7. 父上の手紙
私たちは今、真夜中の星空の下、王国から延びる街道を2人プラス1匹で駆けている。
ロウとディストルも一緒だった。
使用人の皆が向かっている方向と逆の、敢えて厳しい道である北側の道を選んでいる。
このまま北に向かえば、魔導王国の臣下に下った北部都市へ至る。
はっきり言って、自ら捕まりに行くような自殺行為だ。
それでもいい。
こんな私でも誰かの役に立つのなら、それでいいじゃないか。
私はなぜ、まだ生きながらえているのだろうか。
本当なら、家族と一緒に、あの炎の中で死ぬべきだったのに。
思い返せば、意識を失う瞬間、地表まで5m以上の距離はあったはずだった。
頭を打って死んでしまっていてもおかしくない。
少なくとも重傷で身動きが取れなくなり、容易に捕らわれている ――― それが当たり前。
なのにディストルによると、
私は茂みの中に無傷で倒れており、周りの衛兵にも気付かれていなかったそうだ。
運命のいたずらか、
隕石が街のあちらこちらに落下して大騒ぎになっていた影響か、
その理由は誰にも分からない。
ディストルは意識の無い私を街の外まで運び出し、目を覚ました私はロウを呼び寄せ、こうしてただ何も考えず、『ヘイスト』の力を借りて走り続けているのであった。
‥‥私は今さら、何から逃げているのだろう。
――― 使用人たちに追手を向かわせないため。
それでも、虚しさが胸に染みていくのを止められない。
――――――
いつの間にか空は群青色から水色に移ろい、夜を明ける準備を整え始めていた。
朝方の太陽というのは、ここからが長い。
空はもうかなり明るいるのに、肝心の太陽はいつまでも顔を出ささない。
まだかまだかと、焦らすように空が少しずつ白んでいく。
私たちはただひたすら、
止まる事を忘れた歯車のごとく足を動かし続けていた。
ようやく東の山の上に朝日が顔を出したのは、それからさらにしばらく経ってからだった。
気付くとそのあたたかな陽光が盆地を照らし始めていた。
それが、まるで前もって決められた合図だったかのように、
私は自然とその場で、足を止めてしまう。
眼下に見えるは若々しい黄緑色に生い茂った草原。
少しばかりの朝露が光に反射してキラッて輝き、
爽やかな水色の空を地上から飾っているようであった。
空に浮かぶのは薄い雲ばかりで今日の快晴を約束している。
懐かしき戦場跡。
魔法軍は初勝利を飾った思い出の場所。
かつて『ファイアボール』で作られたクレータもいつの間に草むらに覆われ、
そこに戦場があったとは一見では分からない。
あれ程うるさかった金属音や馬のいななき、兵士の怒号と悲鳴は、もうどこにもない。
今はただ、渡り鳥が長い鳴き声を広大な空に響かせているだけであった。
その静けさが、ひどく残酷であった。
「アイテール様。いったん休憩しましょう」
ぼんやり景色を見つめていた私にて、ディストルが後ろから心配げに声をかけてくる。
「‥‥‥うん」
返事をした瞬間、
頭の上で自分を操っていた糸が突然切られてしまったかのように、
私はその場に座り込んでしまう。
一晩中歩いた疲れも確かにあったけど、それ以上に、
何をしたらいいのかよく分からなくなっている自分がそこにいた。
私はいつも、目的から目標を定めて逆算して考える。
その目標に向かってどう動くかバックワード・ルッキングで考えるのが私のいつもの思考パターン。
でも今は、その肝心の目的が見つからない。
だから目標も分からないし、どう動いたらいいかも分からない。
私は、完全に迷子になっていた。
自分を取り戻すことが、家族を見殺しにしてまで望んだことだったのか。
そんなことをする価値が、私にあったのか。
私はそんな大それた人間なのか。
そしてなぜ、父上は一緒に逃げなかったのか‥‥‥。
草原を渡る朝風が、さあっと波みたいに草を揺らしていく。
その流れを、私はロウと並んで、ただ見つめていた。
どれくらい、そうしていただろうか。
少し離れた場所で黙って見守っていたディストルが、やがて私の前へ進み出てくる。
彼は躊躇するように視線を揺らしていたが、意を決したように口を開くのであった。
「アイテール様‥‥‥、実はイグリッシュ様よりお手紙を預かっております」
「‥‥‥えっ?」
頭に言葉が入ってこない。
どういうこと?
なんで? いつ? どうして?
止まっていた思考が、感情が、急に動きを取り戻し、
胸の奥が、急にざわつくのを感じる。
「いまお渡しすべきか悩んでいたのですが‥‥アイテール様の助けになることが書かれているかもしれませんので‥‥‥」
そう言って差し出されたのは、オルペ侯爵家の紋章で蝋封された、薄緑色の封書だった。
薄緑色。
そういえば父上は、こういう軽やかな色合いの紙を殊更好んでいた。
その色を見ただけで、胸の奥がちくりと痛む。
私は見たいような見たくないような、
二つの気持ちに挟まれ、しばらく開けるのをためらってしまう。
これはきっと父上の遺言だ。
何が書かれているのだろうか。
それを私は受け止められるのだろうか。
これ以上何を言われるのだろうか。
怖かった。
――― でも同時に、
父上の気持ちは知りたい。
父上が最後に何を思っていたのかを。
何を、私に残そうとしたのかを。
一人残されたオルペ家の人間として、全てを受け止めなければならない。
その責任感だけが、震える私の背中を押す。
そして私は、ゆっくり封を開けた。
『親愛なる我が息子、アイテール
まず最初に、お前にこんな重荷を負わせる私を、許して欲しい。
私は最後まで、オルペ侯爵家当主としての振る舞いしかできず、お前の良き話相手、良き父親になることが出来なかった。
お前が生まれた日の興奮は未だに覚えている。
昼から続く白い吹雪が夜まで吹き荒れ、医師に来てもらうのにも苦労したものだ。
それがお前が産声を上げた瞬間、突如、雪の勢いが収まり雲間から月の明かりまで見えたのだから、本当に信じられなかった。
あとで我が一族で、誰にも負けない魔力量を誇っていることが分かったときは、お前が運命からの預かりものであることを改めて確信したものだ。
同時にこの子を大事に育てなければいけないと、それはそれは大きな重圧を感じたものだ。
子供の頃から、お前を厳しく躾けてしまったのは申し訳なく思っている。
もっと伸び伸びしていたかっただろうに、期待が先行してついつい口うるさくなってしまった。
お前が魔法事故にあって女になってしまった時も、本当は生きていてくれたそれだけで、涙が出るほどうれしかった。
それでもあんな言い方しかできなかった私を、許して欲しい。
私にはオルペ家当主としての責務が、重すぎるものだったのだ。
お前は、今回のことが自分の責任だと、自分を責めているかもしれない。
それは断じて違う。
今回のことは、ミディエル殿下とうまくとりなせなかった私の責任だ。
お前が魔法軍で参謀役として活躍していたときは、我が家に対する王家の信頼も厚かった。
なのにお前が去ったあと、私が弟君であるリディル殿下との関係を気にするばかり、ミディエル殿下にちゃんと向き合えていなかったのが、いけなかった。
今回の一件は全て、私の不始末が引き起こしたことだ。
お前の事件はきっかけの一つに過ぎない。いずれにしろ何らかしらの理屈は作り上げられていただろう。
我が家は、運命からの預かりもので、一族の誉れであるお前を、救わなければならないという使命がある。
お前は心優しい。家族が一人でも生き残っていたら、必ず自分を犠牲にしても救おうとするだろう。
オルペ家は、お前の母もダリーユも、私の手で必ず全員空の上まで連れて行く。
忘れるな。優しさは弱さでなく強さだ。
でも弱き優しさは、本当の優しさにはならない。
もうお前は一人だ。オルペ家の名を背負う必要はない。
自由に生きて欲しい。
そして幸せになってくれ。
それが私の最期の願いだ。
オルペ家最後の当主 イグリッシュ』
読み進めるほどに、文字が滲んでいく。
私は‥‥‥、泣いていた。
ぽたり、ぽたりと、手紙の上に涙が落ちていく。
拭おうとしても、次から次へとこぼれて止まらない。
父上は、やっぱり私の父親だった。
厳しくて、不器用で、言葉が足りなくて。
でもずっと、自分なりに私を想ってくれていた。
私は父上と似ている。
上手く言えないところも。
大事なことほど不器用になるところも。
きっと、似ている。
だからこそ、余計に苦しかった。
父上‥‥。
胸の奥がいっぱいになって、うまく息ができない。
会いたい。
もう一度だけ。
ちゃんと会って、話をしたい。
責めるんじゃなくて、怒るんじゃなくて、
ただ一度だけ、
父と子として ――― 話し合いたい。
でも、もうそれは叶わない。
そのどうしようもない現実が、
涙と一緒に胸の奥を締めつける。
ただ、父上。
一言だけは、文句を言わせてほしい。
こんなの、ずるい。
あまりにもずるい。
こんなふうに全部分かっていながら、全部置いていくなんて。
私が怒る隙も、責める隙も、謝る隙も、何も残さないなんて。
ずるいよ‥‥‥。
‥‥ずるいよ、父上。




