていつもそういう言い方するの?
だったら“オレの言う通りにしろ”って言ってよ!
そしたら私は言うこと聞くもん! だって……もうずっとずっと、私は――私の全部は直也くんのものだと思ってきたんだから!」
通話口の向こうで、一瞬沈黙が落ちた。
直也くんは、何も言えないでいる。
深呼吸をして、私は目を閉じた。
涙を拭い、声を落ち着かせて、ようやく言葉を続ける。
「……でもね。直也くんから頼まれて、“イヤ”なんて言えない。
だから行くよ。行くけど、その代わり――」
喉の奥が詰まる。
それでも、言わなきゃいけない。
「もう少し……私と一緒にいて。
私との時間を取って。
たまにでいいから――抱きしめて。
ずっと保奈美ちゃんばかりで、
ずっと寂しかった。
いつもいつも寂しかったの。
もし約束してくれるなら……
――それなら、行くから」
一瞬の沈黙の後、彼の声が静かに返ってきた。
『……約束する』
私は震える指でスマホを強く握りしめた。
涙が零れたけれど、声は出さなかった。
――それでいい。
直也くんが約束してくれた。それで、私はどこへでも行ける。




