第33話:みんなの直也さん(一ノ瀬保奈美)
――聞いてはいた。カラオケがすごく上手だとは。
以前、サンノゼのホテルで亜紀さんから耳打ちされたことがあるからだ。
「直也くんって、すごくカラオケ上手だったんだけど……保奈美ちゃん、何か知ってる?」
その時はそんな事、普段仕事人間の直也さんが――と思っていた。
だから今回のイベントでも正直、私は不安だった。
だって、最近の流行り曲なんて、直也さんが歌えるわけがないと思っていたから。
だけど――。
“ライラック” のイントロが流れた時。
そして、“打ち上げ花火” を真央ちゃんと並んで歌い上げた時。
――私は、言葉を失った。
落ち着いた声。
伸びやかで、でも優しく響く歌声。
まるでアーティストのステージを見ているみたいだった。
会場の女子たちの歓声が、それを証明している。
「やばい!」
「かっこよすぎ!」
「一ノ瀬さん、ホントにアーティストじゃないの!?」
そう叫びながら、みんなが直也さんを見つめている。
※※※
胸の奥がじんと熱くなった。
――誇らしい。
だって、私の大切な人が、こんなにも多くの人を魅了している。
自分の友達までが、憧れの眼差しを向けている。
でも、同時に。
その視線の中に、ずっと居てほしくなかった。
だって。
私だけが知っていた直也さん。
疲れて帰ってきて、シャツの袖をまくりながら「ただいま」って言う直也さん。
バナナケーキを食べて「懐かしいな」って笑う直也さん。
そういう全部が―― “私だけの直也さん” だったはずなのに。
今、こうしてステージに立つ直也さんは、もう “みんなの直也さん” になってしまっている。
※※※
拍手が鳴り響く。
真央ちゃんの笑顔。
女子高生たちの熱狂。
その光景を見つめながら、私は胸の奥に言いようのない感情を抱えていた。
嬉しいのに、誇らしいのに――苦しい。
「私の直也さん」が、遠ざかっていくようで。
思わず、唇を噛みしめた。
視線の先でマイクを下ろす直也さんが、まぶしすぎて、少しだけ目をそらした。
――イベントは大成功に終わった。
会場を出る学校のみんなに、直也さんと亜紀さん、玲奈さん、麻里さん、そしてスタッフの方々が並んで手を振ってお見送りしてくれている。
「ありがとうございましたー!」
「応援してくださいねー!」
みんな笑顔で、楽しそうに帰っていく。
私はその横で、少しだけ口を尖らせていた。
「――どうした?」
お見送りが一段落したところで、直也さんが私の表情に気づいて声をかけてきた。
心配そうな目。
いつもなら素直に嬉しくなるはずなのに、今は胸の奥がモヤモヤしていて、つい強い声が出てしまった。
「……知らない!」
「え?」
直也さんが目を瞬く。
私は思わず言葉を続けてしまった。
「みんなに人気出るのは嬉しいよ。
……嬉しいけど、なんかイヤだなぁ」
横で聞いていた亜紀さんと玲奈さんが、同時に苦笑する。
「それは『嫉妬』という感情ですね、保奈美ちゃん」
「いけませんね。義兄さんにそんな感情を抱いては」
からかうように言われて、ますます頬が熱くなる。
「ち、ちがっ……! そういうんじゃなくて!」
慌てて否定するけど、言えば言うほど図星に聞こえてしまって、余計に悔しい。
そんな私を見て、直也さんは小さくため息をついた。
次の瞬間――後ろから抱きしめられた。
「――っ!」
不意打ちにドキドキした。
「義妹ちゃんは、ほんとに分かりやすいな」
耳元で落ち着いた声がして、背中が一気に熱くなった。
「ちょ、直也! それはアウトでしょ!」
玲奈さんの突っ込みが飛ぶ。
「直也くん。ダメ! それ禁止!都条例違反です!タイーホ!タイーホ!!」
亜紀さんも慌てて制止する。
でも。
そんな二人の声も、今の私には遠く感じた。
胸の奥に溜まっていたモヤモヤが、すっと溶けていく。
「……バカ」
小さな声でそう呟きながら、私は少しだけ頬を緩めた。
ほんのちょっとだけ、機嫌を直した。
直也さんは、やっぱり私だけの直也さんが一番いいな。




