5. 大戦の予感
「大変でしょう。この小椅子をお使い下さい」
アレクサンドリア様は、私ひとりになっても態度を変えなかった。
声の調子も、視線の置き方も、距離の取り方も ―― 丁寧で、落ち着いている。
‥‥この街の頂点が、こんなに腰が低い?
その礼儀正しさが、逆に怖い。
礼儀って、こちらを ”安心させるため” にも使えるからだ。
「ありがとうございます」
私はシスターから教わった通り、
ドレスの布を整え、椅子に腰を下ろす。
脚を揃えて、裾を覆い隠す。
‥‥‥とりあえず、今すぐ襲われる気配はない。
それだけで胸の奥がほんの少しだけゆるむ。
でも ――
ゆるんだ瞬間に、あの夜がよみがえる。
「大丈夫そう」に見えた男が、次の瞬間に豹変したあの感覚。
私は自分の呼吸を、意識して整えた。
「それにしても本当にお綺麗ですねー」
「あ、ありがとうございます」
”綺麗” と言われるのは悪い気はしないけど、未だに慣れない。
喜びより先に、違和感が来る。
アレクサンドリア様はにっこりしたまま、
「元男と知らなければ、絶対口説いてましたよ」
「なっ‥‥‥!?」
キーン。
耳の奥で金属音が鳴った気がした。
一気に緊張感が高まる!!
もう頭のなかでは、万が一に備えて、唱える魔法のリストを準備している。
『パラライズ』『ヘイスト』『スリープ』『ファイアアローズ』‥‥
「アイテール・オルペ様、お初にお目にかかります」
「‥‥‥いつから分かっていたんですか?」
声が、自分でも驚くほど低く出た。
私はいつでも動き出せるよう、脚に体重を移し変える。
「最初からというのが一番正確でしょうね。あなたを呼ぶために今回のイベントを企画したのですから」
道理でこの仕掛けにこだわったわけだ。
私と一対一で話す機会を周りに疑われず、設けたかったと。
「そこまでして話したかったことってなんですか?」
いつまでも腹の探り合いをしているつもりはなかった。
別に逃げ出そうと思えば、いまでもできる。
いまそれをしないのは、どちらが得かまだ判断がつかないから。
そして逃げた瞬間、私は ”ただの獲物” になる可能性がある。
今ならまだ ”交渉相手” として認められている。
アレクサンドリア様は改めてにっこり微笑みながら、
「魔導王国の動向をお聞かせいただきたい」
なるほど政治か‥‥。
この街の最大の懸念事項は王国の進攻先ということ。
この街の近くにはツールベンという小さな都市がある。この街からみると北北西に位置する。
少し前まではこの都市は独立国家として存在していた。
この街にとってはルクソンの防波堤として機能していた国だ。
それがつい最近、ツールベンが ”自ら配下に降った” 形で魔導王国に編入された。
表立っては ”自ら” だったが、裏では血も流れる相当えげつない工作が行われていた。
私は知っている。
そういうことを、私は ”会議の席で見てきた” 側だ。
「一ついいですか? なぜ私のこと分かったのですか?」
これで二人目だ。
私は、自分の正体を隠すのが下手なのか。
この先の聖地へ行くには、目立つわけにはいかない。
王国の網に引っかかったら終わる。
「たまたまですよ。たまたま、騎士団の中に昔のあなたを知っている人がいたものですから」
「最初はてっきりあなたの妹か姉か勘違いしたそうです。ただあなたの兄弟はここにはいないはずですし、魔力の強さや魔法のイメージが特徴的だったとか」
‥‥うかつだった。
騎士団の中に魔導王国出身の魔術師がいたなんて。
魔導王国を出奔して他国の騎士になる魔術師いるなんて想像すらしていなかった。
「それで、魔導王国は我が街をどのようにお考えなのでしょうか」
私はルクシオン魔導王国第一王子ミディエル・ルクシオン直属魔法軍部隊、元参謀役のアイテール・オルペだ。
軍議にもミディエル殿下と共に何度も参加したし、王国軍参謀とも常日頃コミュニケーションを欠かすことはなかった。
王国の軍事戦略も部隊の配置も最終目的もほとんど私は知っている。
でも、自分の祖国を裏切るつもりはない。
‥‥けど、
そのために罪もない人々が大勢死ぬのは、目の前でその現実を見せつけられると、やはり心が痛むのだった。
私は戦を作ってきたくせに、いまさら何を ――― とは思う。
その矛盾が、喉に引っかかる。
「‥‥‥私に言えることは、近い将来大きな戦が起きることは避けようもなく、その中心地はウリアン山脈の北か南、どちらかになるでしょうと言うことだけです」
「そのための準備について、王国は一切手を抜かないでしょう」
その言葉を発した途端、自分の心が冷えていくの感じる。
‥‥そう、私はそちら側の人間だった。
アレクサンドリア様は真剣な顔で、窓の外を見つめている。
窓の外から望む北の空には、雄大なウリアン山脈がそびえている。
この時期はまだ青々しく、清々しさをたたえていた。でも季節はあっという間に変わっていく。
雪化粧をまといその冷酷さを見せつけ始めるももうすぐに思えた。
「そうですか‥‥‥。私は領主としてどうするべきなのでしょうね」
‥‥‥。
‥‥なにも、言えない。
「ごめんなさい。それを私の口から言うことは出過ぎたマネなので何もお話できないです」
「――― ただ私があなたなら」
「この狭間にいることを恨みながらも、このカードを自分が握っていることに興奮を隠せないと思います」
弱音を吐きたくなるのも、何かにすがりたくなるのもよく分かる。
でも上に立つ者に、それは許されない。
私はやんわりと、言葉という形にする。
「‥‥‥そうですね。恥ずかしいところをお見せしました。先ほどの言葉はお忘れください」
それは伝わったようで、アレクサンドリア様はわずかに笑うのであった。
「いえ」
‥‥‥。
アレクサンドリア様の苦悩はよく理解できる。魔導王国と神導国に挟まれたこの街はどちらの国についても戦場になる。
だからと言ってどっちつかずの態度をとっていたら、しびれを切らしたどちらかの国に、体制転覆の工作を仕掛けられるのは目に見えていた。
この街はこの先、相当難しい舵取りが要求されるであろう。
私も何が正解かは分かってはいなかったが、ただアレクサンドリア様の、この街の、成功を祈っていた。
彼は小さく息を吐き、背筋を伸ばす。
「ありがとうございました‥‥‥」
そして少し早口で言葉を繋ぐ。
「この場は、我が騎士団長がアイテール様に興味を持って、お茶に誘わせていただいたという話になっておりますので、口裏をお合わせ下さい」
「‥‥なっ!?」
なんだその恥ずかしいストーリーは‥‥‥。
「中庭に騎士団長を待たせていますので、どうぞお越しください 笑」
「本当は私が口説かせていだきたかったのですが、今回は騎士団長にチャンスを譲ることにします 笑」
道理でフローラが言いよどんでいた訳だ。
フローラの裏切り者ーっ!
――――――
私はメイドの案内で応接間を出て、中庭に向かっている‥‥。
中庭は前庭とは違いたくさんの花壇に囲まれてあり、様々な色の花が咲き乱れ、花の甘い薫りで満ち溢れていた。
中庭の真ん中にティータイムを楽しむための小さな空間が用意されている。
小さな白いテーブルの周りを白い椅子が4つ囲んでおり、その周りを白い花を模した大きな鉄の籠が囲んでいる。
籠にはバラの蔦が絡んでいて優雅なビンクの花を咲かせていた。
正装の騎士団長様がその籠の入り口で待っていらっしゃる。
これは‥‥‥、宮殿から丸見えというか衆目監視とも言うべき状況。
窓という窓から興味本位のメイドや執事達がどうなるかどうなるかと眺めていた。
その中にはフローラもいる。目があった瞬間、彼女は笑顔で両腕を曲げて頑張ってのポーズをしてきた。
‥‥‥。
絶対あとで思いしらせる!絶対シメる! 笑
覚えてろ~フローラ!
皆が注目するなか、メイドの助けを借りて、足をひっかけそうになりながら白い椅子に座る。
騎士団長様は対面にお座りになった。
「ははは、緊張しますね‥‥‥。すみません私は武芸一筋でこういう状況に慣れてなくて」
「いえ、私も同じですので‥‥‥」
一瞬の間があく。
「で、でも、こんな美しい方をご一緒出来て本望です。先日は命を救っていただきありがとうございました」
「は、はい。あっ、でも、フローラにも助けてもらいましたので」
「では、フローラ様もお誘いすべきでしたね 笑」
2人でぎこちない会話を繰り広げている横で、メイドが静かに紅茶を入れていた。
心なしか微笑んでいるかのように見えるんですけど‥‥‥。
騎士団長様は思いの外、滅茶苦茶優しい方であった。声が優しさで包まれていて、話しているだけでその人柄は伝わってくる。
だからこそ、湧いてくるのが罪悪感‥‥。
私は“元男”だ。
こんな人の横に座っていいのか。
汚してはいけない気がする。
もっと相応しい女性が他にいるはずだ。
そして何より――
恋愛そのものが、私は怖い。
“好き” の次に何が来るか分からない。
あの夜から、それは恐怖として胸に焼き付き、いまだに私を縛り付けているのだった。
その後の会話はあまり記憶にない。
彼の評判だけは落とさない。
この場の筋書きを壊さない。
誰も傷つけない。
この三点だけ守り抜くことに集中していたのだった。
お茶会のあとは、乗ってきた馬車で、フローラと一緒に修道院まで送り届けてもらう。
こんな緊張したのは人生初めて‥‥‥。
なにをするのも、なにかを考えるのも億劫‥‥‥。
そんな中でも、ただひとつ、心に決めたことがある。
正体がばれてしまった以上、この街に残るのは危険すぎる。早く街を出よう。
この焦りは消えることがなく、修道院につくまでただ悶々とさせられているのであった。




