第17話:宮本玲奈
――正直、いい気味。
数日後、そんな言葉が胸の奥からこぼれそうになった。
例の女性誌「VeryVery」取材。
あの時、アパレル部門の本部長が押し込んだ案件だと分かった時点で、私も亜紀さんも麻里も、怒り心頭だった。
直也を“イケメン枠”で消費するような真似――絶対に容認できない、と。
ところが案の定、その件は社長や副社長の耳に入った。
そして、アパレル部門の統括取締役以下、実際にゴリ押しした本部長や部長連中が――社長から大層厳しい叱責を受けたという話を、すぐに耳にした。
「GAIALINQは五井物産全体の未来を賭けた事業だ。その執行責任者を軽々しく“ファッション誌のバーター”で弄ぶなど、断じて許されない!」
「社内の部門利益のために、プロジェクトの顔を使うな。二度とこんな真似はするな!」
――そう、役員会で叱責されたらしい。
その場にいた法務の先輩から、私にこっそり伝わってきた。
私は資料を閉じながら、胸の奥で小さく笑った。
正直、いい気味だった。
あの場で亜紀さんと麻里と三人で「サイテイ」とまで言い切った怒り。
それを社長が代弁してくれた気がした。
※※※
だが、その余韻に浸る間もなく――次の爆弾が落ちてきた。
昼過ぎ、IT統括取締役がわざわざ私たちのオフィスに姿を現した。
普段は飄々としている人なのに、その日は妙に気まずそうな顔をしている。
「……あのさ。一ノ瀬くんにちょっと頼みたいことがあるんだ」
私は首を傾げた。
「はい? 何でしょうか」
取締役は深くため息をつき、目を逸らしながら言った。
「……実はね。社長の姪御さんから、“VeryVeryに載っていた一ノ瀬さんのサインが欲しい”って連絡があってね」
「……は?」
思わず変な声が出た。
さらに取締役は続ける。
「それと……副社長のお嬢さんからも、同じ要望が……」
「…………」
横にいた亜紀さんと麻里と顔を見合わせ、沈黙。
次の瞬間――三人同時に吹き出した。
「ちょ、ちょっと待ってください。社長のお嬢さんじゃなくて、姪御さん……?」
「副社長のお嬢さんまで!? あははは!」
「ええ……結局みんな“直也ファン”になっちゃってるじゃない!」
机に突っ伏して笑いを堪える亜紀さん。
麻里は椅子の背にもたれて、口元を押さえながら肩を震わせている。
私も、もう耐えきれずに声を上げて笑ってしまった。
取締役は苦り切った顔で「いやぁ……まったく困ったものだよ」と頭を掻いていたけれど、
正直、その表情がまたおかしくて三人でさらに笑ってしまった。
※※※
結局、直也本人にその件を伝えると――。
彼はほんの少し驚いたように瞬きをして、それから穏やかに微笑んだ。
「……分かりました。もちろん、喜んでサインしますよ」
その柔らかな言葉。
ほんと、誰に対しても分け隔てなく、自然に誠実に応じてしまう。
だからこそ、こうやってどんどんファンが増えてしまうのだ。
その夜、私たち三人は雑誌の誌面をもう一度広げて、改めて直也の笑顔を見つめた。
――GAIALINQの執行責任者、そして“女性誌をも制覇した男”。
「……この人、もう完全に“時代の象徴”になっちゃったわね」
私が呟くと、亜紀さんも麻里も、苦笑混じりに頷いていた。
笑いとため息と、ほんの少しの誇らしさを胸に――私は直也の名前が記されたサインを思い浮かべながら、静かに微笑んだ。
――まさか、本当に来るとは。
その日、五井物産の受付ロビーに現れたのは、まだ大学生くらいだろうか。
明るい色のワンピースに身を包んだ、社長の姪御さんだった。
広報部から事前に「ご案内をお願いします」と連絡が入り、私と亜紀、麻里が同席することになった。
正直、最初は半信半疑だった。けれど――本当に来たのだ。
※※※
「はじめまして。一ノ瀬さんに……ぜひサインをいただきたくて」
緊張気味に差し出された雑誌「VeryVery」。
直也は、わずかに驚いた顔をした後、にこやかに微笑んだ。
「もちろんです。……でも、サインだけじゃなくて、ぜひGAIALINQも応援してください」
そう言って、ペンを走らせた後、丁寧に雑誌を返し、自然な仕草で手を差し伸べる。
握手。
姪御さんの頬が、一瞬で赤く染まったのが分かった。
さらにスタッフが用意していたカメラの前で、ツーショット写真まで撮影。
直也は柔らかい笑顔を浮かべ、姪御さんは夢見心地の表情を浮かべていた。
※※※
その様子を見ていた亜紀が、小さく笑った。
「……可愛いわね。真っ直ぐで」
麻里も肩をすくめながら、柔らかく口元を緩める。
「素直に応援してくれるのはありがたいわよ。こういう若い世代がGAIALINQを支えてくれるのは心強い」
二人の声色は和やかだった。
けれど私は――笑えなかった。
「……これはマズいです」
二人が同時にこちらを振り向く。
「え?」
「なんで?」
私は視線を、ツーショットの写り方を確認している姪御さんの背中に向けたまま、低く呟いた。
「今後、政略結婚を考える馬鹿が必ず出てきます。
社長の姪御さん、副社長のお嬢さん……“次世代リーダー”で“メディアに出ている若手エグゼクティブ”。
これだけ材料が揃っていて、誰かが『結婚相手に』と考えないはずがない」
亜紀も麻里も、言葉を失ったように私を見つめた。
私はきっぱりと言い切った。
「――絶対に阻止します。こればかりは、冗談で済まされません」
胸の奥に広がる冷たい警鐘。
私は強く唇を噛みしめた。
直也を“政略”の道具にする者が現れることだけは――絶対に許さない。




